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哲学散文7「孔子」

東洋思想の二大巨頭の二人目「孔子」

東洋思想と言えば、インドの釈迦とならび称されるのが中国の孔子です。孔子は、紀元前6世紀から5世紀にかけて活躍した思想家・教育者であり、儒教の祖として知られています。孔子の教えは「論語」という書物に集約され、日本はもちろん東アジアの国々に広く伝えられ、道徳観、政治思想、教育理念など、様々な側面で大きな影響を与えてきました。

孔子が生きた春秋戦国時代の歴史的背景を踏まえながら、孔子の生涯をたどります。そして、孔子の思想の核心である「仁」の概念を中心に、「論語」の教えを詳しく見ていきます。特に、文、忠、行、信の四つの教えと、論語の内容を善い生き方、仕事に対する姿勢、学び、人間関係、政治、心を込めるということの6つのテーマに分けて論じていきます。さらに、釈迦やソクラテスとの共通点にも触れつつ、現代社会における孔子の思想の意義についても考察していきます。

春秋戦国時代の中国

孔子が生きた春秋戦国時代(紀元前770年~紀元前221年)は、中国の歴史の中でも特に激動の時代でした。この時代、周王朝の権威は衰退し、諸侯国が割拠する状況となります。諸侯国間では、覇権を争う戦いが繰り広げられ、外交や軍事の駆け引きが活発化します。

春秋時代には、覇者と呼ばれる強大な諸侯が次々と現れ、連合や戦争を繰り返しながら、勢力を拡大していきました。斉桓公、晋文公、秦穆公、楚荘王ら、各地に有力な覇者が登場し、激しい戦乱の時代を生きる人々は、不安と混乱の中にありました。

戦国時代に入ると、いくつかの大国が台頭し、より大規模な戦争が繰り広げられるようになります。秦、楚、趙、魏、韓、燕、斉の7つの国が、中央集権化を進めながら、戦いを繰り返します。この時代を描いた作品として、日本では週刊ヤングジャンプで連載中の『キングダム』(原泰久)が人気を博しており、多くの読者に親しまれています。私自身、このマンガの大ファンであり、史実かどうかは置いといて春秋戦国時代における熱い物語には毎週心躍らせています。

話が逸れました。戻します。
こうした戦乱の世にあって、人々は安定した社会秩序と、心の拠り所を求めていました。国家の在り方、為政者の心得、社会における人間関係など、様々な問題が改めて問い直されることになります。こうした時代背景の中で、孔子の思想は生まれ、発展していくのです。

孔子の生涯

孔子(紀元前551年~紀元前479年)は、春秋時代の魯国(現在の山東省)の貴族の家に生まれました。本名は孔丘(こうきゅう)、字は仲尼(ちゅうに)です。幼少期に父親を亡くし、母親に育てられました。青年期には下級官吏として働きながら、古典の研究に励んだと伝えられています。その中でも彼は政治に対して大きな関心を持っていましたが、彼の目指した政治は理想が高すぎるとして当時では受け入れられませんでした。

30歳頃から、孔子は地方各地を遊説し、弟子を集めて教えを説きます。当時、諸子百家と呼ばれる様々な学派が登場し、政治や社会の在り方について活発な議論が交わされていました。孔子は、理想の社会を実現するための「徳治主義(王道)」を説き、弟子たちと共に諸国を遍歴しました。

孔子は、政治の世界でも活躍します。斉の国で仕えた際には、政治改革を断行し、一時は国を治めるほどの力を発揮しました。しかし、君主の驕りを戒めたことで信頼を失い、政界を去ることになります。

晩年、孔子は故郷の魯に戻り、古典の整理と教育活動に専念しました。弟子たちに囲まれながら、「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)を教え、知識人の育成に尽力しました。紀元前479年、孔子は72歳でこの世を去ります。

孔子と弟子たち

孔子は弟子たちとの対話を通じて教えを説きましたが、自ら書物を書き残すことはありませんでした。孔子の言行は、後に弟子たちによって「論語」にまとめられ、儒教の経典の中心をなすものとなりました。論語が完成したのは孔子の死後100年が経過した頃でした。この点は、古代ギリシアのソクラテスやインドの釈迦との共通点として注目すべき点です。

ソクラテスは、自らの思想を対話を通じて説きましたが、著書は残していません。彼の哲学は、弟子のプラトンによって『ソクラテスの弁明』などの対話篇としてまとめられ、後世に伝えられました。

同様に、釈迦も説法を通じて教えを説きましたが、経典を著すことはしませんでした。釈迦の教えは、没後に弟子たちによって整理され、膨大な経典群として実を結ぶことになります。

孔子の場合も、弟子たちが師の教えを「論語」の形でまとめることで、その思想は体系化され、広く伝えられることになったのです。ここに、師弟関係の深い絆と、弟子たちの師への崇拝の念を見ることができます。

