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【後編】「老いと演劇のワークショップ」で体感した人生の神秘を味わう技術!


前編のつづき

智頭町に隣接する岡山県奈義町在住の「俳優・劇団主宰、兼、介護福祉士」というなんともおもしろい肩書をお持ちの菅原直樹さんによる「老いと演劇のワークショップ」に参加し、
「わ~おもしろいな、初対面の方たちとこんなにも自然にワークショップを楽しんでるよ。俳優訓練のゲームってすごくクリエィティブな脳を使うのね、とってもいい刺激だわ。勇気を出して参加して良かったな!」
なんてもうすでに感動していたJさんだったのですが、
なんとみなさんの前で!菅原さんと即興演劇をやってみよう!という、うっひょ~ 汗汗!の運びとなってしまったのであ~~る!
どうするどうなる?!
この貴重な体験をすることで、ワタシはたくさんの大切なことに気づいたのです。また、いろんなことを思い出したのです。



前編で書いた内容は、全てウォーミングアップ!ここからが「認知症と演技」にて本格的な体感を得るワークショップの核となる部分だと感じました。菅原さんが、ご自身の体験を語ります。

幼いころ、
認知症の祖母と二人きりで過ごした日の事。


おばあさんが昼食のコロッケを残していたので、おなかがすいていた菅原少年はそれを食べた。しばらくして、「ここにあったコロッケはどうした?」とおばあさんが少年に尋ねました。空腹で食べてしまったことを伝えると、おばあさんは「あらまあ、あの人にあげようと思ったのに」と言う。みんな出かけているので、家には自分とおばあさんしかいないと思っている少年は不思議がり「あの人ってだあれ?」と聞きます。

「タンスの中の人」

この時、「認知症の人の言動を正すか、受け入れるか」ということに葛藤を感じた少年の日の自分。「タンスの中に人はいないよ」と言ったらおばあさんはどう感じるんだろう。
「ごめんね、コロッケは食べちゃったから他の物をあげようか」と受け入れたとしたら、おばあさんはもっともっとおかしな世界にいっちゃうんじゃないかという不安。
空飛ぶおじいさんや、話をする犬、トイレのふたを開けたらそこにはどんな人が住んでいるのか、、



菅原さんはおもしろおかしく話してくださいましたが、こう振り返りながら文章を書き、なんだか少年の心を思うときゅっとしました。ワタシにも、去年末に100歳で亡くなった認知症の祖母がいたからです。
その話はまた後で機会があれば触れるとして、認知症の人のもつ独特の世界を「否定する関わり」「肯定する関わり」それぞれにおいての心の動きを探るためのデモンストレーションを、いよいよ、はじめるわけです、、

あまり菅原さんへの最初の返答を飛躍させすぎると、後のリアクションに自分が困ってしまいそう。と、前編で書いた「イエスアンドゲーム」にて体験したので、今回は実際自分にとって「興味深く、重要である」が、会話としては脈絡のない返答になるもの、を選びました。頭をフル回転させて汗をかきかき!そしてうまく演技をするということは完全に無視して、自分のこころの動きに素直になろう!と。




新人介護職員役である菅原さんが、認知症の人役であるワタシに声をかけます。

「Jさん、食事の時間ですよ~」

「私はねぇ、詩人になりたいんですよ、、」

「はぁ?!なんですか?時間になったから食堂に行きますよ!」

自分が写る写真からは、ある意味で
少しでも情報量を減らしたい自意識過剰なJさんは、
苦し紛れに白黒にしてみた


語気強く、「否定する介護職員」菅原さんはワタシの言動をないがしろにします。この時点でめっちゃ悲しい。勇気を出して言ったのに、、
さっそくパニクってしまい、
「ヘルマン・ヘッセが呼んでるんですよ!」と頭を抱えてうなだれるというわけのわからない行動に出るワタシ。なんの劇や。


「もう、わけのわからないことを言ってないで早くご飯食べに行きますよ!」

すいませんその通りですね、、
はい、、もうご飯食べに行っちゃおうかな、、


と、一瞬思いましたが、こんなことで詩人になりたいというワタシの気持ちを折ってはいけない!


