どのような場面でも誰が相手でも公平・平等に応対する
メンバーに不協和音が生じたら、チームは瓦解します。
重要性を説こうと、どんなに
「会社のために頑張ってほしい」
「プロジェクトの成功のためには必要なんだ」
と言ったところで、説得している人の頭の中では説得を受けている人をその"会社"や"プロジェクト"の中に存在させていません。この説得は、曲解すれば
「会社のために(きみの人生を犠牲にして)頑張ってほしい」
「プロジェクトの成功のためには(きみを苦労させることが)必要なんだ」
と言っているのと変わらないからです。聞く側の納得を引き出すことなく、持論を押し付けて説得を試みようとする人の頭の中というのは必ずそうなっています。
ですから、不公平や不平等を是とする人の説明には一切の説得力がありませんし、響きません。
むしろ、実態としての不公平や不平等は改善されていないにもかかわらず説得しようとすればするほど、その背景がハッキリと見てとれて白けてしまうのです。
それを防ぐためにメンバーを公平・平等に処遇することが大切です。
仕事がきちんと進行するためにはチーム内やプロジェクト内が安定し、「メンバー間に不協和音が生じないこと」が最重要です。そのためにリーダーは、どのような場面においてもメンバーを公平・平等に処遇しなければなりません。
具体的には、次のような場面です。
メンバーの仕事の内容や状況(モノ)を把握する
仕事に関連してメンバーを指導(ヒト)する
メンバーの仕事の結果を評価(モノ・ヒト)する
関連する各種の情報をメンバーに伝える(モノ・ヒト)
メンバーに期待(ヒト)したり、仕事の完了時にねぎらったり(ヒト)する
すなわち、『管理する』と言うことです。
このとき、社内の部下だけでなく協力会社や派遣会社から派遣されてチームに参加している要員、協働でプロジェクトを構成する別の会社のエンジニア・要員などについてもメンバーとして同等に処遇することが重要です。
そもそも「ヒト・モノ・カネ」という言葉を軽く考えている人も多いのではないでしょうか。
少し補足しておくと「ヒト・モノ・カネ」は管理3大要素と位置付けられていますが、厳密には
経営資源とその優先順位
を指す言葉です。
経営資源とは、企業を経営していく上で役に立つ多様な要素や能力のことです。良質な経営資源をどれだけ確保できるかによって「企業の競争力」は決まると言われています。
一般的にはヒト、モノ、カネ、情報が主要な経営資源ですが、近年では知恵や技術なども経営資源に含められ、重要性が注目されるようになっています。
まずヒトとは、社員をはじめとした人材を意味します。
商品を作り利益を生み出し、ビジネスを行なっていくためにはヒトの力が必要不可欠です。ヒトは、全ての経営資源と関係性が深い要素となっています。会社=ヒトと言う人もいます。だからこそ「会社のために」などと言いながら人材をぞんざいに扱うのは支離滅裂なのです。
近年、生産労働人口減少によって人的資本が不足しつつある日本の企業にとって、ヒトの確保は大きなテーマとなっています。ヒトの資源は、組織のマネジメントや目標設定などを通して管理され、成長させ、活用することが求められます。
次にモノは、製品やサービス、そしてそれらを生み出す設備、機械などを意味します。
企業活動を行なっていくためには、ヒトが扱うことのできるさまざまなモノが必要となります。モノの資源は、経営戦略やマーケティングのフレームワークにあてはめられ、検討や管理が行われます。
IT企業の場合は「プロジェクト活動」も1つのモノと見ていいでしょう。
モノの状態や状況を逐一確認し、問題が起きないようにメンテナンスするのは、機械や設備相手でも、プロジェクト相手でも、管理責任者の重要な仕事です。
そしてカネは、言葉の通りお金である資金を意味します。
企業が成長するために人材を採用し育て、設備や機械を買うためにはお金がかかります。カネの資源は、会社全体であれば会計や財務の分野が主に担当します。部の予算管理は部長が、課の予算管理は課長が、そしてプロジェクトの予算管理はPMが担当します。その限られたキャッシュフローが許す範囲内でのみ、管理や活用が行われるのです。
この「予算」と言う概念を理解できない人には、管理職にも、経営者にも向いてないと言えるでしょう。
考えてみてください。
プライベートでこのような杜撰な資金管理しかできない人を、たとえば採用したいと思うでしょうか?管理職にしたいと思うでしょうか?
