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これから【ショートショート読切】

22時、小さな町の小さなビルの一室に3人がまだ仕事をしていた。

「おい、こないだの高木のミス、笑っちまったよ。」

「何です?どうしたんです?」

「…。」

最初に口を開いたのは垣野内だ。
禁煙のマークがいたる所にある室内でプカプカと煙草をふかしている。
垣野内に返事をしたのは鳥谷だ。
鳥谷は垣野内に右へならえといった具合に煙草に火を点けた。
無言でパソコンに向かっているのは青木。
雰囲気は暗い感じだ。
青木の向かいのデスクに垣野内が座り、青木の右横に鳥谷が座っている。
そしてその高木とやらのミスの内容を垣野内が鳥谷に話終え、一息つくと垣野内は更に大きな声で再び話始めた。

「ホント高木のミスはひでぇもんだったよな。もう俺大爆笑よ。」

「ホントっすよね。馬鹿丸出しですよ。」

「…。」

「でもさ、その高木のミスのツケをよ、何で俺らが払わなきゃいけねぇんだかよ。なぁ?」

「ホントっすよね。こんな時間まで。」

「…。」

「青木、お前もおんなじようなミスしてたよな。」

「…。」

「ホントっすよね。青木の方が酷かったんじゃないですか?アハハハ。」

「…。」

垣野内も鳥谷も手を動かす事なくお喋りに夢中だ。
缶コーヒーの空き缶に押し込めた煙草の吸い殻がどんどん溜まっていく。
それに比例し、部屋の中は紫煙に包まれていく。

「あん時の青木も酷かったな!ハハハ!徹夜でプレゼン仕上げてよ!半泣きになりながらよ!ハハハ!」

「ホントっすよね。酷いもんでしたよね!ハハハ!」

「…。」

カタカタと青木がパソコンのキーボードを叩く音が室内に響く。

「おい、青木。無視してんのか?それとも集中してんのか?」

垣野内が凄みながら煙草を缶コーヒーの空き缶に煙草を押し込んだ。

「いえ…。早く終わらせたいな…と…。」

青木は恐る恐るといった具合に口を開く。
しかし、青木は答えながらもパソコンから目を離さない。

「ほぅ…感心だな、青木。」

鳥谷が垣野内の後に続いて青木に声をかけた。
そして畳み掛けるように垣野内が続ける。

「そもそもお前が高木にちゃんと教えておけばあんなクソみたいなミスしなかったんだよ。普段偉そうにしてないでポイントをちゃんと教えろよ。この仕事も責任持ってお前が最後まで仕上げろ。」

「そうそう、垣野内さんと俺が終わったらチェックしてやるから。ハハ。」

「はーい、やり直しぃーってな、ハハハ!鳥谷、コーヒー買ってこいよ。お前も買っていいから。」

垣野内はズタボロの小銭入れを鳥谷に向かって放り投げた。

「はい、ごちそうンなります。青木の分は?」

垣野内の小銭入れをキャッチした鳥谷は垣野内の返答内容が分かっているかのようにニヤニヤしながら質問を投げかけた。

「青木のせいでこんなんなってんだぞ?こいつに飲ますコーヒーなんか無ぇよ。」

垣野内の返答内容は鳥谷の予想通りだったようだ。
鳥谷は片方の口角をいやらしく、大きく上げるとそのまま部屋から出て行った。
垣野内と青木の2人だけになった室内に静寂が訪れる。
青木は一心不乱にパソコンを操作している。

「なぁ、青木。」

「は…は、はい。」

「お前は甘ったれなんだよな。」

「え…?」

青木はパソコンを操作していた手を止めて垣野内の方を上目使いで見た。

「ど、どういう事…でしょうか…?」

「お前、このまま日付変わったら俺と鳥谷が手伝ってくれるとか思ってんだろ?」

「あ…いえ…さっき垣野内さんが言ったように僕の責任もあるんで…」

垣野内は青木の発言に何か気に食わないものがあったのか、急にデスクから身を乗り出した。

「僕の責任もある…僕の責任もって何だよ。え?」

「…。」

「僕の責任もってお前以外誰の責任があるってんだよ。僕の責任ですからって言い方なら分かるけどよ。」

「…。」

「返答に困ったら黙り込むんか?お前は。」

「…。」

「ったく…甘ったれちゃんは…。」

ひとしきり詰め寄り終えると垣野内はドスッと乱暴に椅子に座り直した。

「青木、お前片親だったよな。」

「えぇ。母親だけです。」

「ハッ…。」

垣野内は鼻で軽く笑った。
実に嫌な顔付きをしている。

「だと思った。」

「だと思った…と言いますと…?」

「片親でよ、ママしかいないんだろ?かわい子ちゃんで育てられたから今だに甘ったれなんだ。なるほどね。分かった分かった。」

「…。」

「殴られた事もどぎつく怒られた事も無いだろ?え?」

「…。」

「無視かよ。」

「…あります…。…?垣野内さん、なんか変な音しませんでしたか?」

「話逸らして逃げてんじゃねぇよ。何も音なんかしてねぇ。へー厳しいママだったんだな。ハッ、厳しいったって片親のママなんて大して厳しくねぇだろ。いい子ねいい子ねーって。お前もお前でママぁ、ママぁって言ってたんだろうが。」

