見出し画像

マネージャーには心が必要だけど、マネジメントに心は持ち込むな

マネジメントの目的は

 「目標に到達できるよう、リソースをコントロールする」

ことです。

決してそこにかかわる人たちの好き勝手に放置することではありません。

マネジメントが必要な活動や組織にかかわる以上、かかわる人たち…ステークホルダーはみな一様にマネジメントの定めるルールや手順などに従う覚悟が必要です。それができないのであれば、マネジメントが必要な組織にかかわるべきではありません。

しかし、かかわる人たちも人間。

自分自身でもコントロールできない「心」というものがあります。
当然、マネジメントをふるうマネージャーも「心」を解している必要があります。

けれども逆説的な話かもしれませんが、マネージャーが推進するマネジメントにおいては「心」は邪魔です。害悪といってもいいでしょう。

もしもマネジメント対象とするステークホルダーが1名であれば、心も使いようかもしれません。ですが、複数名存在する場合、たとえば「お客さま」「上司」「メンバー」等とそれぞれ良好なマネジメントを築いていこうとした場合、心を砕いて八方美人でいることが果たして良いマネジメントといえるでしょうか?

お客さまに対しては、お客様に都合がいいことをお約束し
上司に対しては、上司が最も喜びそうな提案を行い
それでいてメンバーに対しては、メンバーにとって最も居心地がいい環境を作る。

それができれば理想的かもしれませんが、それぞれがそれぞれの心を優先し、我欲を全面に押し出してくれば両立するのは至難です。そもそもマネジメントの目的は冒頭にお話ししたように、ステークホルダーのご機嫌を取ることではなく「目標に到達できるよう、リソースをコントロールする」ことです。

それ以外のノイズに振り回されている時点で、それはマネジメントとかけ離れたものとなってしまいます。

仮にどんなにメンバーにとって居心地がいい環境を用意したところで、それがだらけるだけの結果にしか結びつかないなら、そんなマネジメントは無意味でしかありません。


メンバーから信頼されたうえで、チームを適切に動かすためにマネージャーは、目標到達のためにどうしても必要な「やり方」「考え方」がブレないで一貫していることが必要です。

もちろん、間違いに気付いていながら自身のやり方に固執して変えようとしないのはNGです。

マネージャーは、チームを統率する上での方針ややり方を決めているはずです。そうでなければマネジメントなんてできるはずもありません。方針もなく、計画も立てず、そしてやり方・進め方すら明確になっていない…人はそれを「無法地帯」と呼びます。

何も決めずに無策でチームを統率しているのであれば確実に失敗することでしょう。
マネージャーとして風下以下の存在です。

マネジメントにも、対象となる活動の目標次第で様々なルールや決め事があると思います。たとえば、

 ・メンバーへの接し方
 ・タスクゴールの設定方法
 ・仕事の評価の基準
 ・チームやメンバーの仕事の結果についての会社への責任の負い方
 ・仕事を進める上での種々の判断の仕方
 ・判断基準

などがあります。

また、私たちが多くかかわるITにおいては、システム開発を推進していくうえで「エンジニアのあり方」「顧客との関係」をどうするか、「会社組織とは」「仕事とは」などについての考え方や哲学を決めて(持って)いるマネージャーも多いことでしょう。

このような決めている考え方ややり方がブレるようではいけません。多少の状況の変化や回りからのプレッシャーなどで安易に変えないようにすることが必要です。他人の顔色を見てコロコロ変えるなんてもってのほかです。

安易に変わったり朝令暮改を繰り返したりすると、メンバーはその都度振り回されてどう動いてよいのかわからなくなり、結果としてチーム全体が混乱します。そうでなくても手戻りが増えてパフォーマンスは低下するのがオチです。

もちろん、リーダーシップとしての信頼も失います。場合によっては「そんなリーダーにはついていけない!」と反旗を翻されるかもしれません。

そうしないためにプロジェクトでは

 キックオフ

があるのです。

キックオフは、リーダーのやり方や考え方を形にした「計画書」をもとにその内容(目的、目標、手段等)をあらかじめ伝えておいて、メンバーのみんなが付いてきてくれるように教育や指導、誘導するためのものです。プロジェクトにおいて関係者のベクトルをそろえるために必要なコミュニケーションの第一歩と言っていいでしょう。

