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熊本・人吉でのJICA海外協力隊グローカルプログラムを終えて

2022年4月〜6月の3ヶ月間、JICA海外協力隊の派遣前実習として、熊本県人吉市でボランティア活動をした。

このnoteでは、JICA向けの最終報告のスライドをピックアップして、この3ヶ月で具体的に何をしたのか、そしてどんな学びがあったのか、追記しつつまとめておきたい。

※まあまあ長いし情報量多いので適宜スキップしながらどうぞ!

派遣先地域について(予備知識として紹介)

司馬遼太郎が訪れて、キャッチコピーをつけるなど。熊本南部に位置している。地元民は熊本市に行くことを「熊本に行く」と表現するくらい、熊本市は山越えが必要で遠いイメージ。
2年前の水害の被害が、まだ色濃く残っている。
なんといっても、球磨地域と切り離せないのは球磨川。
文化も掘り下げるとなかなか面白い。
銭湯の値段で温泉が山ほど!
川魚も美味しい。
私は球磨焼酎にハマりました。大石、ウィスキーみたいな香りで好きだった。

活動目標

まず、3ヶ月の活動目標は、最初にこのように置いていた。

人吉球磨地域への貢献をメインに設定

活動先別・実際に何をしたのか

私はちょっと特殊なタイプで、ITをメインにしたかったこともあり、活動先が多岐に渡った。一つずつ紹介していく。

【メイン活動先】ひまわり亭・リュウキンカの郷

私はこの節さんに基本的にずっとついて回らせてもらっていました
ひまわり亭のスペックはこんな感じ。
リュウキンカの郷のスペックはこんな感じ
大きく課題は3つあると感じた。
5月中旬時点で、6月末までにこんなことがしたかった(できなかったこと多数)
できたことはこちら。

ここからは、メイン活動先で実際に行った活動内容を紹介していく。

要は、他の熊本にいるJICA隊員を使い、モニターイベントとして防災食を作るワークショップと、農泊の体験講座を開催。
ワークショップ詳細
どのように進めたか
実際に何を作ったか
農泊講座の模様
開催の模様は地元新聞に取り上げていただいた。
また、オーナーも実習生も学び多い時間となった。
ひまわり亭の宿泊営業は始めたばかり。宿泊施設として必要なものが何もない状態だった。
とりあえず、法律で絶対に必要な避難経路図と、その他あったら嬉しいと思われる案内を入れたファイルを作成し、各部屋に設置した。
リュウキンカの郷でも同様。

ターシャ・ガーデン(バラ園)

1~3月の第1期実習生のときからJICAがお手伝いを継続している、地元のおばあちゃんが始めたバラ園。

チラシが欲しいという久保田さん(オーナー)の依頼を受け、作成。

このほかにも、バラ園は数回訪れて、草抜きを手伝うようなこともしたし、下記noteで発信も行った。

ブルートレインたらぎ

使われなくなった寝台列車を再利用して、「ブルートレインたらぎ」という簡易宿泊施設を町で運営している。かなり安い印象で、鉄オタさんなどを中心に人気は高く、GWはほぼ満室だったそう。

支援として行ったことはこちら。要はエクセルの使い方を指導した。

人吉球磨発信noteについて

どうせ私がいなくなったら続かないプロジェクトだと思ったので、あえて「JICA隊員」とつけて、個性をつけるという作戦にした。

成果と今後の課題

最初の目標に対しては、あえて曖昧な表現で大きくVISIONとして立てた。大きく、その道筋には沿った活動ができたのではないだろうか。

正直、受け入れ先の人と一緒に仕事をしていると、毎日(目標と関係ないかもしれない)たくさんのことを頼まれる。向こうからしたら、タダで働いてくれるスタッフという見方もできるのだ。そして、ある程度一緒に業務をこなさないと、業務の問題点も見えてこない。

ただ、目の前で頼まれることをこなしているだけでは、最初の目標で掲げていた復興の活性化や、DX推進という面では不足していたと思う。ボランティアではあるものの、本当に現地の人のためを思うのであれば、私がいなくなった先を考えて本当に仕事のようにプロジェクトを回してコミットしていく必要がある。この辺は、実際にジンバブエに渡航してからの実務との親和性が高いんだろうと想像している。

