見出し画像

暮らしに「風物詩」を取り入れよう〜ホタルの季節

「今年もそろそろホタルの季節だね」

そんな風流な言葉が我が家で当たり前のように交わされるようになったのは、数年前に一時期、鎌倉に住んでいたときのこと。

都心から2時間とかからず行ける手頃な観光地のイメージが強い鎌倉だが、実際に住んでみたら、むしろ「自然あふれる田舎」としての鎌倉を強く感じるようになった。
カエル、ヤモリ、バッタ、カマキリ、チョウなど、都会ではめったに出会えなくなった虫たちが家の中まで入ってくる。ウグイスの声で春の朝を迎え、ひぐらしの声で初夏の日暮れを感じる。
ムカデに噛まれた時のびっくりするような痛みも、鎌倉ならではの体験の一つだ。

そんなわけで、「季節の訪れを自然の営みで知る」という贅沢に目覚めた私と夫は、1シーズンを通じて自然を楽しむさまざまなイベントを持つに至った。
その一つが、5月末から6月初めにかけて飛び交うホタルを見ることだ。

本当は日常の暮らしの中で何気なく親しむのがいちばんなのだけれど、鎌倉から離れた今、そうは言っていられない。だからと言って、もはや見過ごすこともできぬほど、各イベントは私たちにとって大事な存在になってしまった。

そんなわけで、今年も「ホタル詣」に行ってきた。仕事を早めに切り上げ、5時過ぎに電車に飛び乗り、いざ鎌倉へ。

鎌倉の奥のほう、緑の香りが濃厚に漂う道すがら、住宅に挟まれて流れる川沿いの道が、私たち夫婦にとってのホタル鑑賞スポットである。

ホタルが飛ぶピーク時期は毎年少し異なるので、「見に行った日にたくさん飛んでいるか」は運次第である。期待と不安を抱えながらその場所に辿り着いてみると、幸い、この数年で最高のホタルの乱舞を眺めることができた。

近所の人々も当然その場所を知っていて、毎年楽しみに見にくる人ばかり。
みな口々に「今年はいつもよりたくさん飛んでるね」と、嬉しそうに言い合う。

ホタルの明かりは、頼りない感じがよい。飛び方もふらふらと漂うように流れてゆくので、それを目で追うこちらの頭もぼうっとしてくる。薄闇の中で示し合わせたように同時に明滅するさまは、儚くも美しく、いくら眺めていても飽きない。
ほのかな明かりを写真で撮影するのは到底無理なので、いつもならついスマホを取り出して忙しなくシャッターを押すところ、「ただ眺めるだけしかできない」という無力な時間を過ごせるのもありがたい。
川のせせらぎをBGMに、ただただホタルのまたたきを眺めて過ごす1時間。
そう、ホタルが多く飛ぶのはほんの小1時間ほどなのである。

見初めて少しした頃、夫が「少し先にも、ホタルがたくさんいるらしいよ」と言うので、その場所へ移動してみると、川の奥まで見通せるひとけのない一角に、目が覚めるようなホタルの一群が飛び交っていた。
かすかな川のせせらぎと、風に揺れる木々の立てる音だけが暗闇を彩る中、星を散りばめたように飛び交うホタルが、拍動するように明滅を繰り返すさまを、私と夫は無言でじっと見つめていた。

そのうち夫が不意に、「何か心配事があったら、一人で抱え込まないでちゃんと話すんだよ」と口を開いた。あんまり唐突だったので、私は面食いつつも「実は●●がね…」と、取り止めもなく日常の悩み事をいくつか打ち明けてしまった。
そのうち、「今はホタルを静かに眺めたい時間だ」とはっと気づいて口をつぐんだ。

翌朝になって思い返しているうちに、夫の優しさがじんわり胸に沁みてきた。
普段は面と向かってそんなことを言わない夫が、なぜいきなり言葉にしたのか。考えてみると、このところ私は自分の母親のことで悩みを抱え、不機嫌な顔をしていることが多かった。夫は口には出さずとも、気づいていてくれたのだと思った。

ホタルを見に行かなければ、夫はそんなことを口にしなかったのかもしれない。その場合、私も夫が陰で私を気遣ってくれていることに気づけなかっただろう。
自然の中で過ごすと、素直な気持ちが育つような気がするのは、私だけだろうか?

風物詩を大事に生きると、かけがえのない「ワン・エピソード」が自分と家族の歴史に刻まれる。これからも、どんなに忙しくても、1年に何度か、そうした時間を作っていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?