見出し画像

他人の努力が眩しくて。

 私は大学入学と同時にコロナ禍が始まった世代です。大学の入学式は中止になり、新入生歓迎会やその他イベント、履修ガイダンスまでもが消し去られた世代です。私は、それを理由に酷く堕落しました。実際、心も体も病気になりましたが、私はコロナによる鬱屈を口実に堕落を極めていました。

 大学二年次には対面授業がいくつか復活し、私は暇だという理由で大学に用もなく足を運んでいました。特に勉強するわけでもなく、ご飯を食べるわけでもなく、誰かと会うわけでもなく、1人で学内をふらついていました。そのとき、大学で度々見かける1人の女子学生がいました。彼女は見たところ、友達は数名いるが親密な関係というほどではない様子で、私が見かけた時の多くは一人でいました。一人でいることは、大学において何ら珍しいことではありません。それでも私が引っかかったのは、彼女はずっと勉強しているからでした。図書室、空き時間の講義室、カフェテリア、どこで見かけても彼女は大抵勉強していました。私は暇だった、と言いましたがスカスカの時間割ではなく、比較的真面目にレポートや試験をこなしていたので私とて全く勉強していないわけではありません。それを以てしても、彼女はなぜそんなに勉強することがあるのかと思うくらいに勉強していました。

 私が通った大学はお世辞にも賢い大学ではありません。詳しく述べたり愚痴を吐いたりすると、大学がバレてしまうので申しあげませんが、私には独りで勉強し続ける彼女が一際目立って見えたのです。他の学生の方には彼女の姿は特筆して珍しいものとして見えていなかったと思いますが、私には彼女がとてもとても美しく見えました。

 先述の通り、私はコロナ禍を口実に堕落しておりました。勉強と努力を否定していました。私はもとより高校卒業後は就職する予定で、してもしなくても自由で汚なくて疎ましい人生を生きようと考えていました。当時の担任、恩師が私を正しく導いてくださったため大学進学を決めましたが、学歴という概念が嫌いだったので大学を名前や偏差値ではなく研究内容で決めたのです。当時の私にはそれが正義のように思え、自分に刹那的な特別感や他と違う価値観を抱いていたことに間違いはありません。私はそれなりに受験勉強をしましたし、大学のレベルはさして高くなかったので、当然のように合格しました。私は、これからどんな研究ができるかと期待していました。しかし、私を待ち受けていたのは低レベルな学生と低レベルな施設でした。

 巨大な努力の果てに入学した環境ではない、自分の全力以下の力で入れる場所には満足できるほどの機能は備わっていない。当然のことでした。こんな場所で勉強はできない、他人からの良い刺激などあり得ない、と思いました。受験生になる前に、「滑り止めの大学に行ったけど、環境が酷くて弁護士なんか目指す気になれなかった。自分の弱さもあるが」と言っていた父親の声が、私の心の中を廻っていました。

 こんな流れで私は勉強も努力も捨てた馬鹿者になりました。そんな私にとって、彼女は最高に美しく格好よく最高に愚かに見えました。心底羨ましく思いながらも、「こんな場所でよく勉強できるな」「どれだけ頑張っても無駄だよ、全部消えてなくなる」「どうせその努力も熱意も時間も全部全部錆びつくんだよ」と、酷い言葉を心の中で並べていました。本当に彼女が羨ましかったのです。

 彼女はある日突然消えました。消える前から大体察していましたが、きっと彼女は別の大学へ編入したのでしょう。早くから見切りをつけ、泥沼から飛び立ったのでしょうね。白鷺のような佇まいで、白鳥のように飛び去って行きました。きっと同じようにこの場所に絶望したのにも関わらず、私には彼女と同じ努力が出来ませんでした。一度でも彼女に声をかけていれば、彼女の爪垢を煎じて飲む機会があったのかもしれないと思います。あのような人をなぜ捕まえなかったのかと一生悔やむことでしょう。

 相変わらず、大学には嫌な人が集まっています。表面的な付き合いしかないため、一概には言えません。しかし、「人脈最高」と言いながら閉鎖的なコミュニティで馬鹿者同士仲良くしている人や、前時代的で子どもっぽい年不相応な方が沢山います。何度も「○○も人脈広げなよ~メリットしかないよ?」なんて言われました。レポートを回すコミュニティ、酒を飲むしかできない先輩、何の意味があるのでしょう。でも、気づけば私も同じでした。彼らを嫌がっている癖に、彼女のようには戦えない嫌な人間です。

 成人してから、「賢い大学に行くのは優越のためではなく、知的な人との繋がりを持つためである。学ぶ人間が少ない場所で学び続けるのは困難なのだ。」という話を聞きました。その通りだと思いましたし、これを聞いたとき背筋から脳髄まで電撃が走ったように感じました。結局「人脈最高」は間違っていなかったのです。環境のせいにして、なんて言われても仕方ありませんが、実際のところ人間は良い影響も悪い影響も周囲から受けるのです。運命の出会いなんていいますが、これは恋愛に限った話ではありません。自分が嫌だと思う場所にいると、自分も嫌な人間になってしまうのではないでしょうか。頭の中がお花畑だとか世間知らずだとか揶揄されることがあっても、人間は自身を幸せだと思える場所でしか自分も世界も愛せません。きっと最初は大したことのない毒の水溜まりだったのだと思います。それが気づけば自分の体から溢れる毒の沼になっていた。天啓を天啓だと認識できない。私は彼女を理想の姿と思えなかったのです。

 私は、本当にどうしようもない嫌な人間になったようです。誰か救いだしてくれないかななんてもう思わなくなりました。不安とやるせなさと、壊れた心だけが残る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?