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幸せの超訳し方

朝7時。
強烈な朝日を浴びながら、
はじめての朝を迎えた。

引越の緊張から解き放たれて、
ひさしぶりにぐっすりと眠れて。

お布団で大の字になりながら、
昨日の夜からずっと考えを
めぐらせていたことに戻る。


あの「幸せ」という感情に、
名前をつけてあげたい。

そっと胸に秘めながら
また現れてくれるその日まで
日々を大切に生きられるように。

名前をつけてあげたい、と。


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昨日、私は「京丹後市」に引っ越した。新卒で出た東京に続いて、人生二度目、約4年ぶりの地元以外での暮らし。

京都市内の実家との「二拠点生活」をはじめる。

3ヶ月前に出会った京丹後の建築士さんと、そのお父さまが軽トラを出してくださって、家電や荷物を乗っけて2時間。

軽トラで引越ができると知った。


住まいは、西陣織の丹後ちりめん問屋だった家屋をリノベーションしたシェアハウス。「益実荘(ますじつそう)」という。

増実さんという持ち主の方のお名前を残しながら、「益」という漢字に、関わる人々のすみずみまで幸せがゆき届くようにという想いが込められている。

私は、住人第二号。解体作業の中で立派な梁が出てくる瞬間に立ち合い、少しだけ壁も塗らせてもらって、つくる様子を垣間見てきた。

深まる愛着。ついに迎えた引越。

wifiの開通は明日だから、夜まで近くのシェアスペースに身を寄せることにした。

まるでサークルのボックスのように、ふらりと立ち寄れてお喋りしたい人がいる場所が、京丹後にはある。

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ちょうど、移住を考えている人のためのオンラン交流会が行われていた。

お世話になっている友人たちの声が聴こえる。以前から知っていた人も、ここ数ヶ月で出会った人もいる。

この人たちに魅了されて、えいや!と移住を決めたんだよなあ。

それぞれに京丹後への想いや、今の暮らしを決めたきっかけ、未来への意志を語っていて。私も、すこし話をさせてもらった。

ああ、これが私の「好き」だなあとおもった。

好きな人たちが好きなことを語りあう時間が、たまらなく好きだ。


ここに辿り着けた。

「幸せ」を感じた瞬間、ある光景がぶわっと脳裏に広がった。


* * *


初めてイベントを企画したのは、大学一回生の冬。

「地球環境や持続可能な未来を考えることをスタンダードに」というコンセプトで開催した「キャンドルナイト」


SDGsという言葉が、まだ微塵もなかった頃。

高校1年生で炭焼き職人のおじいちゃんに取材をして、里山や森林について知り、このままの価値観では自然と共存していけないという危機感を持った。

家族や友人は、なかなか興味を持ってくれなかった。

”私の話”はたくさん聴いてくれたけれど、”一緒に考える”ことは出来なかった。

京都市内のいわゆる普通科の高校で、林業や農業、集落に興味がある人はほぼいない。だんだん、その話をしなくなった。


高校2年生で「広告」の授業を受けたとき、これだ!と思った。

魅力を伝わるように、表現すること。
興味のない人にも自然と「好き」になってもらうこと。

この力をつけたい。


大学では、迷わず広告研究会に入った。学生でもフリーペーパーを発行できる仕組みを知った。

今はリアル脱出ゲームで有名になっている「SCRAP」というフリーマガジンの「どうなるんだろう、これからのフリーペーパーは」というイベントに参加して、カルチャーとカルチャーを掛け合わせることで、面白いコンテンツをつくるのだと学んだ。

