見出し画像

田舎からの渡米~留学は夢のような物語にはならかったという話。

僕の育った岩手は、温かい田舎の安心感があった。ローカルなコミュニティに囲まれ、ほとんどの人がそこで育ち、共通点が多かった。みんな大体似て通ったような人生を過ごしてきたため、色んな価値観を共有できた。

僕が岩手にいたのは中学生のころまでなのだが、岩手での小学生時代は心理的に安心できた。僕の住んでいた盛岡市は、都市と田舎が丁度よく合成された環境であった。そのため、中心部は大都市ほどではないが必要なものがそろっており、自然に触れたければそこから数十分運転するだけで田んぼや山、草原に行くことができた。世帯ごとの経済格差も非常に小さく、皆が衣食住に困らない生活を送れていた。必要なものは過不足なく全て揃っており、ローカルなコミュニティの温かさと安心感に包まれた生活であった。人生で勝ち抜くためには競争で勝たなければならない、というよりは、豊かな岩手の環境が与えてくれる日々の幸福に満足できていたひと時だった。

しかし、中学校に入るとともに、成績や学校の対人関係における地位、そのようなものへの競争心が出てきた。将来を考え始め、自分の未来に対する悩みがじわじわと出てきた。このような急な自我の膨張、現在を楽しむ生活から未来を心配する生活へのシフトには嫌気を感じた。それに合わさり、いい高校にいかなければならないプレッシャーに学歴社会へのストレスも増大していった。「9科目すべてで秀でた成績を取らねばいい大学にいけない」という観念が人生を楽しませてくれず、未来を心配させてるような感覚になった。そして、何とかしてこの成績競争から抜けて自分らしく生きることはできないのか?という疑問をきっかけに「アメリカ留学」というのを考慮してみることにした。

アメリカの教育システムは柔軟性という点においては日本よりは格段に秀でている。もちろん、州ごとによって教育の形態は大きく変わるため「アメリカの教育」と一つに一般化できない状況ではあるのだが、少なくとも僕の通っている学校はものすごく面白い。学校は朝8:05に始まり、午後2:30に終わる(最初2:30と聞いたとき「幼稚園か!」と思わず突っ込みを入れたかった。)学校が早く終わるため、自由時間が多く、数えきれない種類のクラブに参加したり、家で自分の趣味を追及したり、バイトをしたり、好きなように使える時間が増える。学校で受けられる授業は幅広く、ヨガ、伝染病学、鑑識学、アニメーション、料理、バイオテクノロジー、など多岐にわたる選択肢がある。卒業するために必要なコアサブジェクト(基礎的な学問、数学、英語、科学、社会、外国語)は必要最低限しか求められていないため、卒業に必要な分だけ取って、料理やアニメーションなどの授業を取る人もいれば、反対にコアサブジェクトの大学単位まで高校でとってしまう生徒もいる。

さらに面白いのは教育システムだけでなく、「人種のサラダボウル」と呼ばれるアメリカの環境だ。僕の通っている学校はアメリカ有数の多様性を誇り、学校の廊下を40種類にも及ぶ言語が行きかうような場所である。授業と授業の間に生徒2000人が次の教室へと移動する5分間はまるでどこかの国際空港のようだ。たくさんの人種、文化、言語を持った人が一斉に廊下を波のように大移動する。外国人が些少な岩手とのギャップは雲泥の差である。

このように、教育システムと国籍や文化において多様性の塊といえるようなシステムにいれば、視点が広がり、学歴の競争社会からは逃れられるのではないか、そうした希望に任せて渡米することにした。父がアメリカ人で英語を話しながら育ったため、言語の問題もさほど大きくなく、アメリカというなの理想郷に行けば自分の生きたいように生きれると思った。そうして自分は父の母である祖母の家に一人で引っ越し、高校生活を開始した。しかし時間がたつにつれて、自己実現の夢のユートピアは崩れていった。

