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人間関係の濃淡。どれくらい人生に反映してますか?

新年のご挨拶

あけましておめでとうございます🐰
2022年はお世話になりました。
noteという場で繋がりを持った方に感謝しています。
フォロー様、フォロワー様、わたしのページに訪れてくれるあなた、ありがとうございます!

文章で繋がるこの場所は大変、居心地が良いです。
書き手の心が尽くされて深いけれど、それを少し覗き合うだけの遠さ。
この距離感が私にはちょうどよい。

この場所にもう少し居てみようかな、と思うのです。
2023年もどうぞよろしくお願いいたします。
コメントやTwitterで少しでも交流できたら嬉しいです!

人間関係の濃淡

「人間関係の濃淡」とは

さて、みなさんは「人間関係の濃淡」と聞いてどんなことを思い浮かべますか?
それをどんな風に人生に反映していますか?
それをどれくらい人生に反映していますか?

わたしには友人と呼んでいる人間が15人ほどいます。
一人一人、接し方も、心地よい距離感もバラバラに感じています。
心と心で会話していると感じられる人、月に一回会う人、2-3カ月に一回、半年に一回、ひと時を楽しむ人。
心のつながりを感じられる人とは、積極的に関係を結んでいきたい。
距離感ちょうどいい人はいまのままで。
しかし月に一回と、それなりに高頻度で会っている人との関係に疲れてきていたりもする。

こういうものを「人間関係の濃淡」と呼んでいます。

「人間関係の濃淡」への姿勢

わたしは「人間関係の濃淡」を全部無視して、すべての友人を平等に、同じように接しています。
意図はしていないけれど、意識的にそうしてきたように思う。
人と近しくなるのが怖くて、いつでも誰と遠ざかっても大丈夫なよう、たくさん人を用意しておきたかった。

おかげで、いつでも誰かしらとは会える、という安心感は持てた。
しかしその安心感とは、身をゆだねられるようなものではなく、「保証」というような不完全さがあった。
だからわたしは大忙し。友人たちを自分の許に繋ぎとめておかなければならなかったから。

心配事もあった。
一人の人間に執着できない。誰かを特別扱いできない。
これは人生にとって大きな問題なのではないか、という疑念。

これからの試み

いよいよ心の声を無視するのはやめようと、降参することにした。
心の声を無視していると気づいたら、自然と気が向いた。

人間関係の濃淡を人生に反映させてみよう。
全て平等にする必要はないのだし、そろそろ力の抜き方を身に着けてもいいんじゃないか。

そう思えば、これは人間関係だけにとどまる話ではない。
わたしは重要なこと、そうでないこと、と分けて考えないのだ。
全てのことに平等に、真剣に、一生懸命になってしまう。
だからいつもわたしの頭と心は忙しい。

どうしてこの習慣ができたのか分からないけれど、濃淡を意識しているうちに気づくものもきっとあるだろう。
もしかしたら何に怒られているのか分からなかったから、とにかく全てに対策したかったのかも。

手始めに、自ら大事にしたい人に、この話をしてみようと思う。


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