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中馬さりの『サンタクロースに願いを』

有馬(ありま)鍵工房は日比谷線東銀座駅のA7番出口をでて、松屋通りをまっすぐ進み、歌舞伎座の角を右に曲がった路地にある。

植物のツタが絡んでいる。冬でもこれほど生い茂っているなんて、手入れが大変に違いない。同情はするが、なんとも立ち寄りがたい雰囲気にため息をついた。父がどうしてもここがいいと駄々をこねなければ、適当な業者に頼んだのに。昔、世話になったことがあるらしいが……、「どんな鍵開け・鍵の作成も大歓迎」と書かれた看板に「本当にそう思っているのか」と問いただしたくなる。

隣を歩く父はその洋館をボーっと見つめていた。口はへの字に結ばれている。興味がないのは明白。先ほどまでの勢いは何だったんだろうか。まあ、状況が状況だけに仕方がないのかもしれないけれど。

私は例のアタッシュケースを左手に持ち替え、分厚そうなドアに体重をかけた。ガランゴロンと鈍いベルの音がなる。わざわざ利き手を使うほどの重さでもなく、少しがっかりしている自分がいた。

「いらっしゃいませ、どなたかのご紹介ですか?」

青年が言った。見た目は若いが、落ち着いた声色。あわせて考えると20代後半くらいだろうか。

父の馴染みらしいし、てっきり年を重ねた職人がいるものだと思っていたが……、若々しい彼こそが、ここのオーナーであり鍵開け職人なんだろう。様々な部品がちらばった机が、妙に彼に馴染んでいる気もした。

「思ったより若くて不安になりましたか? 大丈夫ですよ、きっと開けられますから」

彼は明るく言った。まるで自分の頭の中をのぞくような発言に息がつまる。

「ほらほら、有馬さん。またお客様を困らせないの!」

どう返事をするか迷っていると、ちょうどよく2階からバタバタと若い女性が降りてきた。快活な表情とその声に、ほっと胸をなでおろす。

「いらっしゃいませ、お客様。本日は鍵のご注文ですか?それとも鍵開け?」

「鍵開けだよ、詩織(しおり)さん。きっと、その左手にもっているアタッシュケースさ」

有馬と呼ばれた男の言う通り。私はこのアタッシュケースを開けてほしくて、この鍵工房にきた。

「有馬さんにとってはそうかもしれないけど、他の人にはそうでもないの! びっくりしちゃうの! ご新規のお客様にはご要望と自己紹介をお願いするの!」

彼女は語尾を強めた。そう、私はまだ名前すら名乗っていない。詩織と呼ばれた女性の対応が正しい。どうも、この男はひとり先に進んでいる。

ただ、彼女の権幕にハイハイと引き下がっている様子を見ると、悪い男ではないのだろう。むしろ、このアタッシュケースをどうしても開けたい私達にとっては救世主なのかもしれない。

「わかりましたよ。改めて、僕はこの鍵工房の職人で有馬(ありま)と言います。詳しくお話を伺えますか?」

彼に促されるまま、私は洋館の奥へ進んだ。


通された革張りのソファーは年代を感じさせる。詩織という女性は、この工房の事務員らしい。彼女がいれてくれた珈琲は苦みが強かった。

「なるほど、この暗証番号付きのアタッシュケースはそちらのお爺様のものだったのですね」

私は顧客名簿に自分のことを記載しながら、状況を説明した。

私の名前は夢川憲二(ゆめかわけいじ)、一緒にこの鍵工房を訪れたのは父の夢川利光(ゆめかわとしみつ)。ここに来たのは、父の利光がアタッシュケースの暗証番号を忘れてしまったから。これを開けてもらいたいのだ。

あの大手おもちゃメーカー「YUMEKAWATOYS」の初代社長が暗証番号を忘れるなんて馬鹿馬鹿しい話だが、年には誰も勝てないのだろう。最近の父はぼーっとする時間が増え、同じ話を繰り返すようになり、大切な書類を紛失してしまうことも増えた。

株主の目線があるため声には出せないが、少々、ボケが始まっているみたいなのだ。とくに創業時から連れ添った妻――つまり私の母――を亡くしてからの父は、会社の運営を私と兄の夢川憲一(ゆめかわけいいち)に任せるようになった。仕事ばかりで家庭を顧みていた印象はないが、それでも、伴侶の存在は大きかったのかもしれない。