ぶっちゃけ、海外協力隊なんて、仕事ではないと思っている。もちろんあまりにひどければ先方の国に「変えてくれ」と言われることもあるし、JICAに提出する計画書や報告書などもあるけれど、ボランティアである以上、何もできなくても強く責められることはない。実績によって給料が出る訳ではないし、したい支援だけすればいいという見方もできる。

この辺りをどう折り合いをつけて活動していくか、が、協力隊として活動する一つのキーになりそうである。

それぞれの活動先における、私が感じた今後の展望をまとめてみたもの。

自分の学びと今後につなげたいこと

実は個人的に一番の目的だったのは、「地方の理想と現実を見てくる」ということ。みんながいろんなことを言うので最初は混乱したけれど、自分の中で一度整理してnoteとして落とし込めたのは良かった。

▼個人的にも反響が大きかった上記の記事はこちら。

実は、POOLO3期の太田 尚樹さんが講義でおっしゃっていたことが響いてこのスライドを追加した。太田さんの話していた文脈は少し違ったけれど、この言葉は本当に響いた。
働く=自分のスキルを使って人の役に立つということでしかないのである。という悟り。

【スライド外おまけ】

とりあえず「地方」という選択のススメ

都会で「やりたいことがない」などと言って悩んでいるような若者がもしいたら、とりあえず地方に行くことはおすすめかもしれないと思った。

人の役に立っている実感を作りやすい!特にIT関連なんて、知識がゼロに等しいところでちょっと手伝ってあげれば成果も出やすい!人が密接だからすぐに繋がりたいキーパーソンに繋がることもできる!

グローカルプログラムのような、「地域おこし協力隊インターン」みたいな企画が増えればいいのに、と思っている(調べたら時々見つかるので興味ある人はググってみてほしい)。
実は田舎に移住したいという人も、会社を辞めて遠くに移住するという大きな決意はやっぱり急にはしづらい。2~3ヶ月、仕事を休むなり、もしくは仕事の一部として地域に入り込むということは、会社との交渉によってできるところもあるかもしれない。ボランティア休暇の制度がある会社も増えてきた。

数ヶ月でも「地方で仕事を作る」体験をしてみると、その面白さはわかると思う。楽しかったよ、おすすめです。

グローカルプログラムを終えて、未来の自分について妄想

個人的には、若者が地方を作っていかないと、今後日本はもっと大変なことになりそうだ、という予感がしている。フワッとしていて恐縮だが、いや本当に、おじいちゃんおばあちゃんと、公務員の若者しかいないという地域って多いんだと思う。このままだと都市圏が人口的にも他の面でも重くなりすぎて、日本がそのまま引きずられて沈みゆきそう、という印象である。

一旦私は、途上国にもっぱら目を向けて、数年〜数十年は活動するだろう。それは日本よりも圧倒的に色々なことのレベルが低く、日本よりも問題解決の必要性を感じるからである。便利すぎる方が精神的に貧しいという議論もあるが、日本ではたとえ田舎でも基本的にゴミ山でゴミを拾って生きる必要はないし、割と簡単に義務教育が受けられるし、警察が機能していて基本的に安全で、インフラや医療レベルも高い。

途上国を先進国に寄せる必要がどこまであるかは議論の余地があるとは思う。けれど私は、たとえば先進国では安価に治る病気で、途上国でバッタバッタ人が死んでいくのはやっぱりおかしいと思うし、一般的に途上国と言われる国をメインに活動していく気がする。

けれど、同時に日本でもさまざまな問題が起きている。
帰国後、日本が抱えるたくさんの問題の一つである「地方」を手伝うような仕事を、途上国関連の仕事と同時並行でできたらいいなあと妄想したりなどしている。



では、駄文を最後まで読んでくれたあなたに、人吉球磨の絶景をプレゼントしたい。
ぜひ、機会があれば、被災の爪痕残る今のうちに、人吉球磨を訪れてみて欲しいと思う。

最もひどく被災した大柿地区で、田植えが始まった
球磨川の夕陽は本当に美しい
国宝・青井阿蘇神社
多良木の田んぼを見下ろせる公園
あさぎり町の球磨川。夕暮れ。
オオマス!この後、内臓を出してぶつ切りで揚げ煮にされた
新鮮な野菜がいつもある国だった
初夏の市房ダム

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