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コインランドリーと非通知からの着信(日々のアユミ)

2022.8.17(水)

先週末、父親が脳梗塞で倒れた。
階下の母親から電話があって駆けつけた時には半身が動かせずに呂律も回らない状態だったので、すぐに脳梗塞だと気づいた。頭部もひどく浮腫んでいた。

わたしは普段家族とは別の内容の食事をみんなより早い時間に頂いているので、最後に元気だった父の姿を見たのはわたしの食事中に高校野球を見ながらブツブツと言っているいつもの父の後ろ姿だった。

いつも焦って動く母親がいるせいか、何かあると落ち着いて行動するように心がけているけれど流石に動揺したけれど、幸いながら介護職をしている弟が家にいて救急車を呼んでくれていたので本当に助かった。

近くにいた母の話から、倒れてからそんなに時間が経っていなかったことがわかったし、呂律は回らないものの言っていることは理解している様子だったので「今どんなに周りがあたふたしても状況が変わるわけではないし、医療機関に任せて自分たちのことをやるしかない」とそう思っていた。
実際のところ本当にそれしかなくて、どんなに先のことが不安になっても今の状況でしか判断出来ない、無駄に色々と考えを巡らせて不安になって周りが体調を崩しても仕方ない。

そんな風に冷静に判断する自分に対して、どこか冷酷さを感じる気持ちもあった。

一つ前のnoteで「感じられない体、受け取れない心」という話を書いたのだけれど、わたしの感情や思考はいつもワンテンポ遅れ気味で、自分が思っていることを自分ではない他の人と話すことで初めて自分でも理解することが多い。
やっぱりそれは自分の中で危険回避する手段だったのだろうな、と今になって思う。

父は救急対応の病院から移動し、今は入院生活を送っている。
当初は大丈夫だろう、と思っていたけれど実際に病院の先生から聞いたのは割と重症だということだった。
お盆休みの期間だったので、検査が先送りされていてまだ詳しいことはわかっていないけれど左半身の麻痺が出ていたので右脳に異常があるのかな、とは思っている。

父が入院して「ひとまずはみんな自分達の生活をきちんとやろう、周りがしっかりしていないとどうしようもない」という話になっていたものの、父親が夜間に動いたり点滴の管を抜こうとしたり、病院の夜勤者が少なかったりでしばらくは母親が付き添わなければならなくなった。

普段、母親と一緒にリビングで寝ている犬たちは分離不安症気味で誰かがいないと遠吠えをしてしまうため一緒に寝る生活を送っているけれど、元々わたし自身が不眠症なのでぜんぜん落ち着いて寝られない…ただ病院の母も眠れていないはず。

朝、気分転換を兼ねて歯磨きしながら庭に出たら馬歯莧(ばしけん)の花が咲いてた。


朝、すっきりしないお天気だったので、病院から母が持ち帰った洗濯物を持ってコインランドリーへ向かった。
この夏の過酷な気候と色々で梅雨頃から体調を崩していてヘトヘトになっていたところでのこの出来事に正直疲労困憊になりながらも、こなさなければならない日常もある。

そんな日常の中での小さな楽しみや自分の安らぐことを大切に、やれることはやるしかないと思っている。起きてしまったことはしょうがない。

コインランドリーで乾燥している間に買い物を済ませ、家に戻ると一気に気が抜けそうだったのでコインランドリーで洗濯物を畳むことにした。
目の前にはたった一日分なのに山のような父の洗濯物が積み重なっていた。


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