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センター試験の監督はスニーカーを履く

2019年10月1日初出

皆さんはセンター試験を受験されただろうか.国公立大学はもちろん,日本の多くの私立大学も参加しているので,受験された方も多いだろう.そんなセンター試験の裏話をしてみたいと思う.

センター試験は大学や高校で実施されるのだが,その試験監督は誰がやっていると思われるだろうか?

センター試験の監督は,大学の教員(教授,准教授,専任講師,助教)が大学運営業務の一環として担当する.大学運営業務の一貫なのだから,大学ごとに自由に運営しても良さそうなものなのだが,受験生が最終的にどこの大学を受験するかわからないので「全国一律」が徹底されている.どういうことかというと,試験監督を担当する教員には一切の裁量が無いということだ.

どのぐらい裁量がないかというと,まず服装の自由がない.いや受験生も真剣なのだから服装ぐらいきちんとしろと言われるかもしれいし,それはそのとおりなのだが,問題は靴なのだ.スーツを着ていくのだから革靴だろう…と洒落込むとアウトである.革靴は教室を歩くときに靴音が響く.靴音は受験生の集中力を削ぐおそれがある.だから服装はスーツにスニーカーなのである.

また受験生に直接話しかけることも禁止されている.例えば,ある受験生が受験番号を書き忘れていることに気づいた場合でも,その受験生に注意することが出来ない.唯一できるのは,受験会場の全員に「受験番号を書き忘れていないか確認してください」と呼びかけることだけである.この呼びかけさえ,台本にない行為なので本来は禁止されている可能性が高い.

そう,試験監督には事前に綿密な台本が渡されるのである.

その試験監督の台本の中身について語ることは禁止されているのだが,我々大学教員がどのような心持ちでセンター試験の監督に臨んでいるのか,その一端をここでご紹介しようと思う.

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​センター試験を割り当てられた大学では,試験監督を選出する.これが大きな大学だと数年に一回まわってくるぐらいなのだが,小さな大学だと毎年あたる.いや,それでも試験監督が足りないので,近隣の大学に応援を要請する.

センター試験は都市部だと大学だけで行うのだが,人口密度の低いエリアだと高校も試験会場にする.特に離島の多い地域だと,離島の高校で実施することもある.この場合,試験監督が会場に到着できないと大変なことになるので,数日前から会場入りする.

またセンター試験の実施方法は毎年少しずつ変更されるので,事前に監督者説明会というものが各大学で開かれる.大学によってはリハーサルも実施する.このとき大学入試センターが作成した要領が配られるのだが,厚みが1cmは超えている.この要領の中に,諸注意から,各試験実施時の台詞(時刻指定付き),トラブルのときの対処法(フローチャートになっている)まで詰め込まれているのだ.

他に,大学ごとに当日の教室配置や受験番号リスト,トイレの場所なんかを記載した資料も配られる.

これらのマニュアルにはおよそ起こり得るありとあらゆることが書かれている…はずなのだが,配られる方も大学のセンセイなので中には頭の回転が早い人もいる.説明会では「これこれこういう状況になった場合はどうすればよいですか?」という質問が出る.そんな場合,大学の事務官が「大学入試センターに問い合わせます」と言って質問を引き取り,後日学内メールなどで周知されるとともに,大学入試センターのほうでも Q&A 集を作っているのであろう,本番直前に追加資料として送られてくることもある.

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試験三日前ぐらいになると,受験生もそうだが試験監督者も当日の天気が気になってそわそわしてくる.試験監督者の集合は朝の8時頃に設定されるので,普段雪の降らない地域で雪でも積もると大変なことになるのだ.そのために自動車通勤を禁じている大学も,センター試験当日だけは自動車通勤可能としている場合が多い.もっとも雪が積もってしまうと,かえって危ない可能性もあるのだが.

というわけで,降雪が見込まれる場合,一部の事務職員は試験会場に泊まり込むことになる.また監督者も大幅に早く試験会場に着くように出発するし,必要に応じて自腹でタクシーを使う.全ては受験生のためである.
いや,そもそもセンター試験の監督業務が手弁当なのである.試験監督には僕のようなぺーぺーもいるが,中には日本の宝とも言える大学者だったり医学部のスーパードクターがいたりする.ちょっとここらへんなんとかならないかなあとは思う.

