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居酒屋の誕生: 江戸の呑みだおれ文化 (ちくま学芸文庫) 飯野 亮一

この本は、江戸の頃にできてきた「居酒屋」の誕生期について、当時の文献から明らかにしていく一冊です。徳川の時代における禁止令の話や、それでも止めることのできなかった世俗の様子。またどんな風にして飲まれていたのかということがわかるようになります。

変わらない飲み人たち、変わる居酒屋の経営

一番おもしろかったのは、P100-101 酔っぱらい天国・江戸

「われわれの間では誰も自分の欲する以上に酒を飲まず、人からしつこくすすめられることもない。日本では非常にしつこくすすめ合うので、あるものは嘔吐し、また他のものは酔払う
「われわれの間では酒を飲んで前後不覚に陥ることは大きな恥辱であり、不名誉である。日本ではそれを誇りとして語り......
(中略)このような日本人の酒の飲み方に五代将軍綱吉はブレーキを掛けようとした。

この江戸の呑んだくれたちの様子は、1585年の時点でも、1842年の時点でも、全然変わっていなかったようです。

2019年の今だって、似ているんじゃないでしょうか?

自分の身の回りは、実際そうでした。少なくとも大学生の時は。社会人になってからは、昨今のパワハラ・アルハラ抑制の風潮に伴い、大酒飲み具合を"競う"ということは少ないように思いますが、それでもやはり「酒が飲める」というのは、ある種一つのステータスであるように思います。

良きにせよ悪きにせよ、「江戸の血が騒いで」しまう人たちが、今もいるのです。

そういった「変わらない」というところを一つ見つけただけで、急に親近感が沸いてきてしまいます。

若者の「クルマ離れ」「タバコ離れ」...云々、変わったことばかり取り沙汰されるように思いますが、それらはあくまで消費の話で、もっと人間臭いところの部分というのは、意外と変わっていないところも、いくらかあるのではないかなと思いました。

着ている服、髪型、職業や喋り方などは、時代・トレンドに即して変わっていきますが、結局のところそれらを身にまとっているのは"人間"な訳で、その人間そのものは意外と変わりにくいところがあるのではないかと思います。

「酒」というのは、ある種とても人間の根源に近い存在であるように思います。

とある、tweetか何かで「酒が人を凶暴にするのではない。酒がその人の本来の姿を暴いているだけだ」というような言葉を見たことがあります。

その意味で、酒を飲んで何しよう、というのは、"変わりにくい"人間像の根源部分を暴いているだけでしかなく、だからこそ、徳川300年の時代を挟み、21世紀が訪れても、"日本人”のあまり変わっていない部分というものに出会わせてくれたのではないかと思います。

終わりに

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