懐疑@マナーがハラスメントの元凶か?
企業研修の講師という職業に就く中での違和感。
それをいつも感じるのが新入社員のマナー研修。
企業内の階層による序列に沿った振舞いの指導
が、根強く行われる場面に遭遇することがある。
企業に設置された様々な決まりごとを守る素質
の有無を調べるためのテストの様な位置付けだ。
実施する方は慣習で行っているのかも知れない。
だがそれが職場ハラスメントの元凶だとしたら。
1.マナー研修に見られる時代錯誤的な慣習
かれこれ何十年も前に学んだことのあるマナー。
研修講師としての立場でまた触れる機会がきた。
挨拶の仕方・訪問先での振舞い・電話の対応・
お辞儀の角度・名刺の渡し方など、多岐に渡る。
職場での経験を積んでから見ると違和感がある。
礼儀を心得つつも必要の無さを感じる点がある。
お辞儀の角度で相手への礼を尽くす立場の人は
一体誰なのかと考えてしまう、そんな違和感だ。
タクシー乗車の席順については、肩書ではなく
身体的な配慮の方が重要ではないのかなと思う。
エレベータ内での人の配置に至っては、実際の
場面に則しているのかとの疑問が沸いてしまう。
オンラインが当たり前になった職場においては、
「上座はどこなのか?」の笑い話にもなる位だ。
2.過度な忖度は心理的安全性を脅かす元凶
職場でのマナーのあり方を実状に合わせ見直し
している会社があることも承知しているのだが。
外見の振舞いでなく相手への思いやりを示して、
場面に合わせた臨機応変な対応の心掛けも必要。
それでも違和感の全てを解消するに至ってない。
マナーの形を残す限りは過度な忖度が作用する。
この忖度が相手への尊敬に基づけば良いのだが、
肩書に対する儀礼的なモノであれば心配が残る。
マナーを形だけで成そうとする互いの関係には、
時に心理的な安全性を欠く場面も見え隠れする。
転職市場での笑い話「部長をやっていました」
という権威を意識する人が牛耳る職場は心配だ。
過度な忖度の裏側で相手を見下す意識が起こり、
もしかしてハラスメントに至る場面もあり得る。
3.講師としてのモラルが問われている案件
企業からの要請でマナー研修に携わる場合には、
マナーの内容の一つ一つに慎重に吟味を要する。
心理的安全性を欠きハラスメントに至る状況を、
講師の方から作るようでは元も子もないからだ。
企業からの要請であり雇われる身だからという
言い訳をしては講師としてのモラルが問われる。
心理的安全性を確保する視点から考えてみれば、
マナー研修が必要なのは上司の方かも知れない。
ダイバーシティ&インクルージョンの視点では、
お互いのフラットな関係がマナーかも知れない。
過去を踏襲するだけでは、社員の意識と目指す
マナー像の間に、乖離が生じてしまいかねない。
何のためのマナーなのかを企業内の他の活動に
照らし考えることが、新たな年度の課題となる。
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