さて,早朝の決められた時間に試験場本部に集合し,ひとしきり試験実施の説明を受けたあと,監督者の時計合わせが行われる.時計はNTTの時報サービスにあわせて誤差1秒以内に揃える.電波時計を持っているからと言って安心してはいけない.電波時計だってずれている場合があるのだ.いや,電波時計はずれた場合に修正が効かないので,むしろ電波時計じゃないほうがいいのかもしれない.とにかくチープカシオが最強である.

なお試験2日目になると,早朝の説明会も「昨日はこういう事故がありました」という話になる.もちろん対策は「気を引き締めましょう」だ.このあたりはブラック企業と変わらない.

その後,指定時刻に問題用紙と解答用紙,事務用品一式が試験監督に渡される.試験監督はだいたい3人一組で,それらを抱えて試験会場へ向かう.試験会場はあらかじめ事務職員によって暖房が入れられていて(試験中は暖房が禁止されているため),受験番号が黒板に張り出されている.また最近は試験会場にノロウィルス対策キットが準備されていることも多い.

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試験開始時刻になると,試験監督の一人がセリフを読み上げる.あとはセンター試験を受験されたことのある人なら,一通り体験したとおりだ.ただし,やはり積雪があったりして交通機関が乱れやすい時期ではあるし,場合によっては会場の雪かきが必要だったりして試験実施時刻そのものが遅れる場合もある.そして,センター試験では遅刻者の取り扱いが難しいのだ.
一例をあげよう.

例えば,試験会場が雪に埋もれ,雪かきのために試験開始が10分繰り下がったとしよう.予定通り到着していた受験生にとっては,試験開始が10分繰り下がり,試験終了も10分繰り下がるだけだ.

ここに5分遅刻した受験生が来たとしよう.この受験生は,遅刻の理由を問われる.もし遅刻理由が「寝過ごした」「道に迷った」など本人の責めに帰する理由の場合,この受験生の解答時間は5分削られる.試験開始は10分繰り下がっているので,試験開始には間に合うのだが,わざと5分待たせてから試験を受けさせる.

一方で,交通機関が遅れたため15分遅刻した場合,試験開始繰り下げの10分を超えているため,救済措置が取られる.これは本人の責めに帰さない理由の場合すべてに適用されるので,例えば電車内で痴漢にあって警察に事情を説明してきたとかでも構わない.より極端な例を挙げると,大雪で1時間遅刻しそうで,かつ試験開始が2時間繰り下がっていたことを知らずに途中で引き返したとしても,再受験の資格が与えられる.

試験監督はいちいちこのような規則を覚えていられないので,大幅に遅刻した,受験票を忘れた,事故にあったなどのイレギュラーな受験生はいったん試験場本部に行かせる.もちろん試験監督が案内するわけには行かないので,試験場の外にいる連絡員が対応する.

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試験中は会場の暖房を止める.これは騒音を出さないためである.試験監督は適宜受験生の間を巡回することになっているが,これも足音を立てないようにそろりそろりと歩く.かつてノートパソコンを持ち込んだ試験監督がいたそうで,受験生から「キーボードの音がうるさかった」と指摘されて発覚し,それ以降全国的に「監督業務に不要なものの持ち込み禁止」が言い渡された.今ではスマホの持ち込みも禁止されている.

さて,受験生も体を動かせないし,部屋は寒くなるしで,当然行きたくなるのがトイレである.受験生がトイレに行きたくなった場合は,静かに手を挙げる.試験監督が受験生のところまで行き,適切な指示を出したあと,トイレまたは部屋の外の連絡員のところまで連れて行く.なお試験監督や連絡員もトイレの中まではついていかない.

