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いじめの記録~中3から高1まで

 前回までに中高一貫校の女子高で遭ったいじめの話をしてきた。
今回は転校先の公立共学中学校のいじめの話をしていこうと思う。なかなか、「女子校でも共学でもいじめに遭ったよー!」なんて人はいないと思うので自分でも貴重な経験をしたななんて皮肉っぽく思う。


5月に転校してくる変わり者

 まず、中学3年生の5月に転校してくるやつなんて滅多にいない珍しい=的になりやすいのは言わずもがな伝わるだろう。彼らは受験生になってカリカリしていただろうし、中学生というだけで何かしらももやもやをもっているのが共通認識なので理解はできる。背景は何にしろ私が受けたいじめを箇条書きかつ男女別にして少しポップに?紹介していこう。

【男子】
①消しゴムを投げられる
②苗字をいじってネタにされる
③大掃除で水をかけられる

【女子】
①授業中教科書を読んでいたら「聞こえませ―ん」と執拗に言ってくる
②無視
③仲間外れ

【男子か女子か不明】
①上履きを隠される
②ロッカーにごみをいれられる

ちなみにこれ、中学3年生の5月から夏休みに入る前までの出来事。丸3カ月間でここまでいじめができるってすごいよね、なんて冗談はさておき。

 前の女子高でいじめに遭った私はとにかく同級生の目が怖くて怯えていた。タイトル画像のようにトイレに逃げて外から聞こえてくる話し声にも怯えていた。話しかけられても小さい声でしか返答できていなかっただろうし、人を信じられなくなっていたから友達を作ろうという意識が消えていた。そんな異物丸出しの私をやはり多感な時期の子どもは見逃さなかった。

辛かったいじめ3選

 上記の中で一番悔しかったのは消しゴムを投げられたこと、水をかけられたこと、上履きを隠されたこと、この3つだ。女子校とはまた違った、どう見てもいじめだろってわかることではないだろうか。夏休み前の面談で担任の先生に言ったら、「勘違いじゃないですか」と言われたのを今でも覚えている。勘違い?意味わかってますか?

 消しゴムを投げられたのは美術の時間だった。先生方知っていますか?いじめは主となる教室よりも移動先の教室や休み時間、掃除の時間に起きています。担任に見つからないところを彼らはあえて選んでやっているのです。4人用の机か何かで先生の話を聞いているときにはじめは消しカスのようなものを投げられた。それが次第に加速し、小さくちぎった消しゴム、最後は標準サイズの消しゴムになった。屈辱的だった。言い返せずやり返せない私。戦う元気が1ミリも残っていなかったのだ。周りも気づいているのに見ないふり。最悪だ。

 大掃除の最中に蛇口を絞って私めがけて水を噴射された時に、私は人生で初めて心の底からの舌打ちが出たのを今でも鮮明に覚えている。人間には止められない、反射のように舌打ちをしてしまうことがあるんだなと学んだ瞬間だった。そのあと大掃除が終わったので教室に戻ると、左に男子、右に女子が溜まっていて、私はどこにも入ることができなかった。なのでど真ん中で申し訳なさそうに座っていた。自分の性別のアイデンティティを失いそうになった瞬間だった。教卓には先生がいた。なんのために先生がいるのか全く分からなかった。

担任の一言

 夏休み明け、夏休み前の「勘違いじゃないですか?」の発言が許せなくて私は担任に会えなくなった。もちろんそれは教室に入れなくなったことを意味している。そこから保健室登校に切り替えた。保健室の先生は優しかった。私が好きなアイドルの話をたくさん聞いてくれた。感謝している。

 上履きを隠されたのは保健室登校をしてからだった。当時下駄箱付近には防犯カメラがあり、そこに私の上履きを持っていく様子が映っていたという。「誰が隠したのか教えて欲しい」とお願いすると「それはできない」と言われた。なぜか、理由をいくつか考えた。
①私が相手を知ってしまったら私含め親が相手に対して追及や謝罪を求める可能性がある、それを避けたかった
②相手の生徒を守りたかった(受験など内申にも響く可能性あり?)
考えてみたところで私が大事にされてない事実は変わらない。私は上履きを隠されたこと以上にその大人の対応に傷ついた。