最後に情報は、企業が持っている顧客データやコミュニティとの繋がりなどを意味します。
テクノロジーの進化とともに、ヒトやモノ、カネなどの形のある資源だけでなく、情報という形のない資源の経済価値が高まり、重要視されるようになりました。
情報は、知識資産や顧客資本となり、企業の競争力を向上します。
情報は、より精緻な判断を促し、事業のスピードを向上させます。
情報は、正邪の判断をより正確にし、誤った運用を回避させます。
これだけ複雑化してしまった社会です。
情報(データ)を蓄積し、
情報(インフォメーション)を効率よく抽出し、
情報(インテリジェンス)に活用する
ことに長けた企業や組織、チームは同業他社(他者)を圧倒するのです。情報の資源は汎用性が高いナレッジマネジメントなどを通して管理され、活用されます。
では、
どうしてヒト・モノ・カネの順番なのか
ということについて、考えたことはありますでしょうか。
ヒトを先頭に持ってきたのは「やっぱり経営はヒト」と思っている経営者が多いからでしょうか。あるいは経営者が従業員からの受けをよくするためなのでしょうか。実はコーポレートファイナンスの視点でみると、この順番には大きな意味があることがわかります。
ファイナンスの前に財務会計の視点から見てみましょう。
企業のバランスシート(貸借対照表:B/S)の右側には投資家から集めた資金、左側には集めた資金で何を買ったかが記されています。これを資産の部と呼びます。
資産の部に注目すると、現金、売掛金在庫、工場、設備、土地の順番に並んでいます。
これは何の順番かといえば、キャッシュ(現金)に換金しやすい順番になっています。
「ワン・イヤー・ルール」といって、
1年以内にキャッシュに換金できる資産を「流動資産」
1年を超えるものを「固定資産」
として線引きをするのです。
財務の健全性を見るための絶対的なルールです。
これに対し、コーポレートファイナンスにおいては企業の資産価値を全く異なる視点で見ます。その資産が生みだす「キャッシュフローの価値」でとらえるのです。その視点に立つと、会計上仕訳された資産は上から「キャッシュフローを生む力が弱い順番」に並んでいると言えます。
キャッシュフローとは、cash + flowという言葉の通り「現金流量」…つまりはお金の流れる量を意味します。その流れを作り出せるか否か、作り出したとしてその流れは強いか否かを見ているのです。
では、筆頭に来る「カネ(現金)」という資産はどうでしょう。
現金はいくら積み上げていてもキャッシュそのものでしかなく、キャッシュフローを生みません。現金は使わなければいわゆる「死に金」なのです。
もちろん現金が多い会社は財務上の健全さはあります。
ただし、株主は「自分が投資した資本金を有効に使っていない会社」と判断するわけです。使っていないということは要するに自己資産を増やそうとしていないということですから、当然株主への配当も増えません。株主はそんな旨味の無い会社に投資したいとは思いません。
現金の次に来る「売掛金在庫」はどうでしょう。
これらは将来現金に変わります。ただしそれ自身がキャッシュフロー…つまりは流れを生むことはありません。
それでは、工場や設備、土地などの「モノ」はどうでしょう。
財務会計上はキャッシュにしにくいものですが、ファイナンス上はキャッシュを生む資産だととらえます。工場や設備がなければ生産ができませんので、キャッシュフローを生むために不可欠の資産と言えるわけです。土地もその上に工場や店舗を建てたり、駐車場にして貸すことによってキャッシュを生み出せます。
さて「ヒト」についてはどうでしょう。
企業のバランスシートには載ってこない資産です。
ファイナンスではどう見るのか。
実は工場や設備、土地といったモノ以上にキャッシュを生むのがヒトという資産なのです。
たとえばトヨタ自動車の工場は人の力なしで勝手に自動車を生産しているのではありません。カンバン方式などに代表される人が行うオペレーション上の工夫があってこそ、強いトヨタがあるわけです。次世代自動車の研究開発などもコンピューターが勝手にしているわけではありません。
