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短編:【大人だとか子供だとか】

昼過ぎの電車内は、朝夜のラッシュとは別の乗り物のような顔をして静かに動いていた。普段なら営業の移動に車を使うのだが、社用車が出払っている場合は今日みたいに電車を利用する。土曜日午後の車内はさらに広く思え、正直座れてラッキーだと感じていた。

停車した駅で親子らしきふたりが乗ってきた。母親の肩掛けバックにはマタニティマークが揺れていた。小学校低学年に見える少年が母親に声をかける。子供の声というのは、静かな車内ではひと際大きく聞こえるもので…

「ねえ、ねぇママ…ボク座りたいよ!」
ただでさえガラガラな車内だ。優先席でなくとも充分に座れる席があるのが見て取れる。
「ううん、いいの。2つ先で降りるから」
どこぞの中年女性にも聞かせてやりたい。一駅であろうと、明らかに半人分しか空いていない満員電車の座席であろうと、お尻を無理やり突っ込んで、意地でも座ろうとする姿とは大違いだな…。

「大人はみんな、お仕事で疲れているでしょ。だから座らなくても大丈夫な私たちは立っていましょう」
ギュッと手を握っている子供は下をむいて静かにうなずいた。座席に座ることよりも、率先して立つという教育の一貫なのだろう。
「大人はつかれているからね」
…少年は母親の言葉を繰り返した。
「でもママだって疲れているよ」
「ふふ、ありがとう」
ドア上にある路線図を見上げて、ひざでリズムを取っている。たぶん心の中では「あとふたつ!あとふたつ!」と大合唱しているのだろう。

少年が動きを止めて、バッと母親の方を見る。
「でもさ、大人だとか子供だとかって、誰がどこで判断するのかな…?」
急に難しい質問をするものだ、と感心する。
「どこで判断するのかな〜?」
母親は子供の言葉を繰り返した。
すぐに答えを押し付けるのではなく、考える時間を与える素晴らしい子育ての姿勢に見えた。
「大人だって電車の中で、ゲームしてたり、マンガ読んでたり…お菓子食べちゃう人だっているでしょ」
「そうねぇ」
聞いていたこちらが赤面してしまう。自分が、という訳ではないが、子供からみたら大人の方が子供以上に子供なのかも知れない…
「子供だってさ、学校行って塾行って…留守番したり、犬の散歩行ったり…けっこう忙しいんだよな~」
きっと間もなくお兄ちゃんになる少年は、自分は大人である、というアピールなのだろう。
「そうねぇ」
息子の意見を一度きちんと取り込んでいる。
そこから自身で答えを導き出す。
そんな印象だ。
「子供みたいな大人もいるし、大人みたいな子供もいるし…」
大人びた少年の言葉。
「わかっているじゃない。人それぞれでしょ。自分が大人だと思っている人は大人だし、まだ子供でいたい人は子供なんじゃないかな」
まさかこんな電車の中で悟りの禅問答のような会話を聞くこととなるなんて…

「でも不思議なんだよね、子供には教えるけど大人はやらないことが、ちょこちょこあるんだ」
「子供に教えるけど、大人はやらないこと?」
「そう。ほら、信号を渡る時、手を上げなさいって言うけど、大人で手を上げる人いないじゃない?赤信号は渡らないって言いながらケータイで電話しながらスーツ着た人とか勝手に渡ったりとか…」
「なるほど…」

なるほど…母親ではないが聞き入ってしまう。信号を渡る時、確かに手なんか上げない。赤信号を渡るのはきっと急いでいるのだろう、本当はよろしくないことは明白なのだが。子供にはダメだと教えるはずの大人が、ダメな見本を見せてしまう恥ずかしさ…

「じゃあさ、大人と子供の大きな違いは分かる?」
「大人は大きくて、子供は小さい…かな」
母親は下を向いて子供の顔を見る。子供は首を大きく上に向け、同じく母親の目を見ている。
「そう。信号を渡る時に手を上げるのは低学年の子達に教えるでしょ。あれはね、信号を渡るから手を上げるのではなくて、背の小さい子どもが車に乗っているドライバーさんに、そこにいることを知らせるために手を上げるんじゃないかな」
…そう言われてみれば…そんな話も聞いたことがあるような。
「じゃ、なんでそういう風に教えないんだろう。
信号渡る時は手を上げる…子供だって誰もやらないことやらされて恥ずかしいよ」
「あら、そう?」
子供のわりには正論だと思えた。しかし母親の切り返しは素晴らしかった…
「電車に乗ってすぐに座りたいって大声で言う子供を連れているママだって、正直、恥ずかしかったかなぁ…ふふふ」

そう言われて少年は照れくさかったようだ、握っていた手をブンブンと揺らしながら、目的地だったようで、駅へと降りて行った。あの母親は、信号無視をする大人について、どのような見解で教育をしたのだろう。聞きたかったような、戒められているようなそんな2駅間の出来事であった。

     「つづく」 作:スエナガ

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