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人が辞める多くは、辞める人に原因があるのではなくマネジメントに原因がある

ここ10年のうちで大手企業を中心にリストラが幾度となく行われましたね。

もうトレンドだからやっているとしか思えません。
そんななかでもIT業界では中高年層を対象にしたものが多いように感じます。

リストラに踏み切る経営的な背景は色々あるでしょうけど、リストラの対象になる人が中高年に集中するのはひとえに

 終身雇用全盛時代、企業が新人から中高年まで在籍させている間に
 リストラさせなくていいほどの優れた人材に育成してこなかった
 (育成できる人間を上司に充てなかった)

ことが主な原因ではないでしょうか。

もしも、若年層の大きな将来性よりも中高年の優秀さのほうが圧倒的に勝ればリストラの対象になるのは育成コストが大きく、また結果が伴うまでに何年かかるかわからない若年層の方になるでしょうし、そもそもそれほどまでに優秀な中高年層が多く在籍していれば、リストラしなければならないような状況には陥っていなかったはずです。

ヒエラルキー型の組織構造において、より上の立場になるには相応の実力やスキルが必要です。そしてその実力やスキルとは、それまでの下の立場で求められてきたものとは異なります。異なる以上、下の立場のころに積み上げた実績だけで昇格するのは非常に危ういのです。

しかし、平凡な経営層や管理職層ではそれがわかりません。

実績…主に数字を見て昇格を決めます。
昇格相手の実力やスキルを見ようとしません。
見ているつもりかもしれませんが、結局数字以外が判断材料になりません。

その結果、上の立場になってしまった「上司」は上司としての能力を持たずに引き上げられ、上司であることの意味や責任もこれまでのエスカレーションか何かと勘違いして「求められる数字が大きくなっただけ」程度にしか考えていない存在となってしまいます。当然、組織のマネジメントや部下の育成なんて知識としてその重要性を理解していても、実践すべき要素とは考えなくなります。

そうして時間が過ぎ、中高年となったときに

 「その程度のこと、誰でもできる」

とリストラ対象になってしまうわけです。
まぁ、完全に人事権を持つ人たちのマッチポンプなんですけどね。

一応中高年をリストラ対象にして若年層を残そうとする表向きの理由としては、「若い世代の体力や行動力に期待している」ということなのかもしれませんが、そういっていれば若い世代は何も考えずについてきてくれると思っているところがお花畑です。

一方で、数年前から若い世代にも大きなムーブが来ています。

夏は、入社したばかりの若者が早々に退職してしまって困り果てているという話を耳にする機会の多い時期です。少し注意しただけなのにパワハラだと言われたり、頑張っているように見えたのに突然会社に来なくなったり。

またロクに育成もしてこなかったせいで、中堅層も延々とやらせてきた作業以外のタスクや仕事について新人と同程度のパフォーマンスしか出せない…と嘆く企業も多いといいます。

若い人材が売り手市場の今、若者は躊躇なく離職します。
20代で4社目5社目という人も珍しくありません。
そんな若者に職場のオトナは振り回されるばかりです。

平賀充記『なぜ最近の若者は突然辞めるのか』

今の日本では「パワハラ」「メンタルヘルス」「ブラック企業」などといったネガティブな造語がたくさん作られ、長らくメディアを賑わせています。それはひとえに日本企業の多くが、そうやって従業員を食い物としてきた歴史を表しています。

当然、中高年の人たちがかつて受けてきた指導法は今となってはまったく通用しないものです。ちょっと厳しく指導したら想像以上に部下が傷ついてしまったり、仕事を頼んでもどうすればいいんですかと考える間もなく答えを聞いてきたりということも珍しくありません。少なくとも「根性」なんてフレーズで何でもかんでも押し付けることが正しい時代ではなくなりました。

逆に「デキるやつほど、あっさり辞める」といった傾向もあります。

そんな若者の心にはいくつかの特性やキーワードがあります。

彼ら彼女らが持つ常識や価値観は中高年が持つものとは相当違います。全く異なる形をしているといっていいでしょう。その違いを知っておくだけでもマネジメントの質は大きく変わっていくことでしょう。


おそらくは上司や先輩の立場になると、自分の下に就いた部下や後輩に対して『好きなように利用できる』と思っていませんか?

