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(無料公開)定期購読マガジンを書いている人が、読まれるための苦悩や葛藤をまとめてみたよ

野本響子さんのnoteが、(ほぼ)毎日noteを書いている身に刺さりました。

いやー。ほんとそうなんですよ。漠然と書いているだけではなかなか読まれるようにはならないし、漠然とせずに方向性を自分なりに決めたとしても斜め上に走っちゃったりして、なかなかうまくいかないもんなんです。

僕自身、そのへんの方向性をめぐって「これでいいのかなあ」と思いながら、悩みつつ書いています。また、無料でやっていた時と、有料の定期購読マガジンで気にするべきところが少し違うかな、と感じることもあります。

今日はそんなモヤモヤを整理する意味でも、マガジンを書きながら、読まれるためにはどうすればいいかと抱えている悩みや葛藤について、自分なりに書いてみたいと思います。

ご自身でnoteを書いている人には共感してもらえると思いますし、これから書こうと思っている人、マガジンなどを始めたいと思う人には参考にしてもらえるかと思います。

ではどうぞ。

文章のテクニックはそこそこでいい

野本さんが真っ先に挙げている文章のテクニックについてですが、僕もこれはあまり重要ではないというか、読まれるために第一優先にすることではないと思います。

読む人に違和感を与えたり、一読して意図がわかりにくかったりするような文章を書いているのでなければ、あとはテクニックを追求してもあまり意味はないかな、とこれまでの経験から思います。

そもそも、現に自分が文章を読むときのことを思い返しても、その文章の「うまさ」を意識して読むことはほとんどないはずです。

音楽にたとえると、たとえば音楽を聴く時にテクニックとしての「うまさ」を意識して聴いている人がどれだけいるだろうか、ということです。明らかな演奏ミスやノイズみたいなものが聞こえてきたら、さすがにそれは気になってしまいますが、それ以外の部分では演奏者のテクニックに集中するというよりは、その音楽全体から醸し出されるものを受け取ろうとしているはずです。

文章のテクニックは、ここでいう「演奏ミス」や「ノイズ」を頻繁に感じさせないようなレベルでなければ、それで十分な気がします。たとえば誤字脱字や変換ミス、表記揺れに気をつけるとか(僕はしょっちゅうやらかしていますが)、読み手が理解しやすいように語順に気をつけるとか、ごく基本的なことです。

ちなみにこの「ごく基本的なこと」を学ぶのにおすすめしたいのは、ルポライターの安田峰俊さん著「みんなのユニバーサル文章術」です。基本的なテクニックについては、これを一冊読んで自分なりに取り入れていけば、ほとんどそれでOKだと思います。

ネタ選びの苦悩

さて、テクニックを磨いても文章が読まれるようにならないのだとすれば、他に必要なものがあるということです。真っ先に思いつくのは書く内容、つまりネタの部分ですが、この選択がなかなか難しい。

まず、「読まれること」の見極めが大変です。何を書けば読まれるのか、究極的には答えはありません。また、もしそれがわかっていたとしても、「読まれること」と「自分の書きたいこと」というのは必ずしも一致しているとは限りません。さらに、「読まれること」ばかりを毎日インプットし続けるのもなかなか大変です。

僕が一貫してテーマにしている「中国」という対象は、語れる部分がたくさんあるテーマだし、それなりの「引き」も持っている(中国について知りたいと思っている人はそれなりにいる)と思うのですが、そのなかでもどんな部分を取り上げて書いていくべきかということには、いまだに明確な答えが見えません。

マガジンでコンテンツを有料にしてからは、特にこのことを強く意識するようになりました。無料でnoteを書いていた時代は、中国にまつわるどんなジャンルのものでも、そこに置いておけば「そのジャンルに興味のある人」が集まって読みにきてくれる、という感覚がありました。

しかし、有料となるとコンテンツの拡散力は基本的には落ちるわけで、その「ジャンルに興味がある人」に届けること自体が難しいよな、と今は感じています。

また、有料での定期購読をはじめてくれる人は少なからず「中国について、こういうことが知りたい/こういうものが読みたい」という目的意識を持って読みにきてくれています。その人に対して、あまりに書くことが多岐にわたっているのも考えものです。コンテンツとしてある程度の一貫性や、期待に応えていく姿勢は必要でしょう。

かといって、購読者全員のそれぞれの期待にすべて応えるというのも大変、というか無理なわけで。ああ、難しい。

そんなわけで今は「毎日ひとつ、中国にまつわる何かを言語化する」というコンセプトのもと、どんなネタを選び、それをどうチューニングすればより多くの人に届くようになるのかな、ということを試行錯誤しながら書いています。

たくさん書くことが最善とは限らない

冒頭の野本さんのnoteの中で一番刺さったのは、読者の視点を意識しましょう、というくだりで挙げられていた、「読者が文章の途中で置いてけぼりになっていないか」「余計なことを書きすぎてないか」というところでした。ああー、これついやっちゃうんです。

なまじ書くのに慣れて、文章の出力スピードが上がってしまうと、今度は文章の中にあれもこれもと詰め込みたくなって冗長になったり、あることについて突き詰めようとしすぎて自分だけの世界で完結してしまったりと、むしろ読み手を忌避させてしまうようなものを書いてしまいがちです。

これ、わかっていても何度もやっちゃいます。これまで、「こんなに書くつもりなかったのに、なんかすごい長くなっちゃったなあ」と自分でも思うようなnoteになってしまった経験が何度もあります(ちなみにこの文章も、ここまでで2,000字くらい書いています。そろそろ詰め込み過ぎが気になってきました)。

なので最近は、書き終えた文章を見直す時に段落レベルでバッサリ削ることも厭わなかったり、長くなりそうな時は2回に分けるなど、自分なりの工夫をしていますが、その作業もどれだけ客観性を持ってできているか……いつも不安です。野本さんのnoteに書かれているように、編集者さんを入れた方がいいのかしら。

一周回って、自分が楽しめるかどうかが鍵

などとウンウン唸ったり、その悩みをTwitterにグチグチ書き込んだりしていたら、文章を書いて生計を立てている先輩がたの複数に「考えすぎじゃない?」と言われました。うーん、それもそうなんです。

自分が楽しめているかどうかとか、迷いながら書いているかどうかというのも、わりと文章に出てしまいがちです。あまり考えすぎたり、もっといえば購読者の増加を如実に狙った文章などは、それはそれで多くの人にとってあまり読みたいものにはならないような気もします。

そもそも、続けるということには、ある程度の楽しさは必須条件です。少なくとも、書くことが苦痛でしょうがないとか、続ける意義が見出せない状態になってしまうわけにはいきません。

そんなわけでこれからも適度に書くことそれ自体を楽しみつつ、読まれるためにはどうしていったらいいのかという努力についても、その試行錯誤の過程に楽しみを見出しながらやっていければいいのかな、と思っています。

+++++

そんなわけで、最後は「とにかく楽しもう」というベッタベタな結論に落ち着いてしまいましたが、ともかく自分がいまマガジンを続けることに対して感じているモヤモヤを言語化できました。皆さんの役に立つかどうかはわかりませんが、とりあえず自分は楽しかったのでよしとします。

noteを書いているみなさん、たぶん似たような悩みをみんな抱えてますよね。いろいろ難しいことはありますが、一緒にがんばりましょう。

明日の更新はお休みです。また来週!

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