「でもね、詩集を出版するので、詩を書きたいんですよ」
「ほら、出版社からの電話が鳴ってるでしょう」
「編集者が訪ねてきますよ」


折れなかった!


開始前に「幻聴や幻視も交えてみてください」とアドバイスがあったので、どんどん私の持つ世界が広がっていく。詩人になりたいどころか、もう詩集の出版まで決まっていた。今日は出版についての打ち合わせも予定していて、作品を仕上げていくためにとても忙しい!
ご飯なんかあとなの!お腹すいてないし!!


「何を言ってるんですか?電話も鳴ってないし、今日は誰も来ませんよ。詩集なんて出るわけないでしょう!」
「早く行かないとご飯の時間が終わっちゃいますよ!」

まだ折れない。私は詩集を出版するのだ。


「そうですねぇ、詩を書くために、創造力を高めるために、自然に触れたいですね」
「海に行きたいです」
「山にも行きたいです」

「今からなんて海にも山にも行けませんよ!そんな時間ないんですから!」

もうね、無我夢中です。絶対に本を完成させたいのです。


「でも締め切りも迫ってますから」
「筆を止めていられないんです」
「ほらまた電話が鳴っていますよ」
「編集者が来ました!ほら!そこに!」

「もぉ~~!電話も鳴ってないし、誰も来てません!いい加減にしてくださいよ!いつまでそんな無茶苦茶なことを言うんですか!ごーはーん!」


「一冊200ページでね、上下巻の詩集なんです」
「そんなわけないでしょ!」
「詩がいくらあっても足りないんです」
「ごはんの時間なの!」
「海に行って、山に行って、たくさん詩を書くんです!」
「行けません!」
「明日までに書くの!」
 ・・失笑!
「ほら締め切りの電話が!編集者が来た!」

はい!カットぉーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!



いや、、実際はね、こんなにスラスラとはセリフが出てなかったと思いますよ。脚色もあるかも。でも、最後なんてもう怒涛の言い合いで、おおむねこんなやり取りだったのは記憶しています。
本当に脳をフル回転させたという感じ。めちゃくちゃに疲れた!めちゃくちゃにおもしろかったけど!Jさんは、とても疲れてとても楽しかった!


「自分の持つ世界を否定され続けて、いかがでしたか?」と菅原さん。

「はじめはとても悲しい気持ちになったけど、なんだか、【負けたくない】というか。絶対に詩集を出してやるんだ!とムキになってきました。」

そうワタシは答えました。これが、ひとつの体感でした。

私の純粋な願望をこの人に伝えてみよう。そう勇気をもってしたのに、自分の持つ世界に「否定的に関わり続けられる」という事で、どんどん自分の世界に頑なになり、頑固になってゆく。なんでそんなひどいこと言うの?って
相手の世界との間を、何かが分厚く隔てる、、!


「ここから、実際に編集者の役を連れてくる、というパターンもあるのですが 笑 そうなるとおかしな事を言っているのは僕だけ、という世界になります。やってみますか?!」

ちょ、ま、、めっちゃおもろそうやけど、、
今日はこのくらいにしといたろやんけ、、ワイ、つかれたねん、、爆


「じゃあ、次は、詩人になりたい、という言葉に肯定的に関わる介護士さんを連れてきましょう。僕はもうJさんの対応にほとほと疲れて、先輩に、なんとか食事に連れていくことができないかと、声かけを交代してもらいます」
「肯定的に関わられて、どう心が動くかを観察して、そのまま、行動と言動を決めてください」


ワークショップの参加者で「認知症の人の介護職」ではないけれど、なんらかの「ケアのお仕事」についてらっしゃるらしいSさんが、先輩役に選ばれた。

新人介護士菅原くんがSさんに、助けてください!と泣きつく。
「ええ~菅原くん、もうちょっとがんばりなさいよぉ~~」なんて、リラックスしたベテラン介護士の風格めっちゃあるSさん。
ただものじゃねえな!