私はこれを

 「上司の部下に対する甘え」

と呼んでいます。まぁ上司と部下の関係性のみに限らず、多重下請け構造のような上下関係の中でも垣間見られますけどね。

人事権を有するがゆえに部下を自由に「使える」と勘違いしている上司のなんと多いことでしょう。逆に、上司であるがゆえにたいていのことは「忙しい」といえばさらに上から要求されている数字以外の責任は逃れられると勘違いしています。

上司は、自らの働きだけで組織の数値目標を達成できるわけでもなく、部下たちに相応の働きをしてもらえないと自らの食い扶持も稼げない存在であるにもかかわらず、自らと部下たちとの関係性のなかにwin-winを構築しようなどと考えません。常に自らをwin、部下をloseとしようとします(自分にとって都合が良い結果しか考えず、部下にとって良い結果かどうかは考えない。部下はそれに耐え続け、いずれ自分が上司になったときに「自分もやっと同じことができる」と勘違いして似たような振る舞いを行うようになる…という負の連鎖が完成します)。

部下に何か仕事を押し付けるにしてもそれを自分に与えられた特権と思っているでしょうし、仕事を依頼するだけならまだしも「会議を開く」にしても「成果を見て叱る」にしても全て自分の思い通りにコントロールできると思っているでしょうし、思い通りにならなかったら声を荒げて人前で叱り飛ばすことも辞さない人だっているでしょう。

そして、それら一つひとつには『時間』と言うリソースを費やします。
しかも自分の時間だけでなく、相手にしている部下の時間も同量奪います。

そもそも「今時の若いやつは」といった議論は、どんな時代にも存在してきました。人は誰しも年齢を重ねるほど自分の人生経験という一定の枠組みにとらわれてしまうものなのかもしれません。団塊の世代、バブル世代、ロスジェネなどといった呼称がかつてありましたが、戦後最大の世代間ギャップが

昭和46〜56年生まれのポスト団塊(ロスジェネ)世代と、
昭和64〜平成16年生まれのゆとり世代の間

にあるのです。

教育だけの問題ではなく、景況感が一番の大きな原因。さらにデジタルリテラシーの違いは相当なものでしょう。常識が根底から違うのです。

コミュニケーションをとる…いわば人間関係を円滑にするうえで、最も重要なことは「相手目線」になることです。社会人としてベテランでもあり大先輩でもある中高年層にとってこんなことはいまさら言う必要もないほど常識中の常識です。

小さな子供と話をするとき。
専門的なリテラシーの低いお客さまを相手にするとき。

どんな時でも、自分がどんなに優れていたとしても、相手の目線まで下りていかなければ話はできません。まさか小さな子供相手にビジネスライクな話の仕方をして通じると思ってる人なんていないでしょう。それほどごくごく常識的な話です。

ですが、上司は部下に対してそのような態度を決してとりません。

そう言い切れるくらい、相手目線に立ってwin-winであろうとする上司というのは稀有な存在なのです。実際には世の中のどこかに存在していると私も思います。思いますが、そういった上司を未だかつて見たことがないのです。

それくらい上司は部下に対して甘え切っているわけです。
そもそもそういう姿勢がブラックな組織やハラスメントを助長させているにもかかわらず、そのことに気づけないような上司ばかりが目立ちます。

また、生活基盤のデフォルトがオンラインなのかオフラインなのか、現代の若者は閉じられたリアル社会ではなく、解放されたSNS社会の中で仲間を見つけてそこを住み家としている人も多いといいます。

早くからスマホを手にして人間関係を築いてきた若者たち。

SNS的コミュニケーションの取り方を踏まえておく必要がありそうです。そんなSNS社会に住む若者の特性はさらに細分化されるようです。

そのうちの一つである「時間価値」とは、時間に対して価値を見出す考え方です。

つまり「時間を無為に奪われる」こと自体がハラスメントに通じるということになります。何十分も説教することは時間を奪うというハラスメントになり得るということを非生産的で無駄に時間を費やすことに意義を見出している旧時代の上司は知っておく必要があります。

