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いまひとつ抑揚の無い日々に魔法を仕掛けて - 2010年代の音楽を振り返る(1)

11月になった。


この頃の自分はと言うと、まずはNANA-IRO ELECTRIC TOURの1次先行に落選し、

NANA-IRO ELECTRIC TOURの2次先行に落選し、

NANA-IRO ELECTRIC TOURの一般抽選に落選し、

そしてNANA-IRO ELECTRIC TOURのリセール抽選に落選するような日々を過ごしており、ついに迎えたNANA-IRO ELECTRIC TOURのツアーファイナルに行けない気持ちの行き場をnoteの編集画面にぶつけに来た次第。


というのは半分冗談で半分本気、いやホントは9割本気なんだけど、残りの1割は「オトガタリスト」でぼちぼち2010年代の振り返り的なことをやっていこうかなという思いがありまして。


先日ふじもとさんが投稿してくれたnoteも参考にしながら10年代の音楽を改めて聴いてみたりしてるのだけど、その中から今回は個人的な"2010年代の始まり"的な1枚を取り上げてみた。


その1枚がこちら。チケットが全く当たらずに悲しみも怒りをも超えて無の感情にさせられた「NANA-IRO ELECTRIC TOUR」の首謀者、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「マジックディスク」というアルバム。

2010年にリリースされたこの作品。1曲目の「新世紀のラブソング」と2曲目の「マジックディスク」の流れで感じたのは、超ざっくり言うと"新しい10年が幕を開ける"感覚だった。


その10年がもうすぐ終わるタイミングで、改めてこのアルバムを聴いてみて感じたのは"10年じゃ全然変わってないじゃないか"というものだった。


もちろん変わった部分もある。

廻る 君と今 エイトビート
ただし役目は終わりさ 銀のディスク
ほら 退けよ そこ退けよ

- ASIAN KUNG-FU GENERATION「マジックディスク」

「マジックディスク」の冒頭で歌われている"CDが何かに取って代わる"現象は10年代の頭から騒がれていたと思うけど、この数年で音楽のリスニング環境は大きく変化した。


だけど、過去の成功体験の貯金をすり減らしているように思えるこの国の社会や、外に開こうにもなかなか抜け出せない自意識はなかなか変わらない。

「経済は底を打つはず」と博打打ちが煽るけれど
2010は僕たちを一体何処へ連れてくの

何もないです
それならそうで
拗ねてないで この檻を出よう

- ASIAN KUNG-FU GENERATION「さよならロストジェネレイション」

今になって聴く「さよならロストジェネレイション」が訴えてくるメッセージは「2020は僕たちを一体何処に連れて行くのだろうか」という問いだ。


「繋いで」それだけを頼りに意気込んだ彼らの
屍 搔き集めるなら新しい何かを

- ASIAN KUNG-FU GENERATION「イエス」

「繋いで」というワードに象徴される00年代のアジカン自身にアンチテーゼを打った「イエス」も、10年代のSNSの文化を踏まえるとまた聴こえ方も変わってくる。


まぁ別に"何も変わってないから停滞してる"とかそういうことを言いたい訳ではなくて、どちらかと言えば"むしろ10年じゃそう簡単に変わらないのが当たり前"と思っている。

そして何より、10年経っても通用する意味を持っている音楽と言葉の普遍性の素晴らしさを伝えたい。いつ聴いても聴き手に"気づき"を与えてくれる音楽はそれだけで一生分の価値を持っている。



何かを一気に大きく変えるのは文字通り大変だけど、自分の身の回りのことだったら少しずつ変えていける。

そんなささやかな希望を、円盤を回した人、イヤホンをつけた人それぞれが感じられることの方が大切だと、自分はこの10年間でロックバンドから教わった。アジカンからは特に。


好きな音楽と共にある生活から、身近に転がるゆるい幸せを拾っていく。
迷いながらも愛を持って、何の変哲もない現在を繰り返しながら続いていく。


とても現実なことを歌いながらも「音楽は魔法」だと銘打ったアルバムだ。

いまひとつ抑揚の無い日々を彩るささやかな魔法を携えて、次の10年も変わらず行く。

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