垣野内はまた煙草に火を点けた。

「お前は甘ったれて何でも教えてもらって教えてもらってそれでもろくに仕事出来ねぇ…。俺は一人で全部やってきたんだよ。」

垣野内は上を向き煙草の煙を天井に吐きながら垣野内は足を組み直した。

「俺は一人で偉そうな上のもんを叩き潰してきたんだよ。最初は随分と偉そうにされてきたよ。今はまぁあいつらも惨めなもんだよな。俺に蹴落とされてよ。俺の負けず嫌いもすげぇよな。我ながらすげぇ根性だと思うぜ?」

「…。」

「やっぱよ、人にした事は返ってくんだよ。偉そうにしやがって。」

「…。」

「お前はママに守ってもらってきたんだよな。俺は自分で切り開いてきたんだ。」

「…。」

「ハッ…いい子いい子の甘ちゃんが。」

「…人に…した事は…返ってくる…んですよね?」

「あ?」

ボソボソと喋り始めた青木の顔を垣野内はギロリと睨んだ。

「垣野内さんの言う通りと思います。」

「なんだ?何言ってんだ?甘ちゃん。」

青木は不気味な目で垣野内を見つめた。
どこまでも暗く、深い目だ。
部屋の周囲の空気がどす黒く可視化されたような雰囲気に飲まれていく。

「偉い方から偉そうにされて垣野内さんは嫌な気分になったと、そう言いましたよね?」

「てめぇ…何だ?こら。」

「そして垣野内さんに偉そうにしてた偉い方は垣野内さんに蹴落とされて今は惨めな身分に成り下がった。」

垣野内は椅子から勢いよく立ち上がった。
そして向かい席に座る青木の方へ足を進めた。
その目は怒りと動揺に満ちていて血走り始める。
しかし青木は淡々と話し始める。

「僕は垣野内さんにさっきからボロクソに言われて、鳥谷さんからも嫌味を言われて凄く嫌な気分でした。片親という事、そして母親が甘やかしたから僕という使えない人間が出来上がった、そんな事まで言われていい気分になる人はいませんよね。」

「んだ!こらぁ!!」

垣野内は我慢出来ず、青木の座っている椅子を思い切り蹴飛ばした。

「垣野内さん、人にした事は必ず返ってきます。それが今なのか、明日なのか、何年後かは分かりませんが必ず返ってきます。もう一度言います。僕は本当に嫌な気分になりました。」

垣野内は青木の胸ぐらを掴んだ。
しかし、その手に力は入っていない。
そして垣野内の目が泳ぎ始める。

「嫌な気分です。この気持ち…垣野内さんに返ったらいいなぁ…って本気で思ってます。鳥谷さんも…。最後にもう一度言います。僕は今、最悪の気分です。だから返ってきます。必ず。100%…必ず。もしかしたら書類で手を切るかもしれません、もしかしたら段差に足を引っ掛けて足をひねるかもしれません、もしかしたら交通事故にあって重傷を負うかもしれませんし、…強盗に会い刺し殺されるかもしれません…。そしてそれが今日なのか…明日なのか…いつ来るか分かりませんが…必ず厄災は降りかかるでしょう。」

青木の胸ぐらを掴んだ垣野内の手がゆっくりと離れていく。

「て、てめぇ…。」

垣野内は最後の抵抗とばかりに青木を睨み付ける。

「あ。」

青木が何か感付いたような顔をして声を上げた。

「ハァハァ…」

垣野内の息が荒い。

「鳥谷さん遅くないですか?あ、僕、鳥谷さんにも返ってくればいいなぁって思ってます。」

青木が口調を変えずに言うと、垣野内はハッとして慌ててドアを開けて外へ出た。
そしてその数秒後、垣野内の絶叫が廊下に響き渡る。

「うはぁああああ!!」

青木が慌てて部屋から出て、垣野内の声がする方向へと速足で向かった。
するとそこに、階段の上で腰を抜かしている垣野内がいた。

「どうしたんです?垣野内さん。」

「と、と、とり、と、鳥谷、鳥谷が…。」

青木は垣野内が指を差した階段の下を覗くと、手足があり得ない方向に曲がり、頭から赤黒い血、そして赤黒い内容物をぶちまけた鳥谷が倒れていた。

「と、と、鳥、鳥た…鳥谷が…」

垣野内はガタガタと震えている。

「救急車、呼びますね。」

青木はポケットから携帯電話を取り出した。
青木は救急車の手配を冷静に淡々と依頼し終えると携帯電話をポケットにしまい、腰を抜かしている垣野内に手を差し伸べた。

「垣野内さんとりあえず戻りましょう。肩…貸します。」

「あ…あ、あ…あぁ…。」

垣野内は冷や汗でぬめりのある手で青木の手を取った。

「垣野内さんは…この後…これからかな…気を付けて帰って下さいね。」




最後までお読みいただきありがとうございました。
風雷の門と氷炎の扉もお楽しみに。









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