問題は試験監督がトイレに行きたくなった場合である.そのようなことがないように極力準備はしておくのだが,生理現象には勝てないこともある.そんなときはどうするか.先程書いたが,試験監督はだいたい3人一組である.試験開始30分以内(遅刻者が来るかもしれない)と試験終了10分前からはさすがに遠慮するが,それ以外の時間だと若干監督業務に余裕があるので,同僚監督に「トイレに行ってきます」と書いた手書きメモを渡してトイレに行くのである.当然,試験室の外にいる連絡員やトイレにいる受験生と鉢合わせることになるので,若干気まずい.

厳密に言えば,試験会場で起こったインシデントはすべて記録し,また試験場本部に連絡しなければならない.ただ試験監督のトイレは報告しなくても良いだろう.少なくともマニュアルに「書け」とは書かれていないようだ.

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試験監督が最も緊張するのは,英語のリスニング試験だ.2020年から英語民間試験へ徐々に移行することが決まっているので,今後はこのような苦労は減るかもしれないが,触れておく.

英語リスニング試験にはICプレーヤーが使われる.昔流行ったMP3プレーヤーと似ているが,試験問題しか再生できないようになっている.しかも,一度再生を開始すると止めることは出来ず,もう一度再生することも出来ない.つまり始まってしまうと,受験生も試験監督も止められないのである.

リスニング試験用のICプレーヤーの操作方法は極限まで簡素化されてはいるのだが,それでも受験生は緊張しているし,部屋は寒いしでいろいろ誤操作は起こり得る.一番多いのは,パッケージから取り出せない(試験監督がビニール袋をハサミで切る),電源が入らない(電池ボックスのビニールシートを試験監督が引き抜く)といったトラブルだが,中には「音が再生されなかった」と報告する受験生もいる.そして,ICプレーヤーのトラブルに関して,試験監督は受験生の言い分をすべて信じるように指示されている.

ICプレーヤーに実際にトラブルがあってもなくても,受験生が不具合を感じた場合,受験生は再試験を受けられる.というわけで,リスニング試験中は試験監督も戦々恐々としているのである.

英語リスニング試験は試験初日の夕方に実施されるのだが,僕が監督をしていた高校で,リスニング試験中に町内放送が流れたことがある.試験会場にいた監督全員が「ああ,再試験確定か…」と思ったのだが,地元高校生にとっては馴染みの放送だったらしく,特に苦情が出なかったため生活騒音ということになったこともあった.

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センター試験は2日間にまたがって行われる.2日目の午後は受験生も減ってくるのだが,ゼロではないし,試験が終わっても業務は続く.まず解答用紙を指定の袋に詰めたあと,指定のコンテナに詰めて施錠する.通常はそのコンテナをタクシーで大学職員ごと輸送するのだが,離島会場だと船で本土まで運ぶことになる.この場合大学職員は居残りで,試験監督を担当した教員は地元経済を回しに出かけることになる.

とはいえ,センター試験が行われる1月中旬というのは,学生の卒業論文や修士論文を抱えて大変に多忙な時期でもある.しかもセンター試験が終わるのは日曜日の夜なので,すぐに翌日から学生の指導に復帰するのである.
受験生には存分に実力を発揮してもらいたいのではあるが,大学入試センターによる教員の「無茶使い」は改善の余地があると,僕は思う.

試験監督は一切の裁量を持たず,時報に同期したロボットとして振る舞わねばならない.これは,クリエイティビティを追求したり,学生に教えたりする大学の教員にとって最も苦手なことである.苦手なことをさせるからミスもおこる.それを「忍耐・根性・努力でなんとかしろ」と言うのでは,我々は先のインパール作戦から何も学んでいないことになる.

いや,これはちょっと言い過ぎたかもしれない.

こと受験となると「こうあるべき」という理念が先行しがちだが,受験生も人間,試験監督も(ロボットに見えるけど)人間,裏方も人間ということを,この機会に思い出してもらえたらと思って書いてみた.

僕は「センター試験は壮大なファンタジーなんだ」というブログ記事も書いているので,ご笑覧いただければ幸いだ.

金谷一朗

和歌山大学助手,大阪大学准教授,長崎県立大学教授などを経て,2020年から長崎大学教授.

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裏から見た大学のお話

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