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地域で生活するために自分の症状を自分の問題とする

スガカオルです。
ご無沙汰しております。

最近は体調もあまり思わしくないですが、一日一日を過ごしています。

今回はわたしの近況とともに、考えていることを共有できたらと思います。

近況:不調ながらもやり過ごす

最近は体調は思わしくなかったです。
刺激に過敏で疲れやすかったり、強い自己否定感にさいなまれていました。
それでも続く日常。
そんな中で心がけたのは安全第一で過ごすことでした。

解離の転換性障害の症状でけいれん発作も起こしました。
そのときは特に周りに迷惑をかけることなく、治まるまで待つことでやり過ごていました。
別に症状を出してしまったとしても、周りに迷惑をかけず自分も大きく困ることがなければいいんじゃないかと思うのです。

不調な時間も多い中、少しずつ作業を進めることが出来ています。
先月も友人のお子さんの入園グッズを作り、届けに行けたし、今も姪っ子の入園グッズを製作中。

何か作業しているほうが思考や症状に飲み込まれることもなく、現実的に行動ができているように感じます。

週に一度は地域活動支援センターに通所し、人とのコミュニケーションを取りながら社会的に孤立しないようにしています。

しかし、刺激に過剰反応するので疲れやすく、正直なところ引きこもっていたいのですがw

ボランティアも不定期ながらやっており、社会とのつながりも持ちながら自分のやれることをやっています。

症状を使わないために

さて、最近考えていることの中に、いかに症状で困らないようにするかがあります。
地域で生活するためには症状漬けにならないでいたほうが楽に生活できます。
症状漬けでいれば、困る状況になります。


症状で何が困るのかというと、

①周りに迷惑をかけ、周囲が困ること
②自分が困る事態になること

大きくこの2つがあると思います。

しかし、この2つには自分が病識を持っていて、症状を良くしたいという気持ちがあることが前提です。
症状を良くしたいという気持ちがなければ、症状を出すことに躊躇いがありません。

例えば、アルコールなどの依存を例にすると、自分はアルコールをコントロールできているし、依存ではないと思っている人がいたとします。
その時に、周りの人の迷惑をかけていたとしても、少し飲みすぎてしまっただけだとか、自分の依存を棚に上げて周りが尻拭いしていることも気づかずに、お酒を飲み続ける場合には自分が困ることはありません。

お酒を飲み続けることで困ることが出てくるというのは、自分はアルコールを取ることで周りに迷惑をかけていることに気づいたときや内臓や社会生活などを通して困りごとを自覚できるようになるときです。

わたしも自傷行為に明け暮れていたときには自分の行動を改善しようと思ってもいませんでした。
たとえ大量服薬で胃洗浄になって家族に迷惑をかけていても、やめようとしませんでした。

それは、自分の問題行動を問題としていなかったからです。
その中で家族をはじめとする周りに迷惑をかけていました。

症状に振り回されるのは、自分だけではありません。
特に境界性パーソナリティー障害の問題行動は周りを振り回してナンボなところがあります。
自分自身もコントロールを失いながら、周りの人を疲弊させていることに気が付くには、自分が困る状況に置かれた時に自分で自分の尻拭いをすることでしか得られないのではないかと考えています。

自分がやらかしたことを自分で後始末することは非常に重要です。
家族が振り回されないために、家族が自分の生活を持ち、それを崩すような状況になれば病院へ入院させることも重要です。
距離を置くことは家族自身の生活を守るために必要です。

その中で本人が自分の病気を改善するために、病識を学び、改善するための行動をすることが大切です。
自分の問題を他人の責任にしないこと、自分の問題とすることが重要です。

そのために、家族が疲弊する現状を見て、過去の自分を振り返り、今の自分には何ができるだろうかと模索しています。
家族が疲弊する生活は持ちませんが、本人が病識を持つためには死をも覚悟する決断を家族が迫られることも多くあります。
当事者として何かできないだろうかと思いながら、このnoteを書いています。

入院は症状を良くするシステムではない

問題なのは、入院したからといって、問題が解決されるわけではないことです。
精神科における入院は患者を守るための場所で、症状を出しても良い場所です。
その中で自分の症状を良くするための努力ができる人はどれほどいるでしょうか?

病院の中で、感情や認知、症状をコントロールするためのスキルを学べるなどのプログラムが組まれていることは稀です。
多くの患者は静養を理由に入院していますし、社会的入院の患者がいることは周知の事実です。
それらの患者が社会生活を送るためのスキルを学べる環境が入院時にあれば、家族や周囲の人々は守られ安心を得て、患者も地域で生活を送れるようになります。

わたしはあまり家族に治療協力は求めていません。
得られないことも分かっていますし、家族には家族本人の考えと生活基盤があるので、家族が困れば入院することになります。
今まで多くの入院は家族が困る状況をわたしが作ってしまっていたからだと思っています。
そのことに気が付くのが遅かったと、今では家族に対して申し訳ない気持ちがあります。

入院は自分にとって困る状況なので、入院しないためにできることを実践しています。
生活リズムを安定させることや、社会との接点を持つこと、SOSを出せる場所を持っておくことと分散させておくこと、自分の困る状況になる前に対処すること…自分でできることは案外あるものです。

その中で、できない自分を許せる自分であることも重要と思っています。
症状にしてしまう時も時にはある、そのことを過剰に責めても問題は解決するどころか悪循環に入ってしまいます。
それよりも失敗を次にどう生かすかを考えていくことのほうが自分の生活維持に役に立ちます。

家族など、周りを巻き込まずに、自分も安心して生活を送れるように、何をして何をしないか。
安心安全が得られるために何ができるのか、これからも考えていきたいと思います。
それを発信することで当事者のみならず、家族の方の力になれたら幸いです。


ではでは、またね。

スガカオル

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