そして、たくさんのフォロワーとつながり、いくつものコミュニティに所属して動いている若者は、どうやって時間を生み出していくかというタイムパフォーマンスを追求しているといえます。

まぁ、なかなか仕事にそれが活かせる若者はそう多くはないのですが、少なくともプライベートではそれができる世代と言えるでしょう。部分的な環境とはいえ使いこなせている以上は、いずれビジネスのなかでも利用できる機会が訪れることでしょう。

いずれにせよ、残業時間が削減されている現代において、いくら相手が部下とは言え、自分の欲求や都合を押し付ける形で"他人の時間"を無意識のうちに費やしてしまうことがないようにマネジメント層は気をつけていかなくてはなりません。

上司であること自体が部下にとっての、あるいは部下の仕事にとってのボトルネックになっているようでは目も当てられません。

時間を奪うなら、その奪った時間に見合ったインセンティブを支払わなければ若者は納得しないのです。

たとえば、ネチネチと本題に入らない説教ほど無駄な時間はありませんね。

中には、人格否定までしてしまう上司もいたりします。

問題があれば、問題個所を特定したり、解決策を提示するだけで済むはずなのに、説教する側の上司もたいして指導力が無いのか、

「もっといい感じにできないのか、お前は」
 →"いい感じ"と言うフレーズを使っている時点で指導力の無さが伺えます。

「俺が言ったことはそう言うことじゃねーよ、ちゃんと聞いてたのか」
 →問題は"ちゃんと聞いていたかどうか"ではないはずなのに話が脱線しています。

「だからお前はダメなんだ」
 →問題個所があることと人に問題があるかないかは別問題です。
  そもそも完璧な人はいませんし、説教している上司ですら完璧ではありません。
  自分にできないことを他人に要求するのは「人でなし」の証拠です。

「向いてないんじゃないの?」
 →部下の把握もできていない上司のセリフですね。
  向いていないと思うなら、なぜその仕事を任せているのかという話です。
  ちなみに"業界に向いていない"ということは原則あり得ません。
  タスクフォーカスを小さく分類すれば必ずマッチングします。
  少なくともIT業界は多くのスキルの集合体で成り立っています。
  このセリフが出た場合、向いていないのは"上司"のマネジメント能力の方です。

現代の若者とのコミュニケーションキーワードは、以下のとおりです。

 「win-win」
 「上から目線ではないフラット目線」

 「一人ひとりを意識した個人レベルの対応」
 「レスポンスの重要性」

このキーワードに一般的なマネジメントセオリーを当てはめてみると、まず関係性を作り、共感を育んで心理的安全を提供し、内発的動機に点火するといった王道のプロセスが浮かび上がってきます。

簡単なところでは、TwitterやInstagramなどで「いいね」を押すように、とりあえず一言レスするだけでも違います。現代のマネジメント層に求められているのは、ちょっとした工夫で若者の居場所を作り出すことであるといえるでしょう。

そして、それが出来なさそうだと言うのであれば最終的には「ダメなら辞められても仕方ない」というくらいの開き直りも必要なようです。もっとも、そんなことをして毎年若者が定着し無くなれば遠からず組織は破綻してしまうのですが。

現代は、旧時代のようなヒエラルキー型の組織構造において

 立場が上の人は無条件にエラい
 エラい人の言うことは絶対である

といった考え方は通用しません。
実際、欧米や外資系の企業はともかく、日系企業において立場が上の人は部下より必ずエライものだ…という組織がどの程度あるでしょう。ゼロではないでしょうが、おそらくは数える人しか存在していないはずです。

事実、今の会社でもそうですし、前職でも、その前もそうでしたけど、

 「在籍している部門に求められる最も重要なミッションにおいて
  最も理解しているのはだれか」

と言われたときに、私以上に理解している人は誰一人としていませんでした。そのため、私がその専門分野において最も適切にマネジメントできる存在でしたが、そのことを理由に私が上司をしたことはありません。常に私の上司には私より知識も経験もなく、私が裏で支えなければまともに判断もできないような人たちが上司を担っていました。