論語

「論語」は、孔子と弟子たちとの問答、孔子の言葉、弟子たちによる孔子の行動の記述などから成る、言わば語録のような書物です。全20篇、500章余りから構成され、その内容は、政治、教育、倫理、哲学など多岐にわたります。

論語は、孔子の言行を記録した書物であり、儒教の根本経典です。その内容は極めて多岐にわたりますが、ここでは孔子の思想の根幹をなす6つの主題に焦点を当てて、その教えの核心を探っていきましょう。


選び出した6つの主題とは、
「徳の追求」
「仕事に対する姿勢」
「学び」
「人倫の道」
「為政の道」
「誠の心構え」

です。
これらは、孔子の思想体系の中で、個人の修養から社会の在り方まで、幅広い領域をカバーしています。

「徳の追求」と「誠の心構え」は、孔子の思想の根底をなす人格修養の問題を扱っています。「学び」は、そうした修養を実践する上で欠かせない営みです。「仕事に対する姿勢」と「人倫の道」は、修養した個人が社会の中でどう生きるべきかを説いたものと言えます。そして「為政の道」は、そうした理想の人格を持つ為政者によって、いかにして社会を治めるべきかを論じたものです。

このように、6つの主題は、孔子の思想体系の中で密接に関連しており、個人の内面から社会全体に至る、幅広い課題を扱っているのです。それぞれの主題は、全体の中で独自の役割を果たしつつ、同時に他の主題とも深くつながっています。こうした関連性を意識しながら各主題を丁寧に読み解くことで、孔子の思想の全体像が浮かび上がってくるはずです。

では、それぞれの主題について、孔子の言葉を引きながら詳しく見ていくことにしましょう。

1. 徳の追求

孔子の思想の中心をなすのは、「仁」の概念です。「仁者は人を愛す」(「顔淵」篇)と孔子は言います。「仁」とは、他者への思いやりと尊重の心を持つことを意味します。

「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」(「衛霊公」篇)。自分がしてほしくないことを、人に施してはならない。これが「仁」の実践です。

また、孔子は「義を見てせざるは勇なきなり」(「為政」篇)とも言います。正義を見てそれを行わないのは、勇気がないのだと。「仁」と並んで、「義」もまた孔子の重視する徳目なのです。

2. 仕事に対する姿勢

孔子は、仕事に対する基本的な姿勢として、「文」「忠」「行」「信」の四つの徳を説きます。

「文」とは、文化や学問に通じていること。「忠」とは、誠実であること。「行」とは、実行力を持つこと。「信」とは、信頼されるに足る人物であること。「辞に忠にして身を励まし、行に敏にして礼を篤くす」(「八佾」篇)。言動に忠実で、実行力があり、礼儀を大切にする。そうした姿勢が求められるのです。

また、孔子は利益のみを追求する姿勢を戒めています。「子曰く、利に依りて行えば、怨み多し」(「里仁」篇)。利益によって行動すれば、多くの恨みを買うというのです。これは、現代の企業経営においても示唆に富む言葉だと言えるでしょう。利益追求は重要ですが、それを絶対視するのではなく、倫理的な配慮を忘れてはならないのです。

上司と部下の関係についても、孔子は重要な指針を与えています。「子路、君に事えんことを問う。子曰く、欺くことなかれ、而して之を犯せ」(「子路」篇)。部下である子路が、どのように君主に仕えるべきか孔子に尋ねると、孔子は「欺くな」と答えます。そして、間違っていることがあれば諫言せよ、とも言うのです。上司に対しても、誠実であること、そして場合によっては諫言することの大切さを説いた言葉だと言えます。

このように、孔子の教えは、私たちの日々の仕事にも通じる普遍的な指針を与えてくれるのです。単に利益を追求するのではなく、誠実に、そして倫理的に行動すること。上司であれ部下であれ、誠意を持って人と接すること。そうした姿勢こそが、真に信頼される人物の条件なのだと、孔子は説いているのです。

3. 学び

「学びて時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや」(「学而」篇)。孔子は、学ぶことの喜びを説きます。しかし同時に、「学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し」(「為政」篇)とも言います。学んだことを深く考えないと理解が浅く、考えるだけで学ばないのは危険だというのです。

孔子にとって、学問の目的は、知識を得るだけでなく、徳を身につけ、人格を磨くことにありました。「古の学者は己の為にし、今の学者は人の為にす」(「憲問」篇)。昔の学者は自分自身のために学び、今の学者は世間体のために学ぶ。孔子はこう嘆いています。真の学問とは、自己を高めるものでなくてはならないのです。