つまり、ヒトが一番キャッシュフローを生む力を有しており、「ヒト・モノ・カネ」の順番はキャッシュフローを生む力の強さの順番なのです。ですから「ヒト」の取扱いを重要視しない企業は、中長期的に見るとほぼ100%衰退していることがわかります。
投資で株などを行っている人がニュースやプログ、SNSなどで、投資先の関係者が発する一言一言に敏感であったり、そこでの「ヒト」が行っている取組みに一喜一憂して売買するのはそういう事情があるためです。
バランスシート上の見せかけの情報だけで投資していると大損はしないかもしれませんが、失敗します。なぜなら
「健全性はあっても、株主を設けさせてくれない会社」
かもしれないからです。
このことは企業と言う観点だけでなく、その縮図であるプロジェクトでも同様のことが言えます。「カネ」や「モノ」だけ見てそれらを運用し、結果を出そうと努力してくれている「ヒト」を疎かにしていれば、売上や利益があがって見た目は成功しているように見えていたとしても、「ヒト」がボロボロになってもう二度と修復不可能な状態になっている…と言うことにもなりかねません。
財務を例に説明してみましたが、これと同じように「ヒト・モノ・カネ」の重要性やその順番は組織管理においても、チームマネジメントにおいてもまったく同じです。
では、プロジェクトにおいてどのような場面でもメンバーを公平・平等に処遇するためにはどのようなことに気を付ければいいのでしょう。
等しく目配りする
管理者/管理職であれば、自分が管理すべきスコープに目配りし、注視するのは当然の義務です。
とはいえ、メンバーがすべて同じ内容、種類の仕事をするわけではありません。
このときリーダーは、仕事の内容や種類によって管理の仕方(仕事の内容や状況の把握の仕方、指導の仕方)に差を付けてしまうことがあります。
たとえばIT企業のエンジニアは、得てしてクリエイティブな仕事は重要視します(新しい技術や方式の開発、新しいモデルを使ったシステム開発など)。しかし一方で力任せの作業、単調な作業は軽視しがちです(既存のシステムの新しいシステムへの単純な移し換えや、データの作成や変換などのような人手をかければできる仕事)。
そのため、クリエイティブな仕事に従事するメンバーにだけ目を配り、力任せや単調な仕事は内容や状況を把握することもなく担当メンバーに任せきりということがあります。
また、チームを分割して、各メンバーが分散していくつかのプロジェクトに参加することがあります。このとき、社内で注目を集めたり期待されたりしているプロジェクトにだけ目を配り、注目されず期待も集めていない目立たないプロジェクトや他のプロジェクトの後始末、尻拭い的なプロジェクトなどは内容や状況を把握することもなく担当に任せきりということがあります。
このような差別化は、管理の外にあるメンバーにモチベーションの減退をもたらすだけでなく、メンバー間に不協和音を生じさせる遠因にもなります。そうした事態を防ぐためにもリーダーは、仕事の種類や内容に関わりなく、どの仕事に対しても等しく目を配るようにします。
もちろん、メンバーの評価においても仕事の内容や種類に関わりなく、公平・公正な評価を行うことが必要です。1の仕事に対しては1の評価を、10の仕事に対しては10の評価をしなければ、1の仕事をしても、10の仕事をしても1の評価しかしない…というのでは、誰も10の仕事をしようとは思わなくなってしまいます。
全員に等しく情報を伝え、共有させる
メンバーを公平・平等に処遇する基本は、メンバー全員に等しく情報を伝えることです。リーダーは、プロジェクトに関連する様々な情報を隠蔽せずにメンバーに知らせなければなりません。
これは、リーダーが情報を隠蔽すると(または、大部分の情報を隠蔽し必要最少限の情報しか知らせないのであれば)メンバーは現状や先行きに不安を覚えるからです。情報が見えればメンバーは不安に陥ることはなく、または不安があってもそれが解消されますし、必要に応じて先を読んで自身の作業を組み立てられるのです。
まずこれができなければ、不公平・不平等は絶対になくなりません。
ここでリーダーに求められる課題は、
報連相を中心としたコミュニケーションスコープをどこまで広げるか?
