2023ファジアーノ岡山にフォーカス4「選手名鑑23~Next challenge~(DF編-後編)」

 22~23シーズンにファジに関わった選手(監督)に贈るエール(期待したいこと)を言葉に籠めて文章としたい。23シーズンに向けて、サッカーの魅力をファジの魅力を全てのファジアーノ岡山ファミリー、サッカーファミリーに届けたい。サッカーで、ファジで、喜怒哀楽を共有したい。サッカーは、最高だ。ファジアーノ岡山は最高だ。感謝の気持ちから皆さんに捧げる「選手名鑑23」。今回は、DF編ー後編です。よろしくお願いいたします。

DF編ー前編は、こちら(別記事)
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⑦『 熱く強く包まれた想い~でも一度だけ~ 』

ヨルディ・バイス(22~23シーズン)
岡山(23番)

 「ヨルディ・バイス」という選手は、特別な存在である。CBとして、選手として、J2屈指のCBであることは間違いない。22シーズン、彼の加入は、内外で大きな話題となり、岡山そのものの評価を飛躍的に高めた。開幕前の中位予想や下位予想が多かった中で、少し評価を押し上げた。

 こうした評価は、ヨルディ・バイスという選手が積み上げてきた実績によって築かれた。実際に、岡山では球際では圧倒的な強さを発揮する対人守備。左右から放たれる正確な速い光速のフィード。そして、CB離れした高い得点力。攻守でハイレベルで、多くのクラブで結果を残してきたように、岡山でも実績を積み上げてきた。

 そして、ヨルディ・バイスは、実力だけではない。人柄も多くのサポーターや選手に愛されてきた。火傷するぐらいに魂の籠った熱いメッセージ。プレーや言葉で熱く、チームを鼓舞する。だからこそ、多くの人の気持ちを揺さぶり、動かして来た。

 しかし、そんな彼も1人の人間である。常に強く、熱くといったイメージを抱きがちで、神格化してしまうぐらいの存在感ではあるが、失点した直後には、酷く落胆する時がある。

 特にそれが、顕著に現れたのが、アウェイの金沢戦である。オウンゴールの失点直後。時が止まったようなダメージの大きい失点で、受け止められない失点でもあった。冷静さを失いはっきりと記憶に残っていないが、試合中継では、その瞬間を捉えていた。

 多くの選手が、最後まで可能性を信じて、立ち上がって切り替えて行く中で、起きてしまった事に対して、受け止められず、その場から立ちあがれないヨルディ・バイス。堀田 大輝に肩を叩かれて、ようやく重い腰をゆっくり上げた。防ぐことの難しかった不運な形での失点。いくらヨルディ・バイスと言えども気持ちの切り替えは難しかった。

 熱いプレー、熱い言葉、熱い行動。この裏に隠れた等身大のヨルディ・バイスの姿がそこにあった。彼は、どうして自らに鎧を纏い、強くあろうとするのか?

 それは、筆者は、サッカーというスポーツが好きだからという理由ではないかと感じた。サッカーは、団体スポーツである。だからこそ、ピッチの11人だけではなく、リザーブ選手の7人、そして、監督、コーチ、メディカルスタッフ、サポーター。あらゆる人達が、応援するチーム、所属するチームの勝利のためにベストを尽くす。

 岡山には、「ココロヒトツニ」というサポーターの結束の言葉がある。負けても勝ってもサッカーというスポーツは、1点という重い思い想い得点が勝敗を左右する。そこに向けて、両チームが死力を尽くす。

 ヨルディ・バイスは、きっとそういったサッカーという試合が行われている空間・刻の中で、多くの人に感化されて、自然と闘志という炎が沸き起こり、気が付いたら熱い言葉、熱いプレーに繋がっているのではないだろうか?

 実際にスポーツをしている時、スポーツを観ている時、勝ちたい、負けたくない。こういった感情が、練習の原動力になるし、試合で良いプレーに繋がる。

 だとすれば、ヨルディ・バイスを突き動かすのは、ピッチで共に戦う仲間、ピッチの選手を後押しするサポーターの声・歓声である。

 「我々はファジアーノ岡山なので絶対に諦めることはない」この言葉は、ヨルディ・バイスが残した言葉であるが、ファジアーノ岡山が一貫して貫いてきたサッカーだ。

 想い起せば21シーズン。ホーム最終戦千葉戦。3点差に開いて、心が折れる状況だが、椎名 一馬が投入された後に、1点返した。その後も猛攻を仕掛けた。

 かつて在籍した選手である田所 諒もそうであった。熱い気持ちが武器だった田所 諒は、ラインを割りそうなボールを最後まで全力疾走で追いかけて、マイボールにすることも多かった。