4. 人倫(人間関係)の道

孔子は、家族や社会における人と人との関わりを「人倫」と呼び、その道を説きました。

「父子有親」「長幼有序」(「学而」篇)。親子には愛情があり、年長者と年少者には順序がある。それぞれの関係に応じた道があるというのです。

「君使臣以礼、臣事君以忠」(「八佾」篇)。君主は臣下に礼をもって接し、臣下は君主に忠誠をもって仕える。それが君臣の道です。

孔子は、様々な人間関係の中で、「仁」の精神をもって人に接することを求めました。「己所不欲、勿施於人」。相手の立場に立って考え、行動する。それが「人倫」の基本なのです。

5. 為政(政治)の道

孔子は、理想の為政者の在り方を追求しました。

「為政以徳」(「為政」篇)。徳をもって政治を行うこと。それが孔子の理想でした。為政者が徳を備えていれば、「譬えば北辰の居りて、衆星の之を向くがごとし」(同篇)。北極星が空に輝き、多くの星がそれを仰ぐように、民はおのずと帰依するというのです。

「民の義を務めざれば則ち聴かず」(「尭曰」篇)。民の義を行わなければ、民は聞き従わない。為政者には、民のための政治が求められます。

「子曰く、善く人を使いる者は、己に在りて人を使う」(「憲問」篇)。よく人を使う者は、自分に求めて人を使う。言葉だけでなく、自らが範を示すこと。それが、孔子の説く「為政」の要諦なのです。

6. 誠の心構え

孔子は、行動の背後にある心の在り方を重視しました。

「恭にして信なれば。己を尽くして施す」(「里仁」篇)。恭敬の心を持ち、誠実であれば、自分の全力を尽くして行動することができる。「誠」の心構えがあってこそ、真の行動が生まれるというのです。

「言に忠信有りて、行に篤敬有り」(「里仁」篇)。言葉に忠誠と信義があり、行動に篤実と恭敬の念がある。内なる「誠」が、外なる行動として現れる。そこに、君子の道があります。

「誠の斯の道は、天の道なり。誠の誠たる者は、人の道なり」(「中庸」篇)。「誠」こそ、天の道であり、人の道。孔子はこのように、「誠」の重要性を説いたのです。

まとめ

以上、論語の6つの主題について、孔子の言葉を引きながら見てきました。

徳の追求、仕事に対する姿勢、学び、人倫の道、為政の道、誠の心構え。論語に説かれるこれらの教えは、今を生きる私たちにとっても、大きな示唆に富んでいます。

孔子は、弟子の子貢に、こう問われたことがあります。「一言にして以て終身行うべきもの有りや」。人生を貫く言葉はあるだろうか、と。孔子は答えます。「恕か。己の欲せざる所を人に施す勿れ」(「衛霊公」篇)。思いやりの心だ。自分がしてほしくないことを、人に施すな、と。

「恕」の一言は、まさに孔子の教えの真髄を表しています。他者への思いやり、自他の立場を超えた「仁」の心。それこそが、孔子の説く道の根底にあるのです。

論語を手に取り、孔子の言葉に耳を澄ませる。そこから、自らの生き方を問い直す契機が生まれるはずです。古代中国の一思想家の言葉が、今なお私たちに語りかけるのは、そこに時代を超えた普遍的な真理が息づいているからに他なりません。

混迷の時代にあって、孔子の教えは、一つの道しるべとなってくれます。論語の言葉を座右の銘とし、「仁」と「誠」を胸に刻む。そうした一人一人の歩みが、新たな時代への扉を開く鍵となるのかもしれません。

「道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(「里仁」篇)。朝に道を聞けば、夕方に死んでもよい。孔子のこの言葉は、真理を求め続ける生き方の尊さを教えてくれます。論語という一冊の書物を通して、私たちは今、孔子の説いたその「道」の途上にいるのです。

私自身、孔子と論語を上記の文章でまとめたつもりでいますが、とてもまとめきれていません。
混迷の時代にあって、孔子の教えは、一つの道しるべとなってくれます。論語の言葉を座右の銘とし、「仁」と「誠」を胸に刻む。そうした一人ひとりの歩みが、新たな時代への扉を開く鍵となるのかもしれません。

「道を聞かば、夕べに死すとも可なり」(「里仁」篇)。朝に道を聞けば、夕方に死んでもよい。孔子のこの言葉は、真理を求め続ける生き方の尊さを教えてくれます。論語という一冊の書物を通して、私たちは今、孔子の説いたその「道」の途上にいるのです。

しかし、ここまでの内容は、孔子の思想と論語の内容の入り口に触れたに過ぎません。論語に説かれる「徳の追求」「仕事に対する姿勢」「学び」「人倫の道」「為政の道」「誠の心構え」の各主題は、それぞれが深淵な世界を内包しています。

哲学散文の次回以降でこれらの主題をより詳細に掘り下げ、孔子の教えの真髄に迫っていきたいと思います。論語の一つひとつの言葉に耳を澄まし、その意味を丁寧に紐解いていく。そうした営みを通じて、現代に生きる私たちが孔子から学ぶべきことの全貌が、次第に明らかになるはずです。

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