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心のことを深く知りたいと思っていた思春期

確か高校1年の春のことでした。
暖かい小春日和の日に井上陽水の「傘がない」を聴いていて、突然襲ってきた恐怖。とにかくじっとしていられなくて部屋の中をウロウロして、何が起きたのか分からずに不安に包まれました。

それからはまたあの恐怖が襲ってくるのではないかと怯える日が続き、両親の勧めで心療内科に通ったのですが、そこは先生が話を聞くだけで、特にアドバイスがあるわけでもなく、何の意味があるのだろう?と感じて数回で通院するのをやめました。

まぁ多感な時期だったというのはあるでしょうけど、人間関係で悩んでいたとか、将来に不安を抱えていたということなど一切なく、なぜそんなことが起こるのか理解ができませんでした。

今はネットでなんでも調べることができますが、当時はそれがなんなのか皆目見当がつかず、再発することが不安で不安でしょうがなかったのですが、今思えばパニック障害だったと思います。

それからは「心」というものを知りたくて、自分なりに本を読んだりしながら、時々襲ってくる不安に立ち向かいながら日々を過ごしていたことを思い出します。


その当時から実は気がついていたのですが、あれは霊障だったのではないかと思っていて、ウチの家系は父親も精神的な障害があって、若い頃から心療内科に通っていたのです。
これは遺伝と違い、何か他の理由によるものだという気がしてて、自分的には家系にまつわる「何か」なのだろうとずっと思ってました。

このことについてはまたあらためて書こうと思っていますが、精神的なことは目に見えないことなので、何がどんな形で影響を与えているのかはわかりにくいものです。そして肉体的なことにも密接な関係にあるので、精神面が不安定だと体調にもそれは現れます。

僕の場合は高校生の頃のこの体験がきっかけとなり、「心」のことを深く知りたいと思うようになりました。
ただ当時は誰に相談すればいいのか、どこにその情報があるのかわからず、宗教的な本を読んだり、他の人の体験談などを探すしかなくて、簡単に解決するようなものではありませんでした。

その後は鬱なども経験し、今ではそういった経験があったからこそ、自分と向き合い深く掘り下げることができたと思えますが、その渦中にあるときには苦しくて苦しくてしょうがありませんでした。

精神的なことで何か問題が起きているとしたら、それは「病気」ではなく深く自分のことを知るいい機会なのです。
その経験が他の人の役に立つこともあるだろうし、もしかしたら誰かの気づきになるかもしれないという思いもあって書いています。

現代のように大きく価値観が変わるときは、精神的に不安定になることもあると思いますが、何にフォーカスするかで人生は大きく変わります。
不安や心配は長く続くと体調も崩れてしまうので、それを取り除くというよりも、ポジティブになれるほうへ気持ちを切り替え、それをキープするためにはどうすればいいか、その方法を見つけることですね。


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