現在、「YUMEKAWATOYS」の最終的な決断権は父にあるものの、経営はほぼ私と兄さんが行っている。そのため、いわゆる権力争いが絶えない。私も兄も、創業から会社を支える幹部たちも。いち早く次期社長を決めたがっていた。

ここまで話して、私は顧客名簿を有馬に渡す。

―― だから、なんとしてもこのアタッシュケースに入っているアレが必要なのだ。兄や他の幹部達に根回しされるより先に。できることなら、年が明ける前。年内最後の役員会議までに手に入れたい。

それを叶えられるなら、「鍵開けを頼むなら東銀座の鍵工房がいい」などという意味の分からない父のリクエストだって聞いてやる。YUMEKAWATOYS社長の座を渡すよりマシだ ―― そう、頭の中でつぶやきながら。

「あのYUMEKAWATOYSのご子息でしたか。僕も小さい時にお世話になりましたよ」

有馬は顧客名簿に目を落とす。

「それはどうも。それで、このアタッシュケースですが……」

「ああ、すぐに開けられるかもしれません」

有馬はこともなげに言った。

「なんだって!? よかった。次の重役会議までに中身の書類をとりだしたくてね」

予想外の言葉に胸が高鳴った。年を重ねたとはいえ、やはり父の知り合い。技術はあるのかもしれない。

「ひとまず、いくつか番号を試してもいいでしょうか?」

そう声をかけ、有馬は呪文のように数字を読み上げた。0551、1265、3872、4917、6021、7792……。詩織が黙ってそれを入力していく。

何の規則性も見いだせない数字達。手持ち無沙汰に感じ父を見ると、目をぎゅっと閉じ、瞑想をするかのようにピクリとも動かない。誰に声をかけるのも憚られる。私は視線をさまよわせるしかなかった。

ひとしきり試した後、「残念ですが、このアタッシュケースは“アタリ”のようですね」と有馬は言った。

聞けば、もともと暗証番号を決められている既存タイプのものは、メーカーによって使用頻度の高い番号キーがあるらしい。

それじゃあ暗証番号の意味がない……、それが顔にでていたのか

「セキュリティ的にはそれであまり問題がないんですよ。なにせ、メーカー毎に使用頻度の番号キーを暗記している変人なんて、うちの有馬ぐらいですから!」

と、どこか誇らしげに詩織が言った。

「とにかく、その使用頻度の高いキーであれば料金もそれほど頂かないで済みますし、即日でお渡しができたんですが……。
先ほどもお伝えしたように、このアタッシュケースは“アタリ”です。既存番号で開かない型ですので、正規のお値段を頂戴します」

「ああ、値段は別にいいんだ。期間も、二週間後 ―― 年内最後の重役会議に間に合いさえすればいい」

父を横目で見ると、我関せずといった具合で周囲を見回していた。

「ここだけの話だが、その中に入っている資料はとても大切なものでね。兄や幹部の手にさえ渡らなければいいんだから、むしろ預かってくれるのは好都合さ」

私は隠さずにため息をつく。

「まあ、重要な資料といっても今後のYUMEKAWATOYSの方針に関わるだけのものだ。どのみち内容はマスコミに報道する。仮に君らが中を見て、売りさばいても大した金にはならない。利点がない相手に預けるというのはむしろ安心感さえあるよ」

詩織が少し眉間にしわを寄せている。少しぶっきらぼうな物言いだったかもしれない。だが、忙しい中、父に振りまわされてこっちも限界だった。

「とにかく重役会議までに開けて、連絡をくれ。他のヤツらに中の書類を渡さないでくれればなんでもいい」

住所や受取の日時を伝え、父をタクシーに押し込む。これで、面倒事がひとつ片付いた。




「最後の!聞きました??!」

全身で怒りを表現しながら詩織は言った。彼女は僕と真反対の人だから、そういう歯に衣着せぬ物言いが似合っている。

「たしかに、随分と焦っていたね。僕らには不要な重要な資料。夢川憲二さんにとっては喉から手が出そうな代物らしい」

「だからといって、信用していないのが見え見えよ。メーカー規定の番号も、あんなに早く確認できるのは有馬さんくらいのものなのに! もう、料金を請求してやればよかった!」

お父様が認知症気味で大変なのかもしれないけれど……と、珈琲を片付けながら彼女が続ける。

「認知症?」

僕はアタッシュケースの鍵をいじりながら声をかけた。

「何をもって認知症だと思ったんだい?」

言い終わるのと同時に、玄関の鐘がガランゴロンと音をたてた。


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