 こういった諦めない姿勢を一貫して崩さなかったのが、ファジアーノ岡山というチームだ。

 ヨルディ・バイスの言葉ではあるが、ファジアーノ岡山にとっては、特別なことではない。

 だとすれば、彼の熱いプレー、熱い言葉、熱い行動。この源泉は、サッカーを愛する人達の熱い気持ちから生まれたものだ。

 サッカーに本気で向き合い、サッカーに熱くなれば、選手は熱くなれる。そして、その気持ちをプレーで、言葉で、行動で、体現することが巧いのがヨルディ・バイスという選手であることは間違いない。

 金沢戦のヨルディ・バイスという選手でも立ち上がれなかったシーンに直面した時に、そういった選手を突き動かすことができるのは、貴方の声、拍手、アクションかもしれない。

 選手が、強い選手であるためには、我々サポーターも強くならないといけない。時には、試合を見る事ができない。選手を直視することができない。目を背けたくなる現実があるかもしれない。

 しかし、乗り越えていかないと「頂」に到達できない。

 辛い時も、苦しい時も、諦めたい時も、ファイティングポーズを崩さない選手、サポーターがいれば、また1人また1人と再び立ち上がれる。

 だからこそ、我々サポーターもヨルディ・バイスのように強く、熱く戦おう。

 そうすれば、貴方の心の中にもヨルディ・バイスという選手の魂が火を灯す。

 何故なら我々はファジアーノ岡山ファミリーだからだ。


⑧『 彼を突き動かすもの~リスペクト~ 』

下口 稚葉(17~21シーズン)
今治(24番)

 今治でも24番を背負う下口 稚葉。豊富な運動量と動じないメンタルティが武器の選手だ。一見すると、24番は、空席になったから選んだだけだと考える方もいるかもしれないが、一度とある飲食店で、下口 稚葉と当時24番を背負っていた赤嶺 真吾が、食事するところを目撃したことがある。

 ここから分かる事は、24番への想い。それは、ポジションこそ違うが、赤嶺 真吾を慕う気持ちと、赤嶺 真吾の想いを受け継ぐ意味合いがあったのではないか。

 親しい間柄となれば、人には話さない想いを打ち明けることもある。チームを離れても24番を背負う意味。それは、当事者である2選手の中にあることではあるが、特別な想いがあるのは間違いないだろう。

 下口 稚葉が、今後にその想いを選手として深く持ち戦って行くのか。それとも岡山への想いを残して、岡山に戻って来るのか。

 期限付き移籍であるものの元日本代表の監督である岡ちゃんが会長のクラブに骨を埋める可能性もある。

 岡山を離れる期間が長くなりつつあるが、下口 稚葉が、今後にどういった決断をして、どういったサッカー選手としての人生を歩んでいくのか。見守りたい。

 最後まで諦めないハードワークできる運動量、時折繰り出される高精度クロス。選手として、この武器に磨きをかけることができれば、岡山の右SBである河野 諒祐や本山 遥の壁を越えることのできる選手へと成長して、帰って来る可能性もある。

 そして、貴重なホームグロウン枠の選手であり、いつか戻って来て欲しい。

 ただ、今は見守り、彼の活躍を信じて応援したい。


⑨『 隠れた司令塔~利き足は頭脳~ 』

成瀬 竣平(22シーズン)
岡山(24番)→山形(2番)

 新しいSB像を作った選手。それが、成瀬 竣平である。岡山のSBと言えば、ハードワークできる選手や守備の巧い選手、クロスが武器の選手が主な3タイプである。

 ただ、その3タイプのSBの選手とは違ったのが成瀬 竣平である。司令塔タイプのSB。つまりパスで崩すことに特徴のあるSBである。ただ、違うのはスルーパスを通して崩すのではなく、パス交換を繰り返して、ポジションチェンジでパスで味方選手と相手選手を誘導させることで、スペースを創出し、そこで受ける。もしくは、そこにパスを出せるのが成瀬 竣平である。

 頭でイメージできているのか、それとも感覚なのか。それとも出した後に気付いていくのか。何れにせよ、この崩しを何度もできていたのが、成瀬 竣平である。

 木山 隆之 監督もこの点を高く評価していたのか、IHでの起用も見られるようになった。パスは、純粋に通すという精度だけではなく、駆け引きやタイミングなどを交えて、効果的に出す必要があると感じた22シーズンの活躍。

 23シーズンは、名古屋に戻ってから山形への期限付き移籍の流れとなった。山形は、パスでDFを無効化できるサッカーを展開しているので、プレースタイルは近そうで、更なる成長できるシーズンになるのではないだろうか?

