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読んでいない本を読んだかのように話すことに成功してしまった。

やってしまった。
読書好きとして、禁忌を犯してしまった。
一か八かで飛びついた目論見に成功してしまった達成感と、読書好きとしてどうにも消え去らない後悔が、胸の中で渦巻いていた。 

上司からの課題図書

職場にたまにやってくる上司(以下Aさん)がいる。Aさんはエリアを統括する役職に就いており、普段は近隣の営業所を転々としている。以前おすすめの本を紹介され、次に会ったときに感想を話せるようにすぐにその本を読んだ。Aさんが再び営業所に訪れた際に読後の感想や意見を伝えたところ、前回より更に上機嫌で新たな課題図書を与えられた。

またすぐに読み切って、次に会ったときに絶対に感想を伝えよう。

当然のように心に誓った。

再来の合図

「明日Aさん来るらしいけど、急にどうしたんだろうね。」

職場の上司がそう話す声が不意に耳に入り、突然の知らせに内心ビビった。本を紹介されてから2週間程度立っていたが、体感あと1週間くらいは余裕があると思っていた。本は用意済みだったのだが読む時間がなかなか作れず、我が家の積読の一部となっていた。

今日はとにかく早く帰宅して、寝るまでの時間を全てあの本に捧げ、何が何でも明日までに読了する。

固く心に誓った。

想定外の現実

目が覚めると目の前にあの本が横たわっていた。少しずつ記憶を辿ってみる。本を読み終えたときの達成感や自信が、何故か湧き上がってこない。

私は、寝落ちしてしまっていた。

想定外の現実に直面した私は、物凄いスピードで思考を巡らせた。

「Aさんとはこの間本の話をしたばかりだし、今日は別に本の話をしなくても良いか」
「仮に取り繕って話したところで、それがバレたらむしろ信用無くしそうだしな」
「向こうがあの本の話題を出さなければ、やり過ごせばいいか」

昨日のモチベーションの高かった自分との違いたるや。
あまりの意識の低さに、思わず自分を軽蔑しかけた。

しかし、そんな考えとは裏腹に心のどこかでほんの少しでも何かできることはないだろうかと企む自分もいた。そして、私は藁にもすがる思いでこれまで手を出したくなかったものに手を出し、準備を始めた。

手順①  要約動画や図解の投稿を探す

最近巷には本の内容を要約した動画や、図解で表した投稿が溢れている。便利なのはもちろんわかる。ただ私は本そのものや読書が好きだし、あらすじや要約、図解をなぞるのと一冊しっかり読むのとでは一冊のディテールにまで及ぶ理解には大きな差があると思っていたので、これまでそういった飛び道具的なものには極力手を出したくなかった。

ただ、今は状況が状況である。時間が限られている。とにかくやれることはやるしかない。
私はあの本の要約動画や図解した投稿をとにかく探した。

手順②   共通点を探す

あの本はかなり有名な本だったようで、要約動画や図解は簡単にいくつか見つかった。一つチェックして事足りるならそれに越したことはないが、もしチェックしたものがごく一部のポイントや投稿者の主観に偏ったものだったらまずい。そのリスクをなるべく分散させるため、私は複数の投稿に目を通した。
いくつか見ていると共通して語られているポイントが浮き彫りになってくる。それらを一つ一つ丁寧に頭の中で反芻することで、本の中で伝えたかったことや、本が話題になった要因をじっくり探っていった。

手順③  現状とリンクさせる

本を構成しているいくつかのエッセンスが抽出できたら、それらを今自分が置かれている状況に置き換えたり言い換えたりできる部分を探していった。
今回の本は本全体として失敗例側と成功例側が比較されているような構成だった。成功例側の事例の中には、今の勤め先の会社が現在全社的に進行中のプロジェクトに共通しているポイントがあった。そして、自分の所属エリアで言えばそのプロジェクトを主体として進行しているのは、まさにAさんなのである。

感想を話す時、ここに触れないわけにはいかない。
このポイントは、Aさんに今回の本の感想を話す上での最重要項目だ。

このことに気付いたとき、自分の中に普段一冊本を読み終えた時と同じくらいの達成感と自信がメラメラと湧き上がってきた。これで、いざあの本の話題を振られても返答する準備はできた。家を出る時にはAさんとあの本の話がしたいくらいになっていた。

準備の結果

想定通り、Aさんは来た。周りの上司と業務の進捗状況や最近の出来事について話している。

今日はあの本の話題は出ないかもしれないな。

Aさんの様子を見ていてそんな風に思っていた。

しかし、その時は突然やってきた。
朝礼でのスピーチの中で、Aさんがあの本を紹介し始めたのである。既に本を紹介済みの私に、当然のように飛んでくるアイコンタクト。これはAさんからのメッセージであると受け取らずにはいられないスピーチだった。

「チャンスの神は前髪しかない」という言葉がある。
訪れたチャンスはその時に掴まないと後から掴むことはできない、という意味の言葉である。


私はこの言葉を普段から割と真剣に信じている。
今朝の出来事は「Aさんとあの本の話をしなさい」という神様からのお告げだと思った。自分の中に「腹を括る」という言葉に相応しいような覚悟ができた。

昼休み。事務所に戻るとAさんがいた。
Aさんとたわいもない雑談を交わす中、ついにあの本の話題が出た。

一か八か、勝負に出た。

本のメインテーマ、教訓、身の回りの事例との共通点、そして進行中の会社のプロジェクトとも絡めて、自分の意見を一つ一つ丁寧に伝えた。Aさんは私の言葉を一つ一つ丁寧に受け取るように、目を見て、相槌を打ちながら、話を真剣に聞いてくれた。

本を一切読んでいないなんて、口が裂けても言えないくらいに。

そして「言いたかったのはまさにそういうことだよ」と言わんばかりの表情と言葉をくれた。たまたま近くにいた上司にも、私のことを「ちゃんと本質を捉えているね。」と話していた。

私は、読んでいない本を読んだかのように話すことに成功してしまった。

目の前に突然やってきたチャンスを申し分ないくらいに活かせた達成感と、これまでに挑戦したことのないミッションをクリアできた安心感とで、思わず安堵の息が漏れた。

要領の良い人ならこの時点で、全て丸く収まり万事解決と思うだろう。
しかし、私は純粋に本や読書が好きな人間だった。
達成感や安心感を得た直後、読書好きとしての罪悪感のようなものが胸の内に広がってきた。

果たしてこれで本当に良かったのだろうか。
あの本にもAさんにも何だか申し訳ない。

その夜、私は部屋でひとりそんなモヤモヤした気持ちを拭うようにあの本を一から読み始めた。

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