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異色の獣たち

ハローワークからの帰路、コレットマーレの地下にあるベーカリーカフェを思い出した。パストサラミのうまいサンドイッチがあるのだ。昔、5分おきにタバコを吸うデリヘル嬢に教えてもらった。名前は一華とはっきり憶えているが顔が思い出せない。テクノロジーは一晩だけ愛した女の顔を描画できるだろうか。

午前11時。桜木町。

お目当ての店はバーガーキングになっていた。2コで500円の看板が目に留まる。初めての店は仕組みが分からないので嫌いだ。この辺りでほかに行ったことがある店は飲み屋以外ではエリザベスマフィンくらいだが、この調子だと消滅している可能性もある。職安帰りのイモ臭い格好でランドマークプラザまで歩いて戻ってくる気力もない。

紙袋をぶら下げてエスカレーターを上る。駅前に動物愛護団体の姿はない。生皮を剥がされた動物の大きな写真を掲げて声高に毛皮反対と今もどこかで叫んでいるだろうか。神は殺された動物に代わって血の涙を流すらしい。ロマサガのやりすぎだ。

野毛方面に向かってぴおシティの地下に入る。大きく変わった様子はないが、晩杯屋が入ってカビ臭い客が減り若返っている感じがした。無視するとキンミヤの瓶を投げてくるジジイもいない。横濱飯店ではいつもワンタンメンを頼んだ。特別うまくなくても食べたい味が地元にはある。

都橋までくるとかなり往来も静かになった。商店街の佇まいは記憶のまま2、3新しい看板も目についた。ここは元々、野毛の露天商だったらしい。64年の五輪整備で一掃しようと2階建ての長屋を作って押し込んだのだ。現在は建物を管理する公財が家賃の値上げを企んでテナントと揉めている。いつの時代も文化を殺すのは戦争か資本主義か観光客と決まっている。

今も夜になるとタイ人や韓国人が都橋を渡って流れてくるだろうか。野毛は日本人仕切りだから棲み分けもしっかりしてるし行儀いいから大丈夫だけど、福富町の路上は警察の目が厳しいからね、逃れてきた新顔がゲイとよく揉めているよ。台湾人のバーテンダーからそう聞いたことがある。

ソープ街を眺めながらのハンバーガーはこの上なく底辺のランチであることをここに記録しておきたい。

Hana-Biと角海老は相変わらずHana-Biと角海老だった。シャトーコクサイとエルカーヒルはそれぞれベイキュート、ブルーラグーンという名に変わっていた。てっきり滅んだものと決めつけていた英国屋もさっき橋の向こうに看板が見えたし、不況知らずのジャパンクラブも健在だろう。ここに来れば年中ハナビが見えるなとほざいていた20代。あれは遠い日の花火。

橋を渡ろうか迷ったが真っ直ぐ帰ることにした。パレスガーデンまでの一帯は霊力が満タンのときでないと蒸発する恐れがあるので賢明な選択をしたと思う。昔の寿町よりは遥かにマシだが、何年か前に写真家の女がチンピラに頭突きを食らって鼻血を吹いていた。無法地帯は人の数だけ存在するのだ。

11時30分。日ノ出町。

ハマっ子でも一部のエリートにしか見えていないと噂の光音座にはスクリーンが2つある。左がノーマルのピンク映画で右がゲイものだ。そういう言い方をするとゲイはノーマルじゃないのかと怒られる時代になったが、ゲイはノーマルじゃない。どう考えてもトランセンドだ。人類は急激に進化している。光音座は読んで字のごとく光と音のスピードで未来を駆けていた。ようやく時代が追いついたのだ。

日ノ出町駅前からガンジス川改め大岡川に舞い戻り黄金町へ。ちょんの間は端々に当時の気配を残しながら思い思い時代なりに着替えていた。小料理屋の脇でやきいもの幟が物乞いのようにはためいている。外観こそ当時のままだがいかがわしい気配はほとんどしない。

しかし、よく目を凝らすと地面のそこかしこから何か怨念染みたものが湯気のように立ち上っている。かつて女たちを収納していたショーケースの中で小さなろうそくのような赤青の光が今にも消え入りそうに揺れている。耳を澄ませば地下深くで蠢く異色の獣たちの抑えようもない息遣いが聞こえてくるようだった。

駅まで来るとだいぶ雑踏が戻って来た。我に返る。めくるめく時代に取り残された者たちの眩暈の中を歩いてきたようだ。

この街には不確実な瘴気が漂っている。後生だから目を覚ませなんて言ってやらんでくれ。夢を見させておくれよ。人により甘く人によりほろ苦い、痛い目に遭ったことのない連中はそれをブルージーと呼ぶ。一生に一度の巡り合わせが夜毎訪れる街を背に、さあ今日に戻ろう。こんなところに来るのは10年に一度くらいでちょうどいい。

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