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「夕べにすべてを見よ」(ベートーヴェン)――時間は逆走する

反骨の杉並区役所

確定申告間近である。きのう、区役所に健康診断の結果を取りに行く。職場に出さなければいけないので区役所の門をくぐったのだが、もんのすごい列! 「マイナンバー申告はこちらです」とか「ご相談は何人待ちです」とか、呼びかけの声も一階フロアに響き渡って、こんな忙しい時期に来ちゃってスミマセン、という思いだった。そうして椅子に座って待っているとき、ご年配の女性二人が通り過ぎていき、柔らかな声が耳に入った。
「私、マイナンバーは絶対に申告しないわ」
「でもみんなそろそろ申告してるよ?」
「いいの、最後の一人まで頑張るの」
おおおー。さすが杉並区役所。ただ居るだけでこんなセリフを聞けるとは。続きを聞きたかったのだが、お二人はそそくさと自動ドアの向こうに消えていった。
もちろん杉並区役所は、他の自治体とあわせてマイナンバー取得を推奨しているのだが、反駁しているのは区民のほう。杉並区は、60年代にベ平連運動を牽引したり、原発反対のデモを展開したり、無農薬野菜の販売を率先して始めたりと、極めて区民の自治意識が高い一帯なのである。一生インドの高円寺を抱えてますしね。井伏鱒二はじめそうそうたる文学者が住んだ、「阿佐ヶ谷文士村」もあります。#確定申告 #税務相談
     

平野啓一郎『マチネの終わりに』を読む

その帰りに図書館に立ち寄り、なぜかふだんはめったに読まない流行小説を手に取った。確か10年ほど前に大ヒットした『マチネの終わりに』。これだけ本が売れない時代に文芸作品がベストセラーってめちゃめちゃありがたい。それとは別に、本を読む最後の世代である40代が主人公、さらに婚活市場大手である年代を意識しての恋愛小説という、ヒットの要素を盛り込んでの挑戦ということが、どうしても取る手をうとましくさせてしまうのである。流行ってる服は着たくない、というのと同じ心理ですね。しかし興行的には成功し映画化もされています。活字では想像するしかないギターの名演奏も聴けます。クラシックギターって声みたいで本当に素敵です。囁きも叫びも訴えもぜんぶギター一本で表現できるのね。#ベストセラー #芥川賞

私は映画のほうをたまたま先に見てしまったのだが、原作を手に取ると、映画では語られない言葉が多くあった。やっぱり食わず嫌いはいけないなあ。

主役二人が出会うシーンで、恋の始まりのきっかけとなるのがベートーベンの警句「#夕べにすべてを見よ」です。謎めいた言葉を、ギタリストの蒔野は補足する。過去があって未来があるというのが時間の流れだけれど、未来は過去を変える力をよくも悪くも持ってしまう。これ以降はネタバレになるので、陳腐な例で勘弁してください。花を大切にしている少女がいるとする。毎日水をやり、つぼみも咲く姿も、枯れる姿も愛してる。しかし、大人になり、仕事を忙しくしているうちに、世話を忘れてしまった。気がつくとすべての花が枯れて無残な姿になっていた……。
こうなると、「花」で連想されるのは、少女のころいつくしんだ朝顔やひまわりではなく、自分が枯らしてしまった無残な花々です。それとこれとは別、とは思えない。大人になってからの出来事が、過去の美しい思い出もぬぐってしまう。
もちろん、少女は、自分と花との間にそんな未来が待っていることなど知らない。ただ、人間は、未来によって過去を変えられてしまっても、その傷みは抱えて生きていかなければならないのだと、物語は行間で訴えてくる。
「いや、イヤな思い出はさっさと忘れちゃいましょう~」
という考え方もある。しかし、そのように考える周囲とは裏腹に、主役の二人は偶然や自分のふるまいによって変えてしまった過去(思い出)を抱えて真面目に生きていこうとする。互いに自分だけがわかる相手を見つけたことで恋は始まるのでした……
過去と未来が複層的に描かれているのは、時間の考え方が裏テーマになっているからでしょう。映画では「回想シーン」ってよくあるので、そこまで時間の概念に挑戦した作品とはわからず、この伝で行くと、後から原作で映画を補正していくことになります、自分の頭の中で。

時間は逆走する。ポストは語る

どうなるマイナンバー

そこまで考えると、あれだけ混んでいる区役所で、マイナンバーを拒否する会話、それも小声だったのに、耳に飛び込んでしまったのは、その後に手に取る「マチネの終わりに」が逆走して導かせていったと思えなくもない。
未来は誰にもわからない。マイナンバーを取得するかしないか、まあマスクも外すか外さないかだけど、近来選ぶ未来は、その先の未来からふりかえってどう映るのでしょう。
「あのときああしていれば……」と後悔しないよう、人はマイナンバーをとったりとらなかったり、中学受験を目指したり拒否したりする。ただ、私は、勉強に嫌な思い出がつきまとわないよう、子供のころから遊びもせずひたすら塾に行くことはしないほうがいいと思っていますが。本来読んだり調べたりするのは楽しいこと。けれど、万一、やわらかな時代に受験に失敗したら、受験に挑戦するくらいだから、学びを好きになる素地はあったはずなのに、夢中で絵本を読んでいた子供時代の思い出は、「勉強で傷ついた自分」とセットになって、ぬぐわれてしまうと思うのです。一生本を読むのが嫌いになったらどうしてくれるんだ!
マイナンバーも同じ。大人は特に、自分のしたことは自分で責任を取らないといけないと思い込まされているため、どうしたらあとあとトクをするか、ソンをしないかに頭が行きがち。マスクも、もう子供のころ風邪でかけたあの小さいガーゼマスクを思いだすことはない。すべてコロナマスクに思い出がすりかえられた。しかし、「ぬぐわれてしまった美しい思い出」であっても、私たちは生きていかなければならない。そして、何がぬぐわれたのか確実に記録するために、「書く」ことと「撮る」ことはきっとある。
「最後の一人になっても頑張る」と言っていた方、たとえあなたが健康上の理由などから挫折したとしても、私は覚えています!!! 
#マイナンバー #杉並区 #ベートーベン  


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