マネジメントをするためには、そのマネジメントの対象となるものに対する知見がある程度必要になるのですが、企業にとってはそうしたマネジメント能力やそのための必要最低限の基礎知識すら要求していなかったということなのでしょう。

最低限の基礎知識すら持たなければ、部下の育成すら成立しません。
組織のパフォーマンスを最大化する手段すら持ち合わせていないことになります。

そして部下が望んだとおりのパフォーマンスを出せなければ、裏でこっそり「何でこんなこともできてねーんだ、クソが」とストレスをためるだけで何一つ解決できない上司が醸成されていくだけです。

こうした組織の作り方は、ブラック企業が横行することを許していた前時代的な考え方に則ったものです。現代で用いていいようなものではありません。ですが、現実問題としてこうした考え方を当然とする上司や経営層はビックリするほど多いのです。

『立場』とは組織を最も効果的に機能させるための役割でしかなく、『肩書き』などというのはただの記号です。与えられた役割を十全に果たせなければ「絵に描いた餅」と何も変わりません。

役割にはその役割ごとに見合った仕事やミッションが用意されていて、それらを必ず完遂させる責任があります。その責任を果たせるだけの権限が与えられているにすぎません。

上にあがればあがるほど「部下を統率して大きな目標を成し遂げる」と言う役割もついてきますが、「そのために部下をいいように利用してもいい」と言う権限は与えられていません(もしも与えている企業があったら、それは完全にブラック企業です)。

それがわかっていない上司ほど、部下の離職率は大きいのではないでしょうか。

裏を返せば、そういう上司を重宝する企業とは早々に縁を切ったほうがみなさんのためです。そのような企業でどんなに貢献しても、まともではない上司をのさばらせておく手助けをしているにすぎませんし、何よりみなさん自身の時間が大幅に奪われるだけです。

人生を無駄にしないためにもしっかりと考えたほうがいいかもしれません。

そして、そう言ったマネジメント層…いわゆる上司に不足しているのは、実は

 ヒューマンスキル(人としての基礎力)

です。ヒューマンスキルと一言でいっても、具体的にはさまざまな能力があります。

・コミュニケーション力(報連相をふくむ"情報や認識を共有・継続する"力)
・ヒアリング力
・コーチング力

・ロジカルシンキング
・プレゼンテーション力
・交渉力
・動機付け
・リーダーシップ力
・向上心

どんなに話すのが上手くても、どんなに開発の知識が多くても、一つひとつが部下をマネジメントする能力にとって必要条件となることはあっても十分条件となることはあり得ません。ごく一部だけ優れている人…という上司はいるかもしれませんが、ごく一部だけで組織を賄うことはできません。総合力が必要なのです。

そもそも対人関係を良好なものにするには、相手の性格を把握して対応できること大切です。一人ひとり、性質も性格も異なる相手に対して、より良い関係性を構築していかなくてはなりません。

そして相手の考えを聞き、話の本質を理解する必要があります。

論理的に考え、個人はもとよりチーム全体の意見をうまくまとめ、プレゼンし、多くのメンバーを誘導することも大切なスキルです。そして自分の意見をうまく伝えて意見交換・交渉を行います。マネジメント層などでは、部下が主体的にものごとに取り組むため、効果的に動機付けをすることが重要です。チーム全体をまとめるためのリーダーシップ力・向上心なども大きく関係してきます。

ヒューマンスキルはあらゆるビジネスシーンで活用できる一方、なければ苦労することも多いといえるでしょう。少なくとも組織を率いる立場にとっては必須条件といえます。

それが無ければ部下の、あるいは若者の離職を止めることは決してかないません。
仕事は組織で行うものであり、上司の主義主張だけで成立するものではないからです。

多様な働き方が推進されるなか、

 組織が大きくなっていくためにも、そして
 個人が高く評価されていくためにも

これからもっと必要になるスキルのひとつです。

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