 保健室登校をしながら個別指導の塾に通い高校受験の勉強をした。私は高校ははじめから通信制でいいと思っていた。しかし、教育熱心な父は「できるならチャレンジするべきだ」と言って県立の高校を受験した。受かった。

たった1ヶ月の高校生活

 高校に入ると同じ公立共学中学校だった人もちらほらいた。目が合うと笑っていた。なんで笑っていたのかはわからないけれど、当時の私にはいじめてきた人間が私をいじめる時、必ず笑っていた記憶がこびりついていたので彼らが敵に見えた。自分で勝手に自滅して、教室に通えなくなった。担任は厄介な学生を早めに対処したかったのだろう、通えなくなった私に毎日のように電話をかけてきた。急かされるようにして高校1年生4月のうちに退学した。高校でいじめには遭っていない。でももう私の心は壊れていた。通常の環境に対応する力が残っていなかったのだ。

通信制高校へ編入

 そのまま受験期から繋がりのあった通信制の高校に転校。通信制とはいえ、コースが沢山用意されており私は勉強をしてきた過去から「特進コース」を進められた。父としては大学まで行ってほしいと私に対して思っていたので、その思いも汲んで了承した。ただ、特進コースは通常の高校と変わらず朝から夕方まで教室で勉強する。違うのは学生の人が10人以下と少ないところとと、学校がオフィスビルというところだけ。幸運なことに高校1年生の時の担任がかなり私に寄り添って支えてくれた。私の過去のことも理解しようと努めてくれた。その先生のおかげで高校1年生の間は何とか特進コースに通うことができたのだ。すごい進歩だ。

悪魔のスキー合宿


しかし、ここで問題がやってくる。通常の週5日制のコースに通う生徒たちと一緒に5泊6日のスキー合宿に行かなければならないという行事だった。担任の先生は「これに行かないと卒業できない」と言った。それはあくまで「特進コースとして卒業できない」だけであり、沢山あるうちのコースを変えれば通信制高校を卒業することはできたのだった。しかしその時の私は本当に卒業できなくなってしまうのではと心配したし、大人のいうことを聞かなければならないと思った。子どもだった私は無理をしてそのスキー合宿に参加した。それが間違いだった。

帰宅後から始まる謎の顔面痛


帰ってきてから謎の顔面痛とひどい眩暈に見舞われた。その顔面痛は脳神経外科でCTやMRIを撮っても、耳鼻科に診察を受けても治らず今もまだ続いている。体調不良で教室にも通いずらくなり、高校2年生に進学するので理系か文系か決めなくてはならないと焦りが出てきている頃に、信頼していた担任が辞めた。その先生がいたから特進コースでなんとかやってこれた、その先生が行けと言ったからスキー合宿も行った。しかし先生は辞めた。後任に来た先生が全く私の現状やクラスの学生同士の関係を把握しておらず、私は限界を迎えた。クラスに通えなくなり、通信制ならではの通信コースへ移籍。せっかく信頼できたと思った大人もいなくなってしまうという経験をした。何を信じて良いかわからなかった。なにより通信に移るならスキー合宿に行かなくても良かったのに!!それがなければこんなに体調が悪くなることもなかったのにとすごく悲しかった。騙された気分だった。

最後に

 少し長くなってしまったがここまでが中3で受けたいじめと、その後の高校生活の一部だ。ここまで書いていて改めて思う。「いじめ」は生徒間の嫌がらせ+先生の対応でできている。嫌がらせだけでは「いじめ」は確立しない。だからそもそも人が死んだ時点で「いじめがあったと認定するかしないか」を議論するのは間違っていると思うのだ。先生方だっていじめを作り上げた当事者たちだ。当事者がいじめがあったかなかったか議論に参加する権利はない。

 次回はこの続き、通信コースに移ってから大学受験、大学生活の送り方まで書けたらと思う。
 この章を最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

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