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処世としての思想 に興味があります いや、思想は結局全部処世の道具なのか?? より明確…

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処世としての思想 に興味があります いや、思想は結局全部処世の道具なのか?? より明確に処世寄りです。

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  • Happiness Project

    めぐるましいほどの変化、そして繁忙に晒された現代人としてどう生きればいいのだろう?ふとした疑問と独り言を書き連ねています。

最近の記事

Happiness Project #1-Phone Usage

スマホの目覚ましに起こされ、通知を見る。ブルーライトで目を覚ましつつラインに返信し、インスタ、Twitterの新しい投稿を一通り確認する。目は覚めたが、体が起きたような気がしない。顔を洗い、少し気分がスッキリする。そして朝ごはんを食べながらYoutubeで動画を見る。体がやっと起きてきたので、イヤホンをつけ、音楽を聴きつつ出発の準備をする。 電車に乗る、スマホを見る。電車の中ですることなんてない、どうせ周りを見てもみんなスマホを見ているだけだ。あまり深く考えず、自分もその集

    • What Is a Woman? 「ジェンダー」は空虚なラベルなのか?

      最近、アメリカの保守派政治コメンテーターの、Matt Walshが、”What Is a Woman?"というフィルムをリリースした。内容は、トランスジェンダーの方やジェンダー問題のアクティビスト、心理カウンセラーや医者、道を歩いている人やアフリカの先住民など、様々な人に"What Is a Woman?"と聞くものである。 さて、Matt Walsh氏のスタンスは、女性は生物学的に女だということ。そのため彼は、トランスジェンダーの女性(生物学的には男)は、女性ではないと言

      • どう差別と向き合うか-woke culture & cancel cultureを見直す

        _____________________________________ 本文に入る前に誤解を招かないように一応申しておくが、マイノリティへの差別は確かに残酷である。一刻も解決に向かうべきである。 差別には言葉や暴力による直接的なものもあるが、特に恐ろしいのがSystematic(システム化した)なものだ。例えば、今のアメリカでは人種差別者を名乗るものは少ないが、差別化されたシステムが作り上げた社会を我々が生きていることには変わりはない。 黒人やヒスパニックの人たちが

        • 心のモジュール性と「無我」

          今、courseraで"Buddhism and Modern Psychology"(仏教と現代心理学)という授業を取っている。仏教が「自分という概念は幻だ」というのを現代心理学がどう解釈するか、というトピックで「心のモジュール性」という概念を学んだ。 心のモジュール性という説明は進化心理学の範疇にあるのだが、簡単に説明すると、心は進化論的に必要な機能を果たすモジュール(基礎単位)の集合であるという考えだ。 例えば、自己防衛に関するモジュール、性的パートナーを引き付ける

        Happiness Project #1-Phone Usage

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        • Happiness Project
          1本

        記事

          テレビをやめてみる

          ブータンは南アジアに位置する国で、国民の幸福度が世界トップであることで有名だ。決して先進国のように物質的に豊かではないが、衣食住があることに感謝して精神的に満ち足りた生活を国民は送っているという。仏教徒である国王は、GNP(国内総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)を国家の目標にすると宣言した。 さて、時は1999年、そのブータンはテレビを解禁した。その前までは公共広告やテレビは禁止されていた。禁止が解き放たれると共に、30社以上のケーブル会社が契約を交わし、多様なチャンネ

          テレビをやめてみる

          自己啓発本の不完全性

          先日、哲学者千葉雅也さんと國分功一郎さんの対談本、「言語が消滅する前に」(幻冬舍)を読んだ。その中で、自己啓発本に関する面白い表現があった。 千葉:そう、いわゆる自己啓発本は、中途半端だから駄目なんです。(言語が消滅する前に, p69) 上の千葉さんの言葉に応答するようにして國分さんはこう言う。 國分:自己啓発をピュアな形態で考えていくと、今日のテーマでもある「勉強」というキーワードが浮かび上がってきますね。実際、僕らはよく二人で「いまの時代、勉強が大切だ」と言ってきた

          自己啓発本の不完全性

          エッセイ祭りの渡米生活

          (アメリカは〜 というSNSの発信はもはや最近clicheに思えるのだが、貴重な経験だったので書き記したい。) 自主的な作文を始めたきっかけは?と言わたら、なんとなく。としか答えられないが、渡米した高校生活で作文への苦手意識が消え去ったのは大きな理由だろう。日本にいた中学時代までは作文を書いたのは夏休みのときくらい。原稿用紙数枚分の読書感想文を一年に一回くらいだ。もちろん当時はめんどくささ一心で作業をし、その意義など軽視していた。 高校に入ってからは書く量が劇的に変化した

          エッセイ祭りの渡米生活

          知の欲求は危険なのだろうか?

          「吾生也有涯,而知也无涯,以有涯随无涯,殆已。」(荘子) 莊子は、知の追求は危険をもたらすと言った。知が無限のものであるのに対し、人間の生とは有限だ。これは、有限なもので無限なものを追求することの危険性を忠告する言葉である。 同じ道家の思想家、老子は「無為自然」という理想を唱えた。それは、人の手を加えないであるがままに生きようという生き方である。荘子から見れば、有限な人生で無限なものを追求するのは無為自然からは程遠く、人間として自然な生き方ではなかったのだと思う。 無限

          知の欲求は危険なのだろうか?

          田舎からの渡米~留学は夢のような物語にはならかったという話。

          僕の育った岩手は、温かい田舎の安心感があった。ローカルなコミュニティに囲まれ、ほとんどの人がそこで育ち、共通点が多かった。みんな大体似て通ったような人生を過ごしてきたため、色んな価値観を共有できた。 僕が岩手にいたのは中学生のころまでなのだが、岩手での小学生時代は心理的に安心できた。僕の住んでいた盛岡市は、都市と田舎が丁度よく合成された環境であった。そのため、中心部は大都市ほどではないが必要なものがそろっており、自然に触れたければそこから数十分運転するだけで田んぼや山、草原

          田舎からの渡米~留学は夢のような物語にはならかったという話。