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父の日が気まずかった┊︎アダルトチルドレン

毎年やってくる父の日。
わたしはどうしても父に感謝の念が持てなくて、毎年、父と顔を合わすのに気まずさを感じる。
父がどう思っているかは知らないが。

わたしは幼少期から父の「いい親でいたい」という気持ちを叶えるために自分は生きているんだ、と思っているところがあった。
父自身が毒親育ちなこともあり、自分の親の様ではいたくない、というのがもの凄く強いようだ。
「自分が自分の親だったらよかったのに」と何度も口にしていたから、自分にとっての理想の親をやるのに必死みたい。

感謝の念を伝えることできっと、父の「いい親でいたい」という部分を満たせるのだと思う。
わたしはそれをしたくない、と思っていて、それに罪悪感があるから気まずいと感じる。
子どもは親の存在証明でしかない、と思って生きてきて、その信念に従って行動してきたから違うことをするのが不安。

今のわたしは、「子どもとしての役割は今までたくさんやってきたから、これ以上渡せるものはない」という気持ちが強い。
そもそも親の理想を叶えるなんて、わたしの役割ではないはず。
「いい親でいたい」と願い自体は持って当然のものだけど、子どもが背負うものではないよなー、と小さく思えるようになってきた。
今までは親の理想を叶えられない自分は無価値、と思っていた!
正直、今でも「わたしは父の理想の娘ではない」という悲しみはある。

自分自身にとって良いのはもちろんいいことだろうけど、子供にとって良いかはまた別の話である。
確かに父とは違い、プライバシーが守られ、お金に困らない子供時代は送れた。
しかし思い込みの強いところや、暴力は正しいという考え方によって、抑圧された被害は父が想像するよりも大きいものなのだ。

親は満足かもしれないが、子どもは親の自己満足によって背負わされた負債を背負っていく理不尽さに苦しんでいく。
父自身も経験してきたことのはずなのに、なぜこの心に寄り添えないのかが謎である。というか子どもにとって良き父であると疑ってすらなかったのだから、驚きものである。

なにはともあれ、わたしの心の傷は全く癒されていない。
謝ってもらったって、怯えて過ごした子ども時代が素敵な思い出にかわるわけではないし、母が戻ってくるわけでもなく、仲のいい家族という理想が叶うわけでもない。
そう簡単に癒される傷ならこんなに苦しんでいない。
失ったものは大きく、傷も深い。
感謝すべき部分のあるのは分かっているけれど、いまはまだ難しそうだ。


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