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004 旅の間違いはコメディのはじまり 中編 / ルーマニアの宝石 / 次に吸血鬼と呼ばれるのは誰か
前回の電車乗り間違えにもめげずに、何とかシギショアラの街についた。
シギショアラはトランシルヴァニアの主要都市として12世紀頃からハンガリー王の命により職人が沢山すんでいた場所で、ルーマニアの宝石とも呼ばれる。技術者が多くすんでいたこともあって、建物や工芸品など見た目が美しく、特に歴史地区と呼ばれるエリアは街もカラフルで歩いて楽しい。
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トランシルヴァニアの名は、吸血鬼ドラキュラの話などで登場するけれど、そのドラキュラ伯爵のモデルであるヴラド3世の生家がここシギショアラには現在レストランとして残っていたりもする。
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トランシルヴァニアは、地図で確認してみれば、
カルパティア山脈に囲まれていて、他のルーマニア地域と山によって隔てられる格好にもなっている。
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そうトランシルヴァニアは、カルパティア山脈を防壁として、
この高い場所から敵国(例えば、モンゴル帝国やオスマン帝国)の侵入を監視し、技術力をもって対抗する、という防衛の役割を担っていた。
ハンガリー王が何故この街にドイツ系の職人を集めていたかは、そうした事情によるらしい。
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トランシルヴァニアは現在はルーマニア領だけれども、第一次世界大戦でオーストリア=ハンガリー帝国が敗れる以前はハンガリー領。更にさかのぼるとオスマン帝国の保護下に置かれた時期もあり、前に書いたブルガリア同様に立場は違うけれども、大きな勢力と大きな勢力との間で揺さぶられてしまう場所。
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防衛の為の見張りとしても使われていた。
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次に吸血鬼と呼ばれるのは誰だろう
中世から技術力を誇ったことがそのデザインの美しさからも一目に了解されるこの街で、吸血鬼と後世から呼ばれたヴラド3世のことを考えていた。
彼が生きたのは15世紀頃で、トランシルヴァニア生まれだけれども、お隣のワラキアの君主であった人。ワラキアと呼ばれる地域はトランシルヴァニアの山脈を超えて南に位置し、ドナウ川を挟んで更に南には現在のブルガリアがある。そして、ドナウ川より南は当時オスマン帝国の支配下だった。
こういう場所に国があるということは、双方の大国から常に「お前はどっちの味方なんだ?」という選択を常に迫られる。それに翻弄される形で、国内の貴族もまた、政争に明け暮れ、裏切り、謀略もあれば、政治利用が繰り返されてしまう。
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15世紀にバルカン侵攻を狙うオスマン帝国からの攻撃を、ワラキア王ヴラド3世は策略を巡らせ国力に圧倒的な差があったにもかかわらず、これを撃破する。
しかしながら、緩衝地帯に位置する国のサダメ、
西のキリスト教世界を守った英雄として扱われて当然のヴラド3世は、後援者であるはずのハンガリー王マーチャーシュ1世の思惑により政治利用され、その地位をはく奪される。
ついにはヴラド3世は幽閉され罪人とされてしまう。
この時マーチャーシュが使ったのが当時の最新メディアであった印刷技術であったという。ヴラド3世が残酷でどれだけヤバい奴かをパンフレットにしてヨーロッパ世界にバラまいた。
僕等は自分で見た情報よりも、誰かが発信した情報(活字や映像)を通して世界観をつくったり、これが正しくて、アイツはやばい、なんて思ったりする。
どちらかの為に戦って、どちらかについてみても、何が本当かなんてわかりっこない。
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吸血鬼一家の長女である主人公ランゼのお父さん
ヴラド3世の残忍さや異常性が強調されたイメージだけが後世に残り(残忍な処刑は本当に行っている)、19世紀の作家ブラム・ストーカーによって小説『ドラキュラ』によって、民間伝承である吸血鬼と一体化する。
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ハンガリーとオスマンの争いがこの街の特徴を作り、
そしてこの街に生まれたヴラド三世は、ハンガリーをはじめとするキリスト教世界の為に戦ったけれども、ヨーロッパ世界では残忍な吸血鬼として今に伝わる。
今を生きる僕らは文藝やマンガやアートやゲームなどを通して、吸血鬼を楽しんでいる。
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前線に立つ者は、利用されいるうちはチヤホヤされて、用が無くなると化物呼ばわりされてしまう。それは今も昔も同じなのかもしれない。
歴史の非情を思いながらも、目に映るこの可愛らしい街、ドラキュラのモデルとなった男の生まれた街はどこまでも色鮮やかだった。
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