「ふりかえり」でも説明しているように、本当に振り返って評価すべきは、

 「計画と実績との差異」

です。これこそが最も重要となります。これができなければ『評価(=答え合わせ)』が叶わないからです。

「実績に問題があったのか」がわからなければ、実績をあげるために活動しているメンバーの活動を最適化することはかないません。何が正解かもわからないまま暗中模索しているような状況を許容しているということだからです。

 「何が正解もわからない」

人にマネジメントは務まりません。

何が正解かもわからないということは「計画を立てられない」ということです。そして計画を立てられないということは「適切な見積りができない」ということです。そんな人の未来予測に対して何が信用できるというのでしょう。メンバー一人ひとりは何を信じて自分の人生を預ければいいというのでしょう。

計画が立てられない人間にマネージャーが務まらないというのはそういうことです。
誰の人生も背負えないということです。

「計画に問題があったのか」がわからなければ、誤ったままでメンバーを道連れにする可能性があるということです。最適な計画に改善することもできません。そうなれば「誰が悪い」「自分は悪くない」と他責にするだけの醜悪な組織が完成します。


先述のように、計画はマネージャーから展開し、メンバーが了承した目的、目標、手段などの集合体です。これをコロコロと変化させないと言うことは、計画の内容通りに終われることが最も優れた終わり方であると言うことになります。

だからこそ、

 予定よりも早く終わった
 予定よりも利益がたくさん出た
 予定よりも… etc.

というのは計画が杜撰だった証であって、「評価」という意味では必ずしも褒められたものではありません(実際には、工事進行基準のような会計上の考え方にも共通するのですが、知っている人は少ないようです)。

 1. 計画を立てる
 2. メンバーに周知する
 3. 計画は容易に変更しない
 4. 計画通りに進める
 5. 計画差異が少ない状態で完了する

これがマネジメントの正しいあり方です。

(偶然または奇跡的に)利益を上げる人が優れているのではありません。
計画通りに進め、計画通りに利益を出せる人が優れているのです。

計画通りと言うことは、大抵の場合は残業過多になることもなく顧客満足度も高い目標になっているでしょうから、顧客⇔自社⇔従業員の間で、本当の意味でのWin-Winが築けるようになります。

この考え方を根本として持っていないようでは、たとえば売上や利益は予定以上に出したとしても、

 「従業員を3人つぶした」
 「顧客は「もう二度とおたくに仕事は出さない」と言った
 「協力会社がみんな逃げていってしまった」

では意味がありません。

目先の金銭的な目標だけ到達しても「次」のビジネスにはつながりません。リソースが減り、機会を損失し、口コミ等で評判を下げる…そんなことをしてまで目先の収益にかまける意義というのは本当にあるのでしょうか。

私に言わせると、

 「自分の代でこの組織を終わらせる」

と公言しているようにしか見えません。
そんな人間の何を信用して、任せればいいというのでしょう。


そして重要なことは「評価」を行う際、

 自分自身(が決めたルールや方針等)を常に正しい

という勘違いを絶対にしないことです。決めたことが適切でなかったと確信した場合には、自らを改めることも重要です。その場合には変わったことがわかるように明確にメンバーに示し、変えた理由や今後の進め方を伝え、その変更が妥当であることを認めてもらうようにしましょう。

あまりにも稚拙すぎてコロコロ変えるようでは困りますが、かといって自分の決めたことに固執して過ちを認められないような器の小ささでも害悪にしかなりません。

もちろん、人の記憶や認識に依存し続けるわけにもいきませんので記録化することも重要になってきます。計画を「計画書」にする必要性はここからきていると言っていいでしょう。

そして、やり方や考え方、進め方、文書の様式等に変更が加わる場合、基本的にお客さまからの仕様変更と同じ扱いで、メンバーには気持ちや意識を切り替えてもらう必要があると考えましょう。

これは、「変更管理(変更依頼管理)」の一部になります。

すべては仕組みの上に成り立ち、自分自身も含めすべてが仕組みに従って活動できるようにしましょう。人から心を切り離すことはできませんが、だからと言って心を優先して仕組みをおろそかにしていい理由にはなりません。

お客さまの予算を用いて
必要な活動分だけの経費を消費して
お客さまの要求を満たす

これがビジネスの本質です。
そこに我儘な心を介入させていいはずがありません。

いい仕事をしたければ「心」と「使命」は切り離すべきですし
それを嫌がる人は重用される資格がないといっていいのではないでしょうか。

いただいたサポートは、全額本noteへの執筆…記載活動、およびそのための情報収集活動に使わせていただきます。