 岡山の選手として、23シーズン見る事ができないのは残念だが、その創造力を活かした崩しでのアシストや得点に絡めるシーンは、多くなる予感がする。23シーズンも注目したい選手で、活躍が楽しみだ。

 プレーする機会を見る事があれば、是非パスの出し入れに注目してみて欲しい。


⑩『 激しく動いた心身の心臓~強さへの渇望~ 』

本山 遥(22~23シーズン)
岡山(26番)→岡山(15番)

 多くの選手が悔しくて涙した22シーズン。開幕スタメンを勝ち取った本山 遥も例外ではなかった。

 22シーズンは、ルーキーイヤーであった。選手層の厚いSBで出場機会が心配されたが、開幕で任されたポジションはアンカーという中盤の底のポジションを任された。

 豊富な運動量で、多くの守備の局面に顔を出し、ファールなしで奪い取る高い奪取力。攻撃でも得点まであと少しというシーンも作った。

 縦横無尽に攻守に奔走したことで、足を攣って途中交代こそしたが、SBが本職とは思えない大車輪の活躍であった。

 シーズン序盤から中盤にかけて、主軸として活躍してきたが、流れが変わったのが、輪笠 祐士の完全移籍加入である。同じく強度の高い守備と運動量に特徴のある選手という事もあり、役割が重複して行く中で、攻撃が求められたことで、出場機会が徐々に減っていった。

 序盤から中盤戦にかけて、確かな手応えを感じた本山 遥にとっては、焦りや重圧が生じた中で、持ち味を出せない試合も出てきた。

 そして、最終節には、思い出したくないであろうミスを犯してしまう。右CBとして出ていたが、安易なパスを対戦チームであった東京Vの選手にパスをカットされて、失点に絡んでしまった。

 まだ自動昇格の可能性があっただけに、そして、巡ってきた出場機会のチャンスであっただけに、チームの勝利に貢献するどころか、自らのミスで失点して、足を引っ張ってしまった。

 シーズンの開幕が良かっただけに、こういったリーグ戦の終わり方をするとは予想できなかった。試合後に悔しくて涙を流していたという話しを聞いた。勝利が求められる状況でもあったとはいえ、シーズン終盤にチームに試合であまり貢献出来なかった悔しさもあったはずだ。

 チームは、その後プレーオフの初戦で山形に敗れて、J1昇格はできず、来季もJ2で戦うことが決まった。

 22シーズンの悔しさを糧に、23シーズンは、SBで挑戦することになりそうだが、一年目の経験は、本山 遥の成長に繋がったことは間違いなく、新たな進化した本山 遥のプレースタイルを見る事ができる筈だ。

 一年目と違った本山 遥。想像するだけで楽しみだ。


⑪『 投げかけ続けた挑戦~夢のために~ 』

徳元 悠平(20~22シーズン)
岡山(41番)→FC東京(17番)

 岡山では代名詞となったロングスローが武器であった徳元 悠平。有馬ファジで、沖縄県出身の選手として上門 知樹と共に、主軸として活躍してきた。そんな彼からはJ1への憧れの気持ちが、強く感じられた。

 それは、上門 知樹が、個人昇格した時に、J1からオファーがなく、岡山でプレーを続けることとなった徳元 悠平。一緒に岡山で戦って来た、同郷の仲間が一足先に、J1の舞台に飛び立ったことで、自分に足りない物は何かをより意識するようになったに違いない。そこを見つめ直すシーズンが、22シーズンであった。J1への想いを、徳元 悠平が語るのを何度か聞いたことがある方も多いのではないだろうか。

 徳元 悠平は、まずは持病により、離脱する期間がでることがあったことから手術を決断。その問題をクリアして、万全の状態で、開幕を迎えた。シーズンの途中に少し怪我で離脱する期間があったものの、左SB兼左CBの可変式の左サイドとして中盤から終盤にかけて、不動のレギュラーとして勝利に貢献した。もはや代名詞となったロングスローも試合の後半に温存することで、その精度はより輝いた。

 有馬ファジ時代には、左SHに挑戦し、木山ファジでは左CBにも挑戦した。プレーの幅が広がり、SBとして武器の多い選手へと更に成長した。23シーズンも岡山に必要な選手であり、岡山への想いが強かった事は間違いないが、J1挑戦への希望も強く、自身の年齢を考えて、FC東京への完全移籍が決まった。

 しかし、多くのサポーターは、彼の挑戦を応援したい。そういったサポーターの方が多いのではないだろうか?

