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孤独な東京で今の私ができること

「東京暮らし」というと、どんな印象や光景を思い浮かべますか?

「憧れ」「裕福」「自由」「貧しい」「ギリギリ」「危ない」…。きっといろんな言葉が並ぶんじゃないでしょうか。

全てが近距離で混在している

どこでもそうかもしれませんが、今の東京は全ての要素が顕著に見受けられます。一言でカオス。混沌の中で、みんな必死に生きている。

私のその中のひとり。普通と言えるのか、贅沢なのか、恵まれないのか…。それは見る人によって変わる。そんな暮らしをしています。今年はきっとみんな苦しかったし、今も苦しいんじゃないかな。それはコロナだからという一言で片付けるには言葉が足りなくて。

個人的に思うことがあります。この最中に悲しい結末を選んでしまった方は「孤独」が大きな理由なんじゃないかと。どんなに誉れを受けようと、高い収入を得ようと、信じられる友人や家族が居ようと。突然、襲ってくる目に見えない「孤独」がある。本当のことを言うと、私が今一番感じているのかもしれません。

地方から出てきた都民の孤独

私は、映画館でゆっくり作品を観たり、舞台やライブに行くこと、食べ歩くこと、歌うことが大好きです。それが趣味で癒しです。会社員ではないので変則的な時間に休みをつくり、思いつきでパッと行けるこの都会が大好きです。

あの緊急事態宣言の頃は、全てが出来なくなりました。もちろん、仕方がないことです。都民に限らず全国で意識が高まった時期だったと思います。いろんな意見があると思います。私も自粛生活をしました。ただその時、今まで自由に出来ていたことが、突然できない苦しみを初めて味わいました。ストレス解消の仕方が分からない苦しみ。大好きな趣味を取り上げられてしまったような苦しみ。

もうだいぶ経ちますが、私は元々地方の人間。帰ることもできず、今年を過ごしています。それは、それぞれの意識の違いや事情があるので、何が「正解」なのかは私にも分かりません。今は帰っても問題はないので、人の自由だと思います。ただ、私は帰ることを選びませんでした。この街が大好きだから。

周りに起きた現実的な「苦しみ」

最初に私の前に現れたのは、飲食店の皆さんが右往左往と翻弄される姿です。特に私はデスクワークなので、たまにの外食や友人との交流の場は、人生で大切な時間。東京での友人が多い方でも無かったので、その「場所」があること自体に意味がありました。

それらのお店が、休業し、さらに廃業といった結末を迎えたのを目にした時、とても悲しい気持ちになりました。「みんな大丈夫かな?」という心配と「私の居場所がどんどん無くなってしまうのでは」という分からない未来への不安。必要最低限の外出をしていた時期、そんな殺伐とした街の風景を目にし、苦しい気持ちが積もっていったのです。

急な変化は人々の心の余裕を奪う

私には職を失ってしまった友人が複数います。その中には、新たなスタートと捉え前向きに行動し、さらに成功している人。反対に、周りに八つ当たりを始めたり、不穏なことを口にするようになってしまった人。変わってしまったと感じてしまうほど見違えるように衰弱した人もいました。

今は私も含め、全員、それぞれの形で頑張っています。たまにちょっとひどいことを言われても「本来はそんな人じゃない!」そんな気持ちで接しています。だから、もし、今ここに「孤独」を感じている人がいたとしたら、心の余裕を保つ工夫だけは忘れないで欲しいなと、強く願っています。なぜならこれは、東京に限った話ではないと思うから。

今、私にできることはあるのか?

コロナへの対策と経済を回すことの両立が重要となった今、私も普段通り動く日が多くなりました。友人にも会ったり、趣味の映画を観たり。様々なイベントも再開してきています。参加するときはもちろんマスクを欠かさずに。

そこで意識していることは「人に優しくする」「少しでも疲れたらちゃんと休む」「絶対に無理はしない」「人の話を最後まで聞く」です。

今までもやっていたことと大きくは変わりません。ですが、これらを大事にしようと思ったのです。それだけで普段は表には出さないけれど、悩んでいる人が救われるかもしれないし、私はそれを与えることが出来るから。なんの道具も必要もない。ただ、自分の時間を割いてでも大切にすることにしました。この街に一人で来た時、私を大切にしてくれた人達のように。

noteで私ができることは?

私が6年ぶりに「note」を始めたのは、きっとそういった見えない「孤独」を感じ始めていたからかもしれません。もう一度「発信」したい!という元々ポジティブな理由もあるのですが、これも大きな要因でした。

そこで改めて投稿を読み始めて感じたのは、いろんな「苦しみ」や「悩み」を書き記すことで自問自答しているような方々が多いということ。書き方も様々で、捉え方も変わってくるかもしれないけれど、私は心が動いた時に「スキ」などのリアクションを欠かさないと決めました。

それが私のためでもあり、私が唯一書き手に与えられることだから。明るい文体でも本当は思い悩んでるかもしれない。その人がどんな状況下で書いているかまでは、読んでいる側には分からない。でも、できることはあります。そんな気持ちなんです。

あなたが決して悲しい結末へのトリガーを引かないように、これからも私はできることをしていきたい。そしてそれが、あなたの心の余裕や喜びにつながればいいなと、今日も文章を書き、読む時間を過ごすのでした。

では、また!

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