高校最初の六か月は死に物狂いで日本とは異なる文化を理解しようとする日々だった。取っていた授業自体はそんな難しいものではなかったのだが、学校の後に毎日あるローイング(漕艇)や、数学クラブ、遊園地などに旅して歌う「旅する合唱部」、環境維持クラブ、そしてフリスビークラブなどのたくさんの課外活動に参加していたため、色々な人と関わり、体験し、アメリカの持つ多種な文化や価値観への理解が深まる日々だった。友達もたくさんでき、日本から来た一年年上の青年とも仲を深めた。成績もオールAを保ち、充実している日々だった。ナイーブに周りに精一杯合わせてついていくだけの日々だった分、ある意味楽であった。

しかし、コロナが到来した後生活は激変した。2020年3月から学校が一日一時間でオンラインとなり、学校から得るものはほぼ何もないように感じられ、生活に大きな時間の穴が空いた。幸い、自分は本を読んだり、中国ドラマを見たり、ピアノを弾いたりなど、やりたいことが溢れてたので暇を持て余したことはあまりなかった。その一方でどんどんつらくなっていったのが人間関係である。

学校がオンラインであるため、学校外でソーシャルディスタンスを保って友達と会うことが多くなった中、友情関係の在り方が大きくシフトした。コロナ前にできたほとんどの友達が、部活で「必ず会う」関係だったのに対して、コロナになってからは学校がないため友達とは「会いたいときに会う」関係になった。その時に痛感したのが、自分は英語は流暢でも、文化的な価値観は日本人であるということだ。例えば、アメリカと日本は笑いのツボが全然違う。自分が面白いことを言ったと思っても向こうには全然面白くなかったり、相手が面白いと思ったことを自分は面白いと思わなかったりする。そして、多様な国だから色々な人がいすぎて余計についていけなくなる。価値観が違う人と友情を築くのは比較的努力を要するため、必然的に毎日あう友情関係が「会いたいときに会う」友情関係に変わった瞬間、自分と友達の心理的な距離は劇的に遠くなっていった。唯一親しかった日本人の友達も日本に戻ってしまったため、いよいよ自分の孤立化が悪化した。

そうしてコロナによる孤立した状態が一年半続いたのであるが、完全に一人だったわけではない。数人1~2週間に一回共に散歩をする友達がいたおかげで、完全なる孤立は免れることはできた。その彼らも、周りと合わせられない感覚を感じていたり、自分と同じく外国から来たばかりでコロナによって人間関係を遮断された人たちであった。また、日本の親しい友達、そして家族とのビデオ通話も大きな心の支えとなった。互いの価値観を深く理解しあっているため、素の自分を自由に表現できるのは彼らとの会話だけであったような気がした。

こうして、全てがオンラインだったその期間は人間関係が本当に必要最低限に絞られていった気がする。ものすごく少なくても、数人との深い心理的なコネクションがあったためやっていけた。そして非常に不思議なことに、この時のほうが友達がたくさんいた最初の高校6ヶ月よりも孤独感を感じなかったのだ。人間関係において大事なのは、数ではなく深い心理的なつながりなのかもな、と気づいた。

こうして、長くもあっという間にも感じられたオンライン学校の18ヶ月は幕を閉じ、2021年の9月、新年度を迎えるとともに対面授業が開始した。

一年半も家にこもるとなると、その後遺症は大きいものだった。学校がやっと対面授業に戻った頃にはもう高校3年目が開始していたので、既に人間関係の派閥が大体形成されており、新しく仲のいいグループを作るのには今更感が伴った。また、コロナの間にアメリカ人と関わることが少ない分、こっちの人のユーモアや価値観になれることもできず、完全に出遅れた感じがした。今この記事を書いている今も、友情関係の形成に伴う難しさは消え去っていない。一時期、「アメリカには色々な人がいる分。自分にあった価値観の人を探せばいいんだ!」と思っていたけれど、それもなぜかうまくいかない。