 裏表のない温かいメッセージを発信し続けた徳元 悠平。梅田 透吾の1番を最後まで心の中で意識して、一緒に戦い続けた。最も「1番」のユニフォームを掲げた選手である。

 言葉に出す。行動に移す。それがしっかりできる選手の1人で、それも人のためにできる選手。それを実直にできる選手。それが、徳元 悠平という選手だ。

 徳元 悠平のこういった献身性は、チームを助けてきた。攻守でのハードワークできる選手で、全力プレーが印象的であった。自陣での守備では、ポジショニングのための集中力を切らさず、的確なポジション取りをしっかりできていて、空中戦では、左CBとして高いとは言えない身長の中で、全身を使った跳躍でのクリアを何度もできる。観ていて、足を攣るのではないかと感じるぐらいの懸命な跳躍で、観ていて気持ちいい。

 こういった全力プレーだけではなく、頭脳プレーも得意な選手で、外だけではなく、中に入っていくプレーや左WBや左SHの選手のフォローもできる。ボールのない所でもフリーランにも工夫できる。そして、クロス精度も高く、抑えの効いたミドルシュートでの得点力も魅力の選手であった。

 人柄と実力共に素晴らしい選手の1人であり、J1のFC東京でどこまでできるのか。本当に楽しみだ。

 FC東京には、徳永 悠平というレジェンドもいるが、徳元 悠平という名前を覚えて貰える活躍を信じて、応援したい。

 3年間有難う。不思議と応援したくなる選手だ。


⑫『 残せなかった爪痕~私の50番へ~ 』

杉山 耕二(22シーズン)
岡山(50番)→V大分(50番)

 加入時の長文の挨拶と経歴が話題となった杉山 耕二。サッカーから離れて、アマチュアのクラブを経由で加入となったが、どこまで出来るのか注目されたが、結局23シーズンにリーグ戦で、出場機会を掴む事はできなかった。

 やはり、J1を目指すチームにおいて、ブランクは大きかった。シーズン途中の期限付き移籍が発表されると、岡山に戻ることなく、再びV大分に松木 駿之介と共に期限付き移籍することとなった。

 ただ、杉山 耕二は、再びJリーグに戻ってくるという強い覚悟を持っての期限付き移籍。恐らくプロとして再びJリーガーになりたいと決めた時から、岡山ですぐに結果がでなかったから断念するような生半可な覚悟で、退社してまでこの道に戻って来た訳では無いだろう。

 むしろ、自らを追い込めるストイックな高いプロ意識を持った選手であることは、加入時から感じていた。22シーズンに、岡山で、現状Jリーガーとしてリーグ戦に出場できなかったが、V大分で、結果を残してJの舞台へと戻って来る。そんな期待や夢を杉山 耕二に抱いてしまう。そういった魅力のある選手だ。

 V大分でも50番という事で、50番と言えば杉山 耕二。そういった未来図を描いているのかもしれない。頭脳派のCBとして、今後の彼がプロのサッカー選手として、再びJの舞台に戻って来て、どこまで駆け上る事ができるのか。

 今後の彼のストーリーには注目だ。

文章=杉野 雅昭
text=Masaaki Sugino


選手名鑑23

監督編は、こちら(別記事)
URL:https://note.com/suginote/n/n04d01567785f

GK編は、こちら(別記事)
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DF編ー前編は、こちら(別記事)
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ファジ造語2023

木山マジック
 あらゆる選択肢と可能性にセオリーや絶対はない。挑戦から修正、そして正解に近づいて行く中で、サッカーの完成度、総合力を高めていく。チームとしての戦術の幅は広がり、対応できないサッカーにより近づく。徹底した個人戦術と、組織的な戦術を兼備。予測不可かつ大胆な起用や策は、実は最適格。正攻法もしっかり採用し、その本質を見抜く慧眼と決断する豪胆さを持った勝負師でありながらリアリスト。その一手で、勝利を手繰り寄せる。


筆者紹介

杉野 雅昭
 某ゲームから野球派からサッカー派へと移籍。当時チーム名が、ジェフユナイテッド市原であった現ジェフユナイテッド千葉に興味を持つ。オシム(監督)と阿部 勇樹(選手)を中心にJリーグと代表をチェックしてきた。2008年より地元クラブであるファジアーノ岡山のサポーターデビュー。そこから、多くのファジの試合を見てきた。忘れることのできないエピソードが年々増え、シーズンを重ねる毎に想いは強く深くなり、2021シーズンは、初めて号泣。心からサッカー好きで、戦術の奥深さや、プレーの凄さなど、サッカーの本質の攻防にフォーカスを当てて、客観性と冷静さを意識した文章を投稿している。
 そのレビューへと突き動かす原動力は、サッカーへの情熱。熱さと冷静さを兼ね備えたフォーカスを今後も目指して、投稿を目指していくことで、サッカーの魅力の発信と、サッカーを通じた交流による、感動の共有と縁の繋がりが、楽しみ。
 ただ、たまに調子に乗り過ぎて失敗する悪癖もあるものの、サッカーを楽しみたいという一心で、皆さんにサッカーの喜怒哀楽を届けて行きたい。そんな私ですが、noteやSNS、スタジアム等で、交流できたら嬉しく思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。

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