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運転するようになって気づいた自分と他人のこと

ツイッターなんかで運転マナーについての議論を目にすることがあります。よくあるのは、進路妨害されたと訴えるドライブレコーダーの撮影者に対して、それはあなたが予測しないから起きた事態ではないか?という指摘。なぜ交通社会においてこのような事が起こるのでしょうか?交通事故を起こさないためにはどのような心構えで運転すればいいのでしょうか?運転好きの大学生が考えてみます。(兼、備忘録)

交差点にはいろんな人がいる

「あ、そろそろ赤になっちゃうけど渡りたい…」
という気持ちがきっかけで事故が起こることはあるでしょう。このとき、事故の予兆は事故現場の信号ではなく、それ以前からあった可能性があります。例えば2つ前の信号から全て赤信号に引っかかっていたとか、下手なドライバーのせいで自分だけ出遅れていたとか。その場合、ドライバーの気持ちとして、不利益が蓄積している実感があるかもしれないのです。逆に家から出た直後で、極めてリラックスしているドライバーもいます。なので同じ交差点でも、その場にいるドライバーの心情はさまざまなのです。

要するに、一つの交差点の中にイライラしている人もいればリラックスしている人もいるということです。ドライバーによって心理状態が異なるならば、黄色信号を渡るかどうかといった判断に差異が生まれることも考えられます。こうして信号を渡れたと思う人と渡れなかったと思う人との間で追突事故などが発生することがあるのです。

わかりやすい運転

事故はなくなるべきです。しかし公道において求められるのはそれだけではありません。公道の究極の理念は、円滑な道路網の動作です。毛細血管のように日本に張り巡らされた道路が、円滑に機能することですべての国民は恩恵を受けることができます。誰しもメリットがあるのです。

とはいえ常にこんなことを考える人はいないでしょう。僕が心がけていることを紹介します。それは周りがわかりやすい運転です。運転が上手い人やドライバーを生業にしている方には言わずもがなですが、ウィンカーを出す時間の長さや、スピードの緩急でボディランゲージのように意思表示をすることができます。ここでわかりやすい意思表示ができていれば、たいていの場合周りは歩調を合わせてくれます。

このあたりは周知の事実かもしれません。さらに言及すると、わかりやすい運転をするということは、わかりにくい運転をしないということでもあります。ウィンカーを出す時間の長さやスピードの緩急は、たとえ無意識の挙動であっても意思表示になってしまうのです。道に迷ったときや車内でアクシデントが発生したときに、無意識に意思表示ととられる行動をしてしまうことがあります。本人は何も感じていなくても、周りのドライバーからするとあなたの運転が予測できなくて緊張することになります。その結果、運転が下手だと思われてしまうのです。

最近車の挙動が読めるようになってきた

たいていの職業ドライバーの運転は、まずわかりやすく運転されているので読むとか読まないとかの議論は生まれません。下手なドライバーの運転は、はじめは予測ができず恐怖の対象でしたが、一応下手なりのロジックがあっての挙動不審運転になっているのです。例えば急に減速した車の近くにコンビニの駐車場があった場合は、駐車場に入りたいのかもしれないと予想できます。きっとこのままウィンカーを出さずに入るだろうな~、あ、入った。こんなシーンをよく見ました。下手な人の多くは、目に見えたものと行動がなんの思考プロセスもなしに結びついています。急に減速したら追突されるかもしれないという思考は経験値が必要なのです。車線変更禁止のライン手前の交差点や、駐車場入り口の近くでは下手なドライバーの運転が簡単に予測できるので、危険回避に繋がります。

交通社会にみる、人間社会を生き抜くヒント

さて、これまで「わかりやすい運転をし、わかりにくい運転をしないこと」について書きました。これって人生にも言えることではないでしょうか。意図しない意思表示をしないようにする。素直に感情を表現する…

運転やオンラインゲームなど、相手の顔が見えないやりとりでは人は感情的になりやすいです。感情的になってはじめて自分の思考に気づくこともあります。僕はすぐイライラしやすいという発見があり、面白かったです。運転に学ぶことはまだまだありそうです。

あなたは運転する際考えていることなどありますか?コメントもお待ちしてます。
(著者: 田中)

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