友人関係を差し置いたとしても、苦悩は勉強の方面でも徐々に大きくなっていった。アメリカ全体に広がる過酷な経済格差は、学歴社会の重要性を強調するため、「みんな平等な権利を与えられ、努力するものが勝ち取る」社会を目指す傾向が強まった。つまり、成功するためには努力、という観念がどんどん国の中で強くなっているのだ。それに重なるようにして色々な機会を生徒に提供する一見素晴らしく見える教育システムが、大学進学においての求められる努力の水準をさらに引き上げている。アメリカの大学の合否審査は、日本より遥かに総合的であり、エッセイや面接、学校の成績にSAT(アメリカのセンター試験)、課外活動や積極性、それらすべてを考慮したうえで進学がきまる。そのため、社会で上を目指したいものには学歴社会を勝ち抜くための多岐に及ぶ努力が求められるのだ。「難しい授業を取り、色々なクラブに参加し、ボランティアで人を助け、幅広い視点を持っていて、自分の強みと探求心を追求する学生」が大学の欲する生徒の理想像であり、日本のように試験勉強だけすればいいのとはわけが違う。アメリカのほうが人材評価のシステムとしては理想に近いのだとは思うが、いい大学に入るためだけに取りたくもない難しい授業を取ったり、ボランティアをしたり、行きたくもない部活に行ったりする生徒もたくさんいる。そういう総合的な評価を重んじる環境からは、勉強だけを重んじる日本よりも感じるプレッシャーがより多方面から降りかかるのかもしれない。

こうして、友情関係もうまくいかず、学校の競争社会にうんざりとした自分は一時期鬱のようになっていた;現実と日本のころに夢見てたアメリカ生活がはるかに乖離していたからだ。しかし、アメリカに所属感を感じることができず、二年間もつづいた地球に降り立った宇宙人のような感覚は、今まで当たり前と思って生きていた日本人、そしてアジア人としての自分の価値観を内省するきっかけとなった。

自分の所属する場所、アイデンティティを模索していたこの二年間、中国語の勉強を通じたアジア文化との接触が自分がアメリカには見つけられなかった居場所と安心感を与えてくれた。英語が流暢でも、やはり自分はアジアで育った人だ。中国思想や文化、そして歴史を勉強するとそれが妙に自分につながってくる気がした。そこにものすごく深い縁を感じた。

中国に限らずだ。東洋思想の考えは今の自分にとって心底大切である;特に道教と仏教、この二つの思想との出会いが自分のアメリカでの留学鬱を和らげてくれた、そしてさらに今までの自分の生き方を見直すきっかけにもなってくれた。数千年以上前の考えが現代に生きる自分の糧になっていることを考えると、思想の影響力と重要性に感心させられる。

この重要性にはアメリカに来なければ気づかなかったのかもしれない。東洋思想が根付いたアジアから離れて、やっとその大切さに気づくのは本当に皮肉だと思う。距離を置いてみることが、自分に安心感をもたらしていた文化の根源の可視化につながったのかもしれない;それが自分にとってどれだけ大事であるかと。アメリカにまで来てやっと気づいた「灯台下暗し」な発見だった。

高校は通常四年間なのだが、自分は三年で早期卒業することにし、台湾の大学進学を目指すことにした。アメリカをこんな早く去ってしまうのは少し勿体ない感じもするが、自分はもっと生まれ育ったアジアのルーツを追求しながらも別の文化を体験してみたい。

さて、そうなると高校生活もあと6ヶ月である;自分はどう生きていけばいいのだろう。もう少しアメリカで時間を過ごして、この国の価値観をより理解すれば人間関係はもう少し楽になるかもしれない、とそうシンプルでないのがアメリカである。この国は価値観と文化を詰め込んだ場所であるため、「アメリカ人」の価値観や性格を定義するのは実質上不可能である。だからこそ、「アメリカ」の価値観を理解するのも不可能なのだ。色々な人がいる分、自分とうまく波長が合う人を探しながらも、価値観が違う人とうまくやっていくための方法を探ること、これがアメリカに所属するために必要なスキルであり、さらに急速にグローバル化していく世界で今後より求められてく人間関係のありかたなのかもしれない。そして、自分ももう少しここで過ごしてみれば、価値観の合う人がいずれやってくるのかもしれないと希望を持ってみることにしたい。









この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?