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読書メモ:驚きの英国史

基本情報

題名:驚きの英国史
副題:なし
著者:コリン・ジョイス(Colin Joyce)。日本で高校教師、記者などを経てフリージャーナリストに。オックスフォード大学で古代史と近代史を専攻。
訳者:森田浩之。ジャーナリスト。
出版:2012/6/10
発行:NHK出版

読書の時期
開始:2023/01/14
終了:2023/01/15

感想・評価など

概要

 「驚きの英国史」よりは「なるほどの英国史」くらいがちょうどいいのかもしれないが、それではまったく魅力に欠けるタイトルだ!
 ざっくりとまとめてしまえば、さまざまな歴史上のトピックにふれて、イギリスという国への理解を深めることができる本。歴史本と雑学本の中間というべきか。文化本というべきか。通史的な構成ではなく、時系列はばらばら。どちらかというと、エピソードがしめすものの関連性にしたがって章立てがなされている。

 たとえばChapter1「中庸は国の心」では、カール・マルクスがイギリス中「資本論」を執筆したことや、ヒトラーがイギリスに一時期住んでいたという(多少眉唾ではあるが)エピソードや、二次大戦中のスローガン「Keep Calm and Carry on(落ち着いて行動せよ)」を引き合いに、自国の寛容さというか動じなさというか、とにかく「中庸」と表現するものを示そうとしている。

4つの国家、1つの王室

 個人的に興味深く感じたのは、イギリス人の自己認識についてだ。著者のジョイスはアイルランド系の生まれで、Chapter5「アイルランドという"問題"」でのジャガイモ飢饉についての筆致は涙を誘う。アイルランドの独立に関しても(国籍はイギリスであるにもかかわらず)かなりアイルランド寄りの記述をしている。

 他方でChapter2「侵略と分断」やChapter8「イギリス族」でノルマン・コンクエストやそれによる英語語彙の混乱に触れる際は、アイルランド人というより「非ノルマン人」の目線で描写している。つまりは「アングロ=サクソン人」的な目線も同時に有しているということになる。

 グレートブリテン及び北アイルランド連合王国は、その名が示す通りグレートブリテン島の3国家と北アイルランドの連合王国だ。それぞれ別の歴史・議会を持ち、別の「国民性」イメージを持っている。ナショナリズム的発想と思われるかもしれないが、例えばウェールズ人は連合王国の民であると同時にブリトン人の末裔としての自己認識を持っているかもしれない。

 また、1066年のノルマン・コンクエストを加味すると状況はさらに混乱する。そのころ侵入してきたノルマン人はノルマン朝イングランドを打ち立て、時代を経るごとにイングランド人(アングロ=サクソン人)と同化していくのだが、現代で「ノルマン的」といえば地理的な意味合いよりも、古い家柄であるとか、上流階級的な響きをイギリス人は感じとるだろう。

 著者は「イギリス人」として本書を記述しているが、同時に「非ノルマン人」かつ「アイルランド人」的なアイデンティティも持っていることになる。ついでに話を混乱させておくと、著者の姓「ジョイス」はノルマン系の姓である。

 イギリス人はイギリス人であると同時にスコット人、イングランド(アングロ=サクソン)人、ウェールズ人、アイルランド人、ノルマン人でありうるのだ!そして、著者についての例がしめすように、どれか一つに限られるわけでもない。

 余談だが、日本とも若干重なる部分がある。本州や四国ではあまり意識する機会はないだろうが、沖縄生まれの人が、日本人であることをはっきり否定はしなくとも、「うちなー」と「内地」という表現で本州人と自分たちを区別する例は聞いたことがあるだろう。アイヌにルーツを持つ人々も、はっきりと「日本人」と重なり切らないアイデンティティを有している。

 本書では触れられていないが、現代ではここに移民さえ加わってくる。インド系のスナク氏が首相に就任したのは記憶に新しい(2022年10月24日)。

 このように、複雑に対立・合流する重層的なアイデンティティを有しながらも、イギリス人がイギリス人として自己を認識し、イギリス王室を「我らの王」として戴いている点こそが、まったくもって驚くべきことだろうと思う。

ジャガイモ飢饉とアイルランド独立

 1845~49年に起きたジャガイモ飢饉で、アイルランド島ではその人口の4分の1が失われた。"イギリス"はその飢饉に対し、端的に言って冷淡な態度をとった。アイルランドの地主は飢餓にあっても輸出を許可されていた(いわゆる飢餓輸出)し、本書では仄めかされている程度の扱いだが、イギリスは救済措置の対象を土地を持たない小作人に限定したため、多くのアイルランド人が自らの土地を手放した。
 100万人が飢え死にし、100万人がアイルランドを去った。いまでも北アイルランドとアイルランドを合わせた人口は飢饉前のそれに及ばない。

それでも明らかなのは、イギリス政府がアイルランド人の苦境に際してなんとも冷淡な態度をとったこと、そしてイギリスがアイルランドを支配する根拠が取り返しのつかないほど弱まったということだ。
本書p108

つい先日読んだ「帝国」(2003、スティーブン・ハウ、見市雅俊 訳)に関連するトピックがある。それは19世紀末から20世紀初頭にかけて複数回発生したエルニーニョ現象と、それに伴う飢饉についての記述だ。

 経済学者のアマルティア・センが初めて明らかにしたように、全体に行き渡るだけの食べ物がないために苦しみ、死んでしまう事はめったにない。不作が生じたときに飢饉という状況を生み出し、誰が死ぬか、また、何人くらい死ぬかを決めるのは経済構造であり、政治的な決定である。短期的にみれば、数百万人単位で人が死ぬのはただ不作だったからだけではなく、そこの支配者が無能で鈍感だったからでもあり、また、もっとも被害の大きい国々の多くでは、飢えに苦しむ従属民に対する、植民する側の人種主義的な侮蔑ないし無関心も作用した。
スティーブン・ハウ『帝国』p103

 後者は植民地統治に関する言及だが、アイルランド飢饉に対してもまったく同じことが適用できるだろう。著者が指摘するとおり、その時のアイルランドは決して属国や植民地ではなく「本国」の一部であったはずだ。しかし、この苦難の際にイギリスの行った統治とは、程度問題は置いておくとして、まさしくエルニーニョ期にインドや中国で列強国が行った「無能で鈍感な」ものではなかったか。
 アイルランドは独立戦争を経て1921年に独立を果たす。なお、北アイルランド6州(アルスター)がイギリスに残ったのは、グレートブリテン島からの移民(プロテスタント)が多数派を占める地域だとする指摘は興味深い。

 いずれにせよ、アイルランドがイギリスでなくなったのは、イギリスがアイルランドをイギリスと認めていなかったことがそもそもの原因であるということができる。

"イギリス"を知ること

 最初にも触れたように、本書はすぐれた歴史本とはいえないかもしれない。また雑学本というにも、率直に言って情報の粒度が中途半端だ。
 しかし"イギリス"という国が、そこに暮らす人々が、自らをどのように捉えているかを知るにはとてもよい本だと思う。「驚きの」英国史というよりは「驚きの英国」史。そんな本だ。

その他関連リンク

ヨーロッパの仲間入りーイングランド史におけるノルマン・コンクェスト理解をめぐってー( 2004年、中村敦子)
今を生きる先住民族アイヌ 葛藤の先に描く未来(2021年8月26日、NHKnewsweb)
ブリテンの歴史
(Wikipedia)
イギリスの歴史(Wikipedia)
ジャガイモ飢饉(Wikipedia)
読書メモ:『帝国(原題:A short introduction of EMPIRE)』

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