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実話episode1 毒母、母親と1年半ぶりに通話して思い出していく過去の欠片。

  仕事終わりの電車移動中にひとつ記事を書くようにしていて、私の体験談が主です。


 私の母親は、東北のド田舎の村では山奥に位置するところに住んでいて、私のお父さんは同じ村でも拓けているところに住んでいて、自営業をしていて、社長の息子、だよね。


  お母さんは、シンデレラに憧れていたんだと思うんだ。お父さんと出会った時、車をぶつけてしまって、謝罪したのがキッカケで、付き合ったとかどうとかいっていたからね。


ただ、私が小さかった時の、記憶では

お母さんはおばあちゃんから掃除洗濯、接客の仕方からなにからなにまで叱られまくっていて、お父さんのお姉ちゃんの私の叔母さんにも注意されまくるという。



 まるで現代版シンデレラ。

どんなにお金持ちと結婚しても、これはしんどい。私は小さいながらに、母親がよく耐えられているなって思ったんだよね。ただ、まあ、母親もずるくて、やりたくないことはやらなかった。どうしようもないところもたくさん見ていた。


 私は孫だから、おじいちゃんからもおばあちゃんからも注意されても、そこまでじゃない。


父親からスパルタ教育されたけど、父親が厳しくすればするほど祖父母は優しく甘やかすという。両極端の中で、4歳から祖父の忠犬ハチ公のように祖父のお供をせねばならず。



  『幼稚園なんて、いかなくても大丈夫だ』
『小学校もいかなくて大丈夫だ』といって
私と祖父で温泉旅行へ1週間。


 それがそのうち同級生に広まって、ことねちゃんズル休みしてる!さすがお金持ちは違うよね、ってどんどん孤立していった。  

 そこを切り抜けるだけのコミュニケーション能力もなくて





   それが小学校6年生のときに、同級生の
掃除当番を私が注意したことで、爆発する。

  クラスの女王様的な女の子は雑巾がけをしなかった。ずっと箒をつかう。みんなでルーレットで決めるものを無視して。



それを、注意、するとどうなるのか私はわかってなくて。


   箒、ずるいよ私もやりたい、と言ったとが皮切りに半年間壮絶なイジメを体験する。


  だれも口を聞いてくれず、いけばバイ菌扱いされ、男子には円陣くまれてドッチボールをぶつけられる。休み時間になるたびに。



 トイレいけば閉じ込められる。


それでも、私は親にいじめられている、と言えなくて


  『おじいちゃん、今日こんな授業あったんだよ!!』って笑いながら、家では過ごしていたんだ。


   何よりも世間体を気にするから。私が出来が悪いとまたお母さんが怒られるから。


 そんなとき、お母さんが寝れないでずっと部屋で本を読んでいる私に気づいてくれて


  『寝れないの?お母さんも寝れない…お母さんもここ出ていきたい時あるけど、あんたたち置いていけないからここにいる』



 炭小屋育ち
   山猿なんていわれて

 それでもここの家に留まり続ける母親をみていると、お金持ちと結婚するというより、好きな人と結婚しようと思わないのかなと思ったりするけど。


  死のうと思った。

 格子に縄つけて、首をくくって死のうとも思った。


 温かい家庭ってなんだろう、と


お金がどれだけあっても、いつもおばあちゃんはお母さん叱っているし、

 お父さんとお母さんも喧嘩ばかり


 私は両親じゃなくてなぜか祖父母に育てられている。


 父親が頼りないとかで、おじいちゃんは私をお父さんから取り上げて

  『俺が育てる初孫だから』






いろんなことが、きっと、そう、仕方なかった。みんな、仕方なかった。

  『お母さん…私、死にたい…』






   『ことね、生きていたら必ず生きていて良かったって思う時が来るから。お母さん馬鹿だし、あまりお金稼げないからここに居るしかないけど、あんたは、生きて。ここから出ていける。お母さんだけはなにがあっても味方だよ。言うだけで、ここでは力がないけど』







  お母さん…は、好きな人居なかったのかな
  出ていくことも出来たろうけど、はたらくこともまあ、できないかな
  なんかいろんなものみてて、本当になんか不器用で、これしか、なかったのかもしれない。


   ……なんで死ななきゃいけないのよ。私はなにも悪いことしてないわ。

  そもそも箒ばっかりしていた女が悪いのに、男子使って虐めてきたのは、卑怯だわ。


   私には『お母さんがいる』
  子どもは
ただそれだけで、とても強くなれることを知った。お母さんが味方でいてくれる。

   たとえ、クラスでひとりでも


   ひとりでも戦ってくる。




 そうおもって私は、翌日

  体育の時間にペアをくむ体操でひとりであまったときに
  

  『誰か!私と組んでください!お願いします!』と声を張り上げた!


  『声』をだせ!

  だまってやられてないで声をあげる!

  私、負けないわ


  もちろん、これでだれも味方が表れない可能性もあったけど

  私には、いた。

   『そうだよ…もうやめようよ!ことねちゃん悪くないじゃない。私は無視するのやめる。ずっと可哀想だなっておもっていたけど、〇〇ちゃん怖くて言えなかった』



そう、私には『友達』がいた。

 ひとり、ふたりと『怖かったから…ごめんね』みんな恐怖心から『傍観者』だった。それでも『罪悪感』があるひとたちで良かった。

  いまは、罪悪感のない人たちの方が多い。





 私が小学生のときは
  今から30年前になる。もう41歳だから。


 声を上げて『形勢逆転』した私は

  『いじめっ子を孤立』させた。



その更に10年後
   22歳で私はエッセイコンテストで最優秀賞を受賞する、小学校6年生のいじめのepisodeを書いて。


   『キミがいるから僕がいる』 そんな
キャッチコピーだった。

  
   『離婚するなら実家帰ってくんな』そう言われたからおばあちゃんに。
    だから私は、その日から1年半、1度も実家に戻らず1度も連絡しなかった。








  毒親だとか、いじめだとか
  私はどうも、関わる人や連絡とるとらないの判断をその時々、自分で最悪の決断をしてしまうのだろう。



  それでもね 

  いま、連絡しようとしたのはね?

 私の大好きな推しと関わってきて
  神推しとか推しとかとね    

私ね、大好きなひとがいるよ
   神推しと推しとリスナーさんと私のフォロワーさんと!!私、自分をやっと好きになれたんだよ



  私、神推しから褒められるようになったんだよ


  お母さん、私ね

 
  『生きてて良かった』って本気で思っているのよ

  だからさ
  ごめん、アホだけど私も馬鹿だけど

 怒られるけど、それでもね
  話そうか
 私ね、自分を好きになったからこそ

  もう一度、両親ともおばあちゃんとも
また揉めるし喧嘩もするけど   
 向き合うよ

   大丈夫。

私には『神推しと推し』がいるの

 いまの私は『最強』です。







ただいまっ!!

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