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愛着障害のきもち

「男性が本命に選ぶのは自立した女性!」

「自立している人でないと結婚はできません」

うるさい。どいつもこいつもなんなのだ。
自立、自立と狂ったように。どうやら自立教がこの世の最多勢力であり、異教徒の居場所は無いらしい。

まずそもそも自立をきちんと定義していないところに腹が立つ。
経済的、精神的,物理的…自立と言っても色々あるはずだ。
そんなふわふわした理論になぜこうも振り回されにゃならんのだ。

酒、タバコ、音楽、ゲーム…誰だってすがるものがあって、それがたまたま「人」なだけだったのになんでそれだけでこんなに迷惑がられなきゃいけないのか。

理不尽である。非常に。理不尽極まりない。

私は自分の価値判断を他人に委ねている。だから,誰かがいないと生きていられない。

自分が愛されