『ホモ・デウス(上)』が、ヤバいほど面白すぎる本だった件
おっと、つい興奮してラノベのようなタイトルになってしまった……
『サピエンス全史』で有名なユヴァル・ノア・ハラリ氏の、未来について書かれた本が『ホモ・デウス』。
昨日(上)の文庫版をやっと全部読めて
「こういうのだよ、私が読みたかったものは……!」
と、超絶感銘を受けたので記録しておく。
ページをめくる手が止まらず、2時間くらいで一気読みしてしまった。
この本を面白がれる人とは、是非1度話をしてみたい。
逆に、この本を
「過激でけしからん」
「冷たくて人間味が感じられない」
「極端すぎておかしい」
などと主張する人とは、多分永遠に平行線で分かり合えないだろうなぁ……と思った。
文庫版への序文として、
「まさかCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)やロシアの戦争によって、これほど人類が災難に見舞われるとは」
という話があった。
ハラリ氏のような人でも、やはり未来を予測する行為は非常に困難なのだろう。
だから今後の予測については眉唾ものだ。ハプニングは事前に読めない。
でも大まかな方向性は分かるかもしれない、ということを前提に話を進める。
大雑把すぎる要約
かなり簡単なまとめ。
本当は皆に本そのものを読んでほしいが、無理なら参考までに。
第1章 人類が新たに取り組むべきこと
第1部ではなく第0部というような序章的部分。大きく歴史を振り返り、これから起こり得ることを並べている。
まず、人類のプロジェクト(課題リスト)の1つ目。生物学的な生命維持について。
長い歴史の中で、人類は飢饉と疫病と戦争を対処可能な課題にした。
問題は確かに存在するが、解が到底見つからないという課題ではなくなっている。少なくとも、過去と比べると最もそうだろう。
そして科学技術の発展により、死さえも克服していく可能性がある。
課題リスト(プロジェクト)の2つ目は幸福について。
残念ながら、幸福的感覚は長く続かない。昨日の嬉しかったことは、今日も明日も同レベルには感じられない。
生化学系的解決方法は「薬物などの技術を利用して幸福感を保つ」だが、ブッダは反対に「決して満足は続かないのだから、快楽の追求をやめよう」と言った。
現在、資本主義では前者に近いことを推奨している(どんどん新製品を発明し販売するなど)が、体や脳を作り変えないと満足を永続させられない。
詳細ははっきりしないが、人類はこの1・2のプロジェクトを含む3つ目の新しいプロジェクト「神性を得る」のために進むだろう。
これは突飛な話ではない。神とは、広い意味では全能ではなく曖昧な超自然的な存在でもないからだ。現実問題、神のものとされていたような能力(素早く空を飛ぶ・遠距離通信など)は、すでに人間の能力となっている。
だが、誰かがどうにかしてブレーキを踏むべき問題なのでは?
この主張は予測であり、予測は「完全に変えられないもの」ではない。人類が直面するジレンマを考察する試みであり、未来を変えようという提案だ。
そのために、まずは
ホモ・サピエンスとは何者か
人間至上主義はどのように世界宗教になったか
人間至上主義を実現しようとすることがなぜ崩壊を引き起こすのか
を調べて解説する。
第1部 ホモ・サピエンスが世界を征服する
いかにしてホモ・サピエンスが地球を征服してきたか?について。
ホモ・サピエンスと他の動物たちとの関係や、どうして私たちの種が特別なのか? を理解しようとする。
第2部 ホモ・サピエンスが世界に意味を与える
ホモ・サピエンスは生物学的な優位性ではなく「物語などの虚構を共有できる」という点で、他の生物よりも強くなってきたという話。
過去数先年の間に作り上げた奇妙な世界と、私たちを現代へ導いた道筋を考察。どうして人間至上主義を信奉するようになったのだろうか?