Sさんは、椅子に座っているワタシと目線を合わせるように膝をつき、やさしく声をかけてくれる。



「Jさん、どうしました?誰か来てましたかね?」

「え?ああ、、編集者かなあ、、私ね、今度詩集を出すんですよ」

「はい!聞きましたよ、すごいですね!どんな本なんですか?」

「200ページでね、上下巻でね、たくさん詩が必要なんですよ」
「でもちょっと筆が止まっていてね、創造力を得るために、海へ行ったり山へ行ったり自然に触れたいと思っているんです」

「いいですね~。行きましょう!あ、そうだ、お腹すきません?遠出になるし、ご飯食べてから行きませんか?もうできてるからすぐに食べれますよ!」

「ああ、そうですねぇ。お腹すいてます。食べましょう!」


あれ?




ちょっと、、、鮮やかすぎん?Sさんよ、、。
これがプロや。プロの技や!!

なんとも自然に、ワタシのこころが、傷つかず頑固にならず、Sさんの言葉が耳に入り、信頼し、食事ができる場所に連れて行ってもらおう。そう思えた!!!!開始2分?3分も経ったかな?というくらいで。



自分の持つ世界に「肯定的に関わられる」、その体験は、信頼を生む。素直さを呼び起こさせる、もっと広い世界との関りをしてみたくなる。
そんな体感があった。


Sさんの姿勢を見ると、肯定的に関わるということは、まず相手を信頼している、ということなんだろう。だから関わった人にも信頼を生む。認知症の人を「コミュニケーション不全の人」とは見ていない。認知症の人だけでなく、どんな人にもある、その人独特の世界を尊重するという、あたりまえかもしれないけど、ワタシにはとても難しい姿勢。

子どもや夫、という家族に対してはほんとうに、その人の持つ世界を尊重する、ということができていないなぁ。そう痛感のJさんでした。


食事・入浴・排泄という3大介助を滞りなく、限られた時間内で、しかも多数の人たちを相手に遂行しなくてはならない介護の仕事。

仕事もしたい趣味もしたい、家事もして家族との時間も十分に取りたい自分の生活。

いつもいつも、自分の気持ちと、関わる人の気持ち、両方にこころを傾け、信頼し合い、尊重し合うのが人間の営みのありたい姿だろう!
でも、余裕がないとか、調子が悪いとか、なんだかうまくいかないなあ、って気落ちするのも、「にんげんだもの」、、
と、最近はみつを先生を召喚して、ふがいない自分を承服しています。

ただ、すこしでも、信頼と尊重を持って生きて行きたい、と精進していけばそれも人間の姿だ。
そしてそれは「人生の課題と見せかけた神秘を味わい尽くす」まなざし、という「技術」の楽しい訓練にて身についていくものだと私は思います。

今回のワークショップで学んだものは
「技術」である。
人にやさしくしたい。「信頼」「尊重」それが人間関係で大事なものというのは大概の人はもう頭ではわかっている。
ただ、方法が、身についてないことが多いのかな。人にやさしくする、信頼する、尊重するっていうのは、こういうことかもしれないよ。っていう、表現の「技術」を学んだのだ。

そして「技術」である限り、訓練によってだれにも向上することができる。
これが、最も大事なことだ。


最後に、みなさんの楽しそうな写真を数枚!
ほんとに楽しそうに取り組んでいらっしゃる
1対 多数での「肯定」と「否定」のワークも
ありました。やっぱし楽しそう!
そちらについても書きたかった!ですがまた字数が、、!


前後編読んでくださった方もおられるかと思います。どちらかだけでも、最後までお読みくださりありがとうございました!!感謝感激!

ほんとうはあと4000字くらい書きたいのです!書き残しがあるような気がします!
しかし、10月にはお隣の西粟倉村で、このワークショップのロングバージョンがあるようなのですよ、、3時間半、、とのうわさであります。
Jさんは、そっちにもぜひ参加しようと思っているので、また!そのころに!記事を書きたいと思います!
みなさまも、お近くで開催がないか、要チェック!↓↓↓
前編記事もまだの方はぜひ!ありがとう!


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