「雨降って地固まる」とか言い出した人、ちょっと来て
すみません、一方的に呼び出してしまって
つい荒ぶってしまいました。
でも、教育に携わる人間としてね、
こればっかりは見逃せなかったんですよ。
前置きとしての確認ですが、
みなさん一度は聞いたことがあると思います。
「雨降って地固まる」
という言葉。
有名なことわざの1つですよね。
このことわざの意味は、
もめごとなど悪いことが起こったあとは、かえって基盤がしっかりしてよい状態になることのたとえ。(by goo辞書)
なんですが、
どんな時に使うのかというと、
雨降って地固まるように、喧嘩した結果、なんでも言い合える仲になった。
いがみ合っていた部署だったが、倒産の危機を乗り越え関係が改善された。まさに、雨降って地固まるとはこのことだ。
みたいな感じなんですが、
この2つの文、もうね、アウトですよ。
完全にやっちゃってますね。
ぼくも、「やっちゃってた」側の人間ですが、
なんとか30手前にして、ギリギリセーフと言いますか、
みなさまのおかげで、なんとか正気を取り戻したわけですよ。
雨降って地固まるように、喧嘩した結果、なんでも言い合える仲になった。
って文だけ見ると、
まぁそんなこともあるかな、って思いますけど、
もうちょっとリアルに、
自分と友達の関係で想像してみてほしいんですよね。
例えば友達が予定をすっぽかしたときに、
自分「え、昨日確認したじゃん」
友達「いや、そうなんだけど、夜更かしし過ぎて起きれなかった」
自分「( ゚Д゚)ハァ?」
友達「しょうがないじゃん。もう起きたことなんだから」
自分「なに開き直ってんだよ」
友達「わかったって、ごめんごめん」
自分「なんだよその感じ!(# ゚Д゚)」
ってなるのが「雨が降った」状態ですよね。
この後、
自分「この前は言い過ぎてごめん」
友達「いや、普通にオレが悪かっただけだから謝らなくていいよ。むしろゴメンな」
的なやり取りがあって、
ようやく、「地固まる」わけじゃないですか。
何もしなくても「地固まる」わけではなくて、
地を「固めた」人が確実に存在するわけなんですよ。
ここで改めて、「雨降って地固まる」という言葉をみると、
なんかね、そこに携わった人たちへのリスペクトの無さが凄いんですよ。
「固まる」って、
放っておいても、勝手に固まるみたないことじゃないですか。
雨降って地固まるように、喧嘩した結果、なんでも言い合える仲になった。
の例では、お互いに(片方かも?)が、謝ったり、許したり、してるわけで、
もめた後に、お互い何もしなかったら、普通に友情が終わるだけですしね。
いがみ合っていた部署だったが、倒産の危機を乗り越え関係が改善された。まさに、雨降って地固まるとはこのことだ。
この例だって、
勝手に危機を乗り越えて、勝手に関係が改善したわけではなく、
倒産の危機になっても、会社に残って戦った人がいて、
関係の悪い部署に働きかけて一緒に頑張った人がいるわけで、
そういう色んな人の頑張りとかを考えた後に、
「雨降って地固まる」
っていう言葉を見ると、リスペクトが無いように感じられてですね。
もういっそ、
「雨降って地固める」
にしてほしいなと。
「この前のトラブル、ホント大変でしたけど、皆で協力して乗り切って、まさに「雨降って地固める」でしたよねー!」
とか、
「今、正直きつい状況ですけど、「雨降って地固める」だけですからね。今やれることを1つずつ一生懸命やっていきましょう!」
にした方が、色んな人たちへのリスペクトと、
運命を何かに任せるんじゃなくて、自分たちで状況を変えていくんだ、
っていう前向きな気持ちが込められてていいな、って思うんですよね。
進路に悩む生徒とかに、
「正解を選ぶわけではなく、選んだ道を正解にするしかないんだよ」
ということがありますが、
そういう精神も「雨降って地固める」っていう言葉には、
いい感じに入ってて、いいんじゃないかと思うわけですよ。
どこにいるかわかりませんが、(というか1000%死んでますが)
「雨降って地固まる」って言い出した人に、是非聞いてほしいなと思って書き上げた次第でございます。(謎着地)
それでは!
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