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002 黒海の空飛ぶサーフィン / 戦場まで何マイル? / 全てはうつろい
「ショギョー ムジョー! How are you?」
とブルガスの空港で迎えてくれたのは大学時代の友人だった。彼はブルガリア人で20年前に日本にも遊びに来てくれたこともある。彼の故国ブルガリアにも来いよと誘われ続けて20年、ようやく昨年の夏に訪れることが出来た。
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彼とは学生寮で隣の部屋だったことから仲良くなり、一体どういうタイミングが覚えてないけれど、諸行無常、という日本語を彼に教えて以来、よほど気に入ったらしく、メールのやりとりでも最後にSyogyo-Mujyo!とまるで挨拶のように使う。
文科系でナヨナヨしている僕と違い、友人は肉体派でスポーツ万能。
黒海の海辺の街ポモリエ Pomorieに住む彼は今カイトサーフィンにハマっているらしい。
実際にカイトサーフィンを楽しむことができるビーチまで連れて行って見せてくれたが、サーファーはほとんど空を飛ぶ如く、風で舞い上がってはアクロバットに遊んで、海に着陸することを繰り返す。うーんすごいな、これは。
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この場所の絶えず吹きつける強烈な風と波の大きさがあってこそ、カイトサーフィンを楽しむことが出来る。しかし、あのような上空まで舞い上がったら、さぞかし気持ちいいだろうな。
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ポモリエ は黒海に面した海辺の町で塩が取れることから歴史的にも要所であったらしい。国内の観光地としては隣のブルガス Burgasやネッセバル Nessabarの方が街としては賑わいがあり、ポモリエは静かに海水浴を楽しめる美しい場所で、のんびりと再会を楽しんだ。
しかし、この写真を撮ったのは2022年の8月のことで、このポモリエの海の向こう岸というのは、ロシアとウクライナがまさに戦闘中の場所であり、距離にして1000マイルもないのじゃないかしら。このブルガリアの地方都市の長閑な場所や人々の生活・表情から、向こう岸の戦争のことは想像が全くできなかった。
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全てはうつろい
”All is transient”
David Bowie
全てはうつろい
デヴィッド・ボウイ
友人にブルガリアの海岸線を案内を受けて名所から名所へと辿っていくと、
ここはまた西と東の勢力がぶつかりあう場所であり、いつも大きな力によって翻弄され続けてきた場所であったこと(そして現在も)が垣間見られる。
おおざっぱにいっても、東ローマ帝国による支配(キリスト教圏)があり、オスマントルコ(イスラム圏)、その後ソ連による支配(共産主義)。そしてソ連崩壊後は自由主義社会へ組み込まれる(資本主義)、と時代の波と勢力争いの場として翻弄され続けている。
現在でもなお、西ヨーロッパからの観点からみて、旧東側への防波堤としての機能することを期待されているのはウクライナと多少は同じことだろう。
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ポモリエの隣町であるネッセバルには聖堂多くが残っていて、世界遺産にも登録されている。
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19世紀末にブルガリアとして独立するも、実際はオスマン、ロシア、ヨーロッパ列強に翻弄され続ける。第1次世界大戦でオスマンが消滅したのはいいけれど、第2次大戦後はソ連が入ってきて共産主義政権となる。ソ連崩壊後は徐々に資本主義社会化が進み、今に至る。友人の家のまわりには、共産主義崩壊後に見放された構成主義っぽい建築物が廃墟として存在していた。
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構成主義っぽく、直線や平面、立体を存分につかってる感じ
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大正15年出版された村山知義の『構成派研究』の新版
文明と文明の間にあるという場所は常に取り合いの対象となってしまう。
友人家族はソ連崩壊後にカナダへ移住し、僕もカナダ・バンクーバーで彼に出会った。友人は大学卒業後は各地を転々として、今は故郷のブルガリアの海の見える街でなんとも平和に暮らしている。
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友人はドイツ系の会社でプログラマーとして働いていて、月に一度首都ソフィアにあるオフィスへいく。それ以外の日は自宅でプログラムを組み、仕事の時間は決められていない。仕事以外の時間をサーフィンで遊んだり、パートナーとタンゴを踊って過ごしている。彼のお父さんが言ったという「金が問題ではない。金がないことが問題なんだ」という言葉に学んだかどうかは知らないけれど、彼も必要なだけ働き、海とタンゴを中心にして多くを求めない暮らしをしていた。
僕たちは観光に疲れて、古い正教会のなかへと暑さを避けるために入ってみた。僕はクリスチャンでもないし、友人もそうでもないけれど、静かに頭を垂れて目を閉じて休んでみたら、そこには静かな時間だけがあった。
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