無価値な振り返りと価値ある振り返り
「振り返り」という言葉がありますね。
企業や業界によって「内省」「リフレクション」など表現が異なることもあるでしょうけど、要するに
経験を未来に活かす
ために実施される活動のことです。そして未来に活かせなかった場合は翻ってその振り返り、内省、リフレクションは目的を見誤ったまったく価値のない内容であったといっていいでしょう。仮に感情的に認めたくないとしてもこの事実は変わりません。なぜならありとあらゆる結果はより良く改善できるようになっているからです(なっていないとしたら、それはおよそ人間の所業ではありません。人間という不完全な生き物が成す結果だからこそ、失敗は成功に、成功はより良い成功に改善できる余地が必ずどこかに存在します)。
ですが、一般にはこれを正しく行えている組織や人というのは案外少なかったりします。
通常、「振り返り」というと次のような論調で過去を語る人が出てきます。
もう少しわかりやすくいうと
と言っているわけです。
前者のようにオブラートに包まれているならばともかく、後者のように露骨に言われるとどうでしょう。みなさんはそこから何か効果的なシナリオを導き出すことはできますか?
これ、実際には後者の意見を超オブラートに包めば前者のように表現されるってだけなので、こんな振り返りを認めていたらまともに次に生かせない組織になるのは当然です。
そもそもこの
というサッパリした一文はいろいろと情報をまとめすぎですし、まとめてしまったせいで最低でも経緯を完全に無視した「状態(=結果論)」が2つ存在しているがために聞く方もなんとなく考えることをやめてしまっているのかもしれません。
具体的には
というように「問題が発生した」という結果と「リカバリができた」という事実を1つの文にサマリすることで内容を薄っぺらくしてしまおうというものになります。さらに最後の「よかった」という言葉は、ただの意見…Opinionです。
問題を起こすことさえなければ、リカバリを行う工数・労力も費やす必要がなかったわけですから手戻りコスト+そこまでにかけたコストの2倍無駄を生み出しているということに気付くべきです。
事なかれ主義的な自己満足で終わるような振り返りは避けたほうがいいでしょう。そんなことをしていても成長は阻害されるだけで、誰も得をしません。というか、自分自身が一番損をします。
こうした振り返りのなかで重要となってくるのは、事実にもどつく客観的な「状態(結果)」を正確に把握することと、その状態に至った因果関係を持つ「経緯(原因)」だけです。
たとえば先ほどの「問題が発生した」という結果に対してはどう考えるべきかというと…
こうです。
逆に、「リカバリできた」というポイントにも焦点を充てなくてはなりません。
物事は常にマイナスだけではありません。プラスに転じさせたのであれば相応の効果を持つノウハウになります。たまたまであっても言語化できる内容であるならば、しっかり言語化して共有しておかなければ組織としての成長は望めません。
真に振り返ることで価値を生み出すことを目的とするのであれば、確認すべきことなんてこの程度しかありません。
たまに「振り返り」をだれかを責めたり叱ったりする場に利用する人もいますが、それは最悪手です。そんなことをしては、報告者はみな自己保身に走るに決まっています。報告内容から本質がどんどんかけ離れて行ってしまうことになりかねません。
とにかく過不足を作らないことです。
振り返りの目的はただ1つ。
『経験・実績を次に活かせる形にする』ことです。
それ以外に脱線することを許してはなりません。
必要な要素は
事実情報
因果関係を明らかにする
論理的な分析
そうすることで「次からの具体的で自ら実現可能な行動指針」を構築することが可能となるでしょう。もし評価を取り入れたいのならば、ここで宣言した指標を理由なく実施しなかった場合のみです。
また不要となる要素は
責任を問う、または責める姿勢/人
後悔
評価
曖昧/抽象的な表現でお茶を濁す行為
嘘、虚言
プライド、感情
こうしたものは事実情報を正確に把握する行為の阻害要因にしかなりません。「実行・実現のめどが立たない行動指針」や「他人任せで自ら実施することが困難な行動指針」なんてものはゴミや邪魔になることはあっても何一つメリットがありません。
こういうことに固執して本質から遠ざかろうとするような人たちがいると、絶対に振り返りは活きてきません。次に活かされることはないでしょう。
それだけで「振り返り」を実施する時間が無駄です。
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