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テレビをやめてみる

ブータンは南アジアに位置する国で、国民の幸福度が世界トップであることで有名だ。決して先進国のように物質的に豊かではないが、衣食住があることに感謝して精神的に満ち足りた生活を国民は送っているという。仏教徒である国王は、GNP(国内総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)を国家の目標にすると宣言した。

さて、時は1999年、そのブータンはテレビを解禁した。その前までは公共広告やテレビは禁止されていた。禁止が解き放たれると共に、30社以上のケーブル会社が契約を交わし、多様なチャンネルへのアクセスが可能となった。

テレビは人々の行動に悪影響を及ぼすことがある。暴言や暴力、裏切り、男女の性役割感のすりこみなど、生活の見本とならないものも多い。

その結果、テレビを解禁したブータンでは家族の離別、犯罪や麻薬に手を染める国民が増え、報告された学校での暴力も増えた。また、ブータンに住む研究者たちの調査によると、1/3の親が子供と話すよりテレビを見ることが好きだと言うようになった。

これは一例に過ぎないので、一般化してテレビは完全に悪だ、と言えるわけではない。教育的な子供の発育につながるテレビもあることは否定できない。ただ、多くのテレビ番組は依存、そして非現実性の観点からみて非常に悪影響が大きい。

例えば、テレビや広告の人たちはものすごく物質的にも精神的にも満ち足りた生活を送っているように見える。そうして自分の人生が劣っているように感じる。

容姿の面でもそうだ。テレビに出てくる顔の整っている/痩せている人を見て自分のルックスに劣等感を感じる人も増えている。特にこの傾向はSNSで顕著であり、この間もfacebookの使用が自己嫌悪を増大させ、メンタルヘルスが悪化するというデータをfacebook本社が隠していたことも問題となった。

そうやって、現実よりもテレビという視聴者を増やすために作られた世界に人々はどっぷりとつかり、自分の生活に物足りなさを感じるようになっていく。

テレビの依存性も非常に危険である。昔は、一週間に一話、もしくは連続テレビ小説であれば一日15分など、少しずつ自分の見たい番組を見ていた。一定期間待たないと次が見れないからだ。

しかし、今はNetflixやAmazon Primeで一気にドラマを全部見たりできる。そうなると、廃人のようにずっとテレビを見続ける人が多発する。テレビは現実逃避の場にもなるし、暇つぶしの場にもなる。

自分も、コロナでオンライン学校だったときはNetflix中毒だった。中国語を勉強するために、毎回流れがほぼ一緒である中華恋愛ドラマを見ていたのだが、内容が至ってくだらなくても一話終わるころには次が気になってしまい、見てしまう。結局止まらない。

そういう依存的な症状は自分の生活の色々な場面に影響を及ぼす。テレビを見るために友達と遊ぶ時間、本を読む時間、宿題をする時間が減ってしまった。なぜこれが危険かと考えると、自分を長期的に幸せにしてくれるポテンシャルのあるもの、特に人間関係の構築、をおろそかにしてしまうところだ。テレビは短期的な幸福にしか過ぎない。長期的な幸福のために、テレビは妨げになる。

だから、しばらくテレビを見ないことにする。友達に映画に誘われたら見に行くが、自主的には見ない。それで当分様子を見てみたい、テレビは果たして自分に必要だったのか。

数か月ほど前に、自分はテレビをやめるのとほぼ同じ理由でインスタやツイッター、フェイスブックをやめることにした。連絡はLineやiphoneのメッセージアプリでも全然できるし、それらをやめたところでなんら生活に支障はない。最初は少し寂しかったが、良い決断だったと思う。自分の時間が増えたし、他人との比較も減った。変な理想の世界に浸からず、今目の前にあるものにフォーカスできるようになった。仲いい友達と過ごす時間が増え、人間関係の質も上がった。

だいぶclicheではあるが、最近テクノロジーは本当に両刃の剣であることを、しみじみと痛感する。




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