見出し画像

『死ぬまでに見るべき絶景』に日本から唯一選ばれた島に行った話

昨日の夜『秘境メシ』という、行くのが困難な秘境にあるグルメを紹介する番組を観ていた。終盤になってそろそろ寝ようか、最後まで観ようか考え始めた頃、訪れた事のある秘境の名前が流れた。

青ヶ島(あおがしま)

東京都でありながら、約170名しか住んでいない、日本一人口の少ない島である。

八丈島からフェリーかヘリコプターでしか行くことができない。番組でも言っていたがフェリーは2回に1回は欠航、運が悪ければ行ったきり1週間ほど帰れない事もザラにある孤島である。番組では『秘境メシ』として地熱料理が紹介されていたが、有名なのは『青酎』という青ヶ島で作られている焼酎だ。なぜ私が青ヶ島に行ったことがあるかというと、時は15年ほど遡る。本業の俳優の仕事の取材だった。当時お世話になっていた劇団の出演舞台。そこには座付きの作家さんがおり、オリジナルの演劇を上演していた。私が出演する作品は再演で、青ヶ島をモデルにしたものだった。

聞いたこともない島だ。
今ほどインターネットも発達しておらず、携帯電話はもちろんガラケー。この頃資料を集めるのは図書館頼みで、そこにある難しい本から僅かな情報を探してみるものの、いまいちピンと来ない。

行ったほうが早い。

行動的な性格に輪をかけて若気に至りまくっていた当時の私は即青ヶ島行きを決めた。問い合わせてみると、フェリーの欠航は当たり前、しかも当日にならないと出港出来るかわからない、どちらかというとヘリコプターの方が行ける可能性は高いと言われた。

急に行くことを決めた為予備の日などない。しかし、実は私は極度の高所恐怖症である。一緒に行く共演者の先輩女優さんに相談したところ、「そんなこと言ってられねえ。」と問答無用でヘリで行くことになった。

友人らに「帰ってこれなかったら後は頼む」と最期の挨拶をし、海の上を低空飛行でひっくり返りそうになりながら飛ぶヘリで、泣き叫ぶ私とそれを笑う先輩は私の覚悟とは裏腹に、無事青ヶ島に届けられた。

劇団が取材に行った際の現地の方に連絡をとってもらっており、民宿の予約と島を案内してもらう約束をしていた。

しかし島に着いてからも試練は待ち受けていたのである。

携帯の電波はなく殆ど使えない。外に出れば避けて通れない程の飛び交う虫。改装したての民宿のきれいな部屋からも出てくるムカデ。日中のサンサンと照り続ける日差し。ひと度外に出れば自動販売機もコンビニもない、持って出た飲み物がなくなったら即、干からびるのである。

勢いで来てしまった事を後悔した。
2泊3日もある。帰りにはまたヘリに乗らないといけないし、そもそもその日に帰れるとは限らない。「もし明日フェリーが出るなら帰りませんか?」この言葉を初日の夜、寝るまで飲み込み続けた。

次の日、別の民宿に移動した。
飛び交う虫にバチバチ当たられながら口で説明された場所に向かう。小さな島だ。殆どの人が知り合いで、情報をくれる。朝食や夕食に出てくる野菜は誰々さんがくれた、魚は誰々さんが釣ったのだと教えてくれる。味は素朴ながら絶品だった。

民宿に荷物を置くと、2人で昨日行った山の裏側に行ってみることにした。一晩経つと携帯が使えない事にはもう慣れていた。昨日の教訓から、途中に1箇所だけあったお店でお茶を買って出掛けた。本当に不便で狭い社会だ。病院もないため、何かあれば八丈島まで出なければならない。学校も中学までしかない。しかも小学校と一貫である。

1日いただけで島での暮らしはなんとなく把握できた気がする。そして自分がどれだけ便利な環境にいて、それに慣れてしまっているかも。

私達のような観光客は出先で日が暮れたら自力で帰るのは難しいので、早目に切り上げて民宿に戻った。途中、何処かの工事に来ていた作業員の方の車とすれ違った。「観光?〇〇さんのとこ?(民宿)」「そうですー」「後でサウナ行くけど連れて行ってやろーか?」「いいんですか?」「じゃあ15時に〇〇さんとこね!」相手は二人組の男性である。


私達は島でのコミュニケーションも身につけつつあった。民宿でこの話をしても「よかったねー!歩いて行くと遠いから。島のサウナは最高だからねー!」と、この具合だ。道行く人には声を掛け合って、助け合って生きている。観光客も島全体で歓迎してくれる。悪い人がいるなんて疑いもしない。

約束の時間に民宿まで迎えに来て貰うと道中お互いの話をしながらサウナに向かう。おそらく昨日テレビで紹介されていたサウナだ。2日間歩き疲れた身体にサウナは効いた。最高だった。それぞれの時間を過ごしサウナから上がって合流すると牛乳を奢ってくれてまた民宿まで送ってくれた。

2日目の夜、民宿の食堂で夕食を食べていると、1人で宿泊していた男性がいた。何となくみんなで話していると、どうやらNHKのディレクターさんで、青ヶ島の取材に来ていると教えてくれた。気さくな民宿のご主人も交えて、いつの間にか皆で一緒にお酒を酌み交わし、盛り上がった。夜もふけると(といっても20時くらい)、誰が言い出したのか、何故か皆で外に出た。


私には忘れられない星空が3つある。
1つは富士山の山頂に向かう途中で見た天の川、1つはいつかの流星群、そしてもう1つがこの青ヶ島で見た広大な星空である。
当然、周りに大きな建物はなく、隣の家までもとても離れている。外灯さえもなく真っ暗な島では、民宿から一步出ればこの星空を見ることができる。

静かすぎるほど静かで夏なのにひんやりとした空気の中、1面に広がる無数の星を見ているとツーっと涙が頬を伝った。相変わらず虫がバチバチと顔に当たって来ているのに、もう気にならなくなっていた。この頃には青ヶ島が大好きになっていて、便利だけれど色んなしがらみのある都会での生活を捨てても良いような気持ちになっていた。青ヶ島の、不便だけれど温かい暮らしに私はすっかり魅了されていたのだ。しかし、それは私がぽっと出の観光客だからだ。ここに暮らす人にはここに暮らす人にしかわからない苦労と闘いながら生きている。たった2日でも少しは理解したつもりである。だってそれを取材しに来たのだから。酒に酔っているのか、状況に酔っているのかわからなくなった頭で、「明日のヘリは欠航になっても良いな」などとぼんやりと思っていた。

人生というのは不思議なもので、「もう少し居たい」と思っているとそうはならない。再び泣き叫ぶ私を予定通りの日時にヘリは運んでくれた。高所恐怖症は治らなかった。

こうして2泊3日の青ヶ島の旅を終え、少しこんがりと焼けた私達は名産品の青酎を抱えて稽古場に戻った。青ヶ島の魅力を存分に語って共有して公演も盛況に終わった。
本土に帰っていた、サウナに連れて行ってくれた二人の作業員とNHKのディレクターさんがこの舞台を観に来てくれた。帰ってきてからも温かを感じさせてくれた旅だった。

もう15年も前の話だ。だけど昨日のことの様に思い出せる程、深く心に刻まれた旅だった。行くのは容易くないけれど、ぜひ1度訪れて見てほしい。私もまた都会の便利さに疲れたらお邪魔したい。きっと変わらない星空が優しく迎え入れてくれるはずだ。

青ヶ島ホームページ



サポートして頂けましたら飛んで喜びます!演劇の活動費として使わせて頂きます!