第3部は(下)なので、今回は割愛。
特に面白すぎる部分5つ
断っておくが、私がしばしば言う「面白い」は多くの場合で
"funny(可笑しい)"ではなく"interesting(興味深い)"
である。
①農業革命は大きな転換点だった
これは『サピエンス全史』でも書いてあったかもしれない。
農耕社会は狩猟採集社会とは大きく異なり、農業革命の影響は半端ない……という話だ。
さらに、人類間の差別は「人間と動物との関係」と似ているとも言う。
だんだんと奴隷制や部落などの差別がなくなってきているが、まだまだ存在する現象だ。
ひとたび戦争になってしまえば相手国の人間1人1人について思いやることはぐんと減るし、ただ信念が違うというだけで人格まで軽蔑して無下に扱う人も多い。
②虚構の影響力の巨大さ
ここには爆笑してしまった。
いや、きわめて真面目な話なのだが、例えのユーモアセンスがすごい。
「科学や技術が人間社会においていかにちっぽけなものか、虚構や物語の持つ影響力がいかに強大か」
がよく分かる。
国家も企業も虚構の1つだ。
虚構は深く入り組んでいるし、そもそも私たちの社会秩序は虚構なしには成り立たない。
だが無思考に受け入れているだけではデメリットも多いのだ。
③意味のウェブ(張り巡らされた網のようなもの)
ハラリ氏は、客観的現実と主観的現実だけでなく「共同主観的レベルの現実」があると主張する。たとえば、神・国家・お金などだ。
昔と今で常識や社会形態がまったく違うことを考えれば、確かに神・国家・お金などは客観的現実ではないと分かるだろう。
本当にその通りでしかない。
常識・価値観・信条は人間の1世代ではさほど変化しないが、5世代か10世代昔に目を向けて見れば、時代によってかなり違うはずだ。さらには地域差も存在する。
今現在・私の住んでいる国や地域だけを見るのではなく広く歴史を学ぶ意義は、ここにもあると思う。
④宗教の定義をどうするか? ハラリ氏の考え
ここ、かなり本質的な内容だと思う。
「私は正しくてまともで、私の信じている物は真実である。相反する他の価値観を信じている人もいるが、それは迷信でありおかしな信仰でしかない」
と皆が考えがちだ、という話だ。
この部分に無自覚だと
「過去や別の地域の変な教えはすべて迷信である。死後再生するためにミイラを作るのは滑稽だし、世界大戦は間違いだったし、共産主義も失敗した。だが、今私たちの社会の根底に流れる価値観や信条は正しいに違いない」
となってしまい、結局同じことを繰り返しているだけなのだ。
字面からしてちょっと難しい定義。
私がこれを全て理解しているかは微妙だが、宗教というものを広く捉えようとする方向性には賛成だ。
⑤宗教と科学は協力できる
ここはすごく斬新だと思った。
真理の追求は、極めて個人的な行為で霊的なさすらい(支配的な宗教の信念と慣習の正当性を疑うような)であり、宗教とは別である……と。
確かに、ブッダもイエス・キリストも当時蔓延っていた当たり前の常識(宗教)を個人的に打ち破っている。
ただ、残念ながらその教えは集団化・教義化されるにあたり、また別の宗教となってしまっているのだ。
もしブッダがこの世に転生したら、恐らく現在の日本の葬式仏教を激しく非難するだろうと思っている。
私にピッタリ!と思った理由
興味を惹かれる部分ばかりだけど、特にこの辺りに共鳴・感心した。
不老不死についての記述
私と交流がある人は、私の生きる目標が「不老不死」であることを知っていると思う。
ある程度親しくなったら話すのだが、大抵の場合は変な目で見られる。つい先日も、知人の医師に打ち明けてドン引きされたばかり。
でもこの本を読んで、
「やっぱりこれ、人類の永遠のテーマやん」
と再確認できた。
あとは、単に
「あなたは現実社会にどれほど順応しているのか?」
という話でしかない。
他人におかしいと思われるから言わない、非現実的だから望まない……というだけなのではないか?
そこを全く気にしなければ、
「リスクがないなら不老・不死を望まない人などいない」
と信じている。
ハラリ氏もこう言っている。
不可能を可能にしてきた人類だから、多分100年後の未来には部分的にでも叶っている可能性がある。私は生まれるのが早すぎたのかも……
また、こうも書いている。
ガーン、確かに……!
残念ながら私も、おそらく無理だと分かっていながら一縷の望みにすがっているのが正確なところだが、きっと願えば願うほど死の瞬間が辛いものになるのだろうな。
動物や他の生物を道具として扱うことへの疑問
昔から動物園や水族館が苦手で、考えたり見たりすると悲しくなる。
人間の都合で檻に入れ、園によって違いはあれど自然界と大きく異なる環境に置き、娯楽として眺める行為は、どうしても馴染まない。
もちろん動物を好きだから・観察したいから・学びたいから存在している場所だとは理解しているが、何もあんなに多くの施設を作る必要はないのではないか?
(日本動物園水族館協会によれば、2023年5月29日時点で日本動物園水族館協会に加盟している園は、動物園90・水族館51の計141園館あるらしい)
ペットにも違和感がある。
ペットを家族の一員として大事にしている人については尊重するし敢えて干渉するつもりもないが、本質的にペットと家畜の違いは無いはずだ。
また、動物を人間の欲望の道具として扱う描写も好きではなくて。
『相棒-劇場版III- 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ』の、馬に関するトリックのシーンは見ていられなかった……(ネタバレになるので詳細は省く)
なぜかというと、おそらく
「人間も他の動物も、結局は同じ動物じゃん」
という根本的な思いが自分のどこかにあり、まだ人間至上主義に染まれていないからかも。
もちろん普段肉や魚も食べているので、その部分には自然と目を瞑っているわけだけど。
「……つまり?」
「……という現象には、こういう前提があるんだなぁ」
などとつい何でも深読みするから、矛盾に違和感を覚えやすいんだと思う。
ほとんどの考え方は宗教的なものでは?
以前から思っていたが、日本人は「宗教」と言う言葉を悪く捉えすぎだ。
そもそも「宗教」という言葉自体が合っていないのかもしれないし、オウム真理教などの新興宗教の起こした最近の事件が影を落としているのかもしれない。
とは言え、海外でも多くの人は宗教=キリスト教、イスラム教、仏教などという「体系的な教義・組織を持ったもの」「教団宗教」と捉えているのではないか?
大学の宗教史で習ったが、宗教という言葉の定義は実は非常に難しく、皆が納得する定義は出来ていないそうだ。
ハラリ氏の言うように、イデオロギー、価値観、考え方、常識、……それらもすべて宗教的なものかもしれない。人間社会のほとんどは洗脳に満ちている。カルト宗教でなくとも。
一般的な現代の日本人が
「あなたは宗教に傾倒しすぎだ」
と言われたら怒るだろう。
でも、普段の生活でごく当たり前に信じていること(日本円の価値、国家や国境の存在、礼儀の重要性など)も、実は宗教とさほど大きく変わらないのである。
推し活もスポーツ愛好も家族愛も、すべて宗教なのかもしれない。
つまり、科学的な事実(客観的現実)ではなく人類が生み出した虚構的現実である……という点で。
私は幼い頃から宗教的なものに疑問を抱いていて、普段の生活の傍らずっと宗教を研究してきた。特に論文を書いたり発表したりはしていないが、個人的興味が強くてずっと気にし続けている。
多くの宗教を学んだり疑問を持ったりしてきたので、いつも
「この行動の裏・根底にはいったい何があるんだろう?」
と考えるようになった。
もっとも、これは陰謀論とは違うと思う。
陰謀論者のほとんどは極端な白黒思考で簡単に善と悪を分けてしまうが、物事や世界はそう単純なものではない。そもそも陰謀論として世に蔓延っている以上、それらは既に陰謀ではなくなっているとも感じる。
そしてハラリ氏の定義が正しいとしたら、私自身も色々な宗教に入っている(考え方の固定観念がある)んだろうと気づいた。
資本主義経済、国の権威性、人権は非常に大事、愛は尊い、一夫一妻が理想、知識は素晴らしい、話せば分かる、差別は良くない、……などなど。
この本は自分の宗教研究において、大きな1つの学びとなった。引き続き広い意味で研究していきたい。
個人的な感想
いやー、1番の感想は
「こんなに面白い本があるなら皆もっと早く言ってよ」
ということだ。
まぁ誰かが教えてくれたからこの本に辿りついたわけで、単行本が出版されて5年ほどで読むことができたのだから、結果オーライなのだけど。
それにしても、ハラリ氏めっちゃすごい。
この3部作(サピエンス全史・ホモデウス・21 Lessons)を聖典とするのは間違っているが、それらに基づいて考えたり話し合ったりすることは有意義なのでは?
考えるきっかけになるし、世の中の解像度・理解度が深まって非常に良い。
もっともこの数年間、コロナに関する言説・陰謀論・話にならないゴシップなどの流布を見ている限り、人類がまともに建設的議論ができるかどうかは疑問だが……
まぁ他人はどうであれ、自分は事実と感想と判断をごっちゃにせず、思考したり学んだりし続けていきたい。
まとめ
控えめに言って最高! すんばらしい本。
ここまで書いてまだ(下)があるって、どういうこと? この後何を書くのか全然読めないんだけど……楽しみ。
(下)もそのうち読むつもり。もし今回と同じかそれ以上の衝撃があったら、また感想noteを書くかもしれない。
この長文を最後まで読んでくれた方がいたら、感謝しかない。ありがとう!
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