企画してみたい。

ふつふつと湧きあがる気持ちとは裏腹に、何をテーマにするか悩んでいた。

今、挑戦するかしないか。

もしもまた、興味を持ってもらえなかったら?
不安がよぎる。でも。

「地球環境や持続可能な未来を考えることを、これからのスタンダードな学生のあり方にしたい。」
一緒にやってくれる仲間が見つかって、やってみることを決めた。


大学生に人気のお洒落カフェでの電気を使わない「キャンドルナイト」。お寺の蝋燭をリサイクルして作ったキャンドルで行うという企てに想いを込めた。

たくさんの人に体験してほしい。
その一心で、広告研究会の前回生が参加する全体会議で頭真っ白で告知をして、友人に連絡をして、Twitterにも書いて、当日。


中高の友人、NPOのメンバー、そして広告研究会の先輩(しかも4回生!)と同回生。最近出会った人。20人くらいが応援しに来てくれて。

そして、私たちの提示したテーマを、みんなが”一緒に考えて”くれた。


ずっと見たかった景色。

それだけじゃない。

一緒に企画していたメンバーの大切な人たちと、私の大切な人たちがつながっていく様子に、はじめての「幸せ」を感じていた。

イベントの最後にマイクをもって挨拶をした瞬間、目の前に広がる光景に”ありがとう”が弾けて。

ここに辿り着けた。そうおもった。



* * *


昨日とキャンドルナイトを、行ったり来たりする。

その間にも、緩急たくさんの「幸せ」は確かにあって、浮かんでは消えていく。


あれから広告研究会や日替わり店長のお店などで小さく企画を続け、

新卒では展示会・イベントの主催会社で働いた。

たくさんの人たちに支えてもらって

落ちたり浮かび上がったりしながら、

言葉の企画に参画して、企画のお仕事の機会をいただけて。

すべては、今につながっている。

何一つ疑うことなく、そうおもった。



「すべて」

不意に口にした三文字。

自分の声で耳に届いた瞬間、号泣していた。


あの”幸せ”は、足りない足りないと走る自分をちょっと離れたところから見て、「すべて私だから大丈夫」「今はすべて好きだから大丈夫」とおもえたときで。

それまでの過去「すべて」が、温度をもって現れる。



小学生の頃。
体が小さくて勉強が好きだった私は、体育が苦手だった。いや、そう思い込んでいた。

通知表は体育の欄だけ「ふつう」。
それが悔しくて、中学校では女子で一番キツイ部活を先生に訊き、バレーボール部と陸上部だと言われて選んだバレーボール部。

中学1年生でC評価だった体力テストを、中学2年生でAにしたとき、即時的な満足感を得た。でも、「幸せ」と言えるほどじゃなかった。


高校生の頃。
中高一貫の学校へ通っていた私は、友人がずっと同じことやほぼ全員が進学をするという環境が不安だった。世間が狭すぎるのではないか。

全国100人の高校生が参加する聞き書き甲子園のプロジェクトに参加して、高校生の仲間だけじゃなく、大学生のOBOGや事務局の大人の方に出会って。たくさんの経験をさせてもらった。でも、どこかで私には何かが足りていないという気持ちが拭えなかった。


そんな自分のことを、

ずっと好きじゃなかった。

愛を疑い、信じることを恐れて

私は人を愛せないんじゃないかと怯えていた。


幸せそうな人がうらやましかった。

完璧、を求めて

いつも渇いていたあの頃。



「幸せ」という感情は、

まるっと「すべて」に丸をつける。

だから今がある、

そうおもえることだった。



「すべて」


欄間に差し込む美しい朝日を

お布団からぼんやり眺めながら

私は、もう一度つぶやいた。

ふふふ、と笑みが溢れる。

あたらしい暮らし。

「すべて」への感謝を

花びらのように散らしながら、

一歩ずつ歩いていく。

窓を開けた。

強烈な朝日に向かって、

写ルンですのシャッターを切る。

今日だって、

最初で最後のはじまりのときだ。


* * *



この投稿を見たとき、「超訳」の意味を調べてみた。

超訳(コトバンクより)

アメリカのベストセラー作家シドニィ・シェルダンのミステリー『ゲームの達人』『真夜中は別の顔』などの翻訳の方法。その後書きによれば「英意和訳」とのこと。従来の原文尊重の英文和訳調を脱して,一度直訳調で訳したものを,日本の読者向けにさらになめらかな日本文に書き換えたということであるらしい。


この記事には、「時間軸で翻訳をすること」と書かれていた。


やってみようとおもった。

これなら、あの感情に名前をつけられるかもしれない。

I LOVE YOU を「超訳」することで、ありがとうを伝えられたように。

幸せを「超訳」することで、自分を愛すことをまた一つ知った。


あの感情に、今名前をつけるなら。

「すべて」


#幸せの超訳し方 であり、

私が私に贈る御札の言葉


Special thanks

コピーライターじゃなくても知っておきたい心をつかむ超言葉術
阿部広太郎

ほぼ日刊イトイ新聞「この言葉が伝わるときに」
伊藤まさこ×糸井重里

WorldSeed

ことばの日プロジェクト

丹後暮らし探求舎



−あとがき−

一年前の夏も、京丹後で
おなじようなことを感じていた。
こちらも良かったら。



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