という1点だけです。
情報は、すべてのメンバーに等しく知らせなければなりません。情報を知っているメンバーと知らないメンバーがいると、全員が知らないでいるときよりもチーム内の不安は大きくなります。また、知らないメンバーは「なぜ我々には知らせてくれないのか」と不公平感や不満を持ってしまい信頼しなくなっていきます。当然、大幅にモチベーションが減退し、プロジェクトが失敗することにもつながりかねません。
そのような事態になることを避けるために、情報は常にチームのメンバー全員に公平に伝えなければなりません。
私も、基本的には情報を隠蔽しません。
可能な限りステークホルダー全体に周知します。
おそらく一般的な人の5倍から10倍くらいは広げている自信があります。
「鬱陶しい」と思われようが、気にしません。
情報は、その伝達先を絞り込んだ情報戦を駆使するよりも、情報を開示しているからこその情報戦に持ち込んだ方がシンプルなうえにコントロールが容易で、しかも効果範囲が広く、且つ有益です。
前者は、仮に良い結果となったとしても、結局不信感や不協和音をゼロにすることができません。仮に情報を聞ける側の立場であったとしても、次も同じとは限らないからです。
なお、情報をメンバー全員に等しく伝えることは別の点でも有用です。
情報をメンバー全員で共有できていれば、リーダーはチーム全体を統一的にコントロールできます。それに対してメンバー間で情報に偏りがあると情報ごとにそれに関連するメンバーだけを分類することなり、チームをばらばらに管理しなければならなくなって非常に労力がかかります。
管理する立場でありながら管理が上手くいかないのは、情報の伝え方や共有の仕方を自ら複雑化して、自滅しているケースが多いのです。
メンバーのすべてをねぎらう
プロジェクトの終わりにもメンバーを公平・平等に処遇する姿勢を崩さないようにします。
プロジェクトは、次につながるような終わり方にするのが重要です。「振り返り」がそうであるように、次につながらせる努力を惜しむようではリーダー失格です。今回のプロジェクトのメンバーが、次のプロジェクト(別のプロジェクト)にも高いモチベーションで臨んでくれるようにすることができるかどうかは、この点にかかっています。
そのためにも、プロジェクトが終了したらメンバーにねぎらいの言葉をかけることは
簡単でしかも非常に有用な方法の一つです。このとき、協力会社や派遣会社からチームに参加している要員に対して疎かになりがちですが、こうした要員に対しても平等にねぎらいの言葉をかけることが重要です。
また、外部の要員に対してはねぎらいの言葉だけでなく、「また、お願いします」という言葉も添えればより効果的です。次に依頼したときにも高いモチベーションで参加してくれるでしょう。
外部の要員にも社員と同様に等しく感謝してもらったという感想は、協力会社や派遣会社の内部でリーダーやそのチームの評判を高め、別の要員が参加する場合でも、高いモチベーションを持って参加してくれることにつながるでしょう。
もちろん、内部の要員…つまりリーダーの部下に対しても、次のプロジェクトに高いモチベーションで臨めるようなねぎらいの言葉を工夫してかけることを忘れないようにします。
ただし、1点だけ気を付けていただきたいのは、「ねぎらい」が必ずしも「飲み会」とは限らないということです。協力会社の方であれば相手先の営業へ感謝を述べるのもいいでしょうし、その実績に見合った単価アップを検討するのもいいでしょう。
人間、誰しも飲み会が好きというわけではありませんし、ご家庭を持っている人であれば早々に帰りたいかもしれません。あるいはアルコールが苦手、人付き合いが苦手という人もいるはずです。自分の価値観を押し付けてねぎらい方を誤るというのも、一部の人間しか楽しめないという意味で、不公平・不平等になることを覚えておいてください。
最後に
平等と公平は厳密には異なるものです。
一時期、風刺画が出てましたよね。
こうやって見ると、平等であることは意味がないと思われがちですが、ビジネスではそうでもありません。
いったん言葉にしてみるとわかります。
平等とは、「差別がないこと」。
まったく同じ条件をあたえることです。
その結果までが同じになることではありません。
たとえばリーダーは、メンバーそれぞれに選択のチャンスを与える場合などは平等であるべきです。その選択の結果に差が出るとしても、リーダーが与えたチャンスは一律同じであったはずです。
公平とは、「いずれにも偏らないこと」。
まったく同じ結果を与えることです。
条件や過程は人それぞれになりますが、結果としては同じになります。
たとえばリーダーが、プロジェクトの終了をねぎらうために宴会を開いたとしましょう。この時、功績の大きかった人、小さかった人関係なく、同じようにねぎらうことになります。そこに差(ひいき)はありません。
人の上に立つリーダーやマネージャーという立場であれば、この辺りはきちんと使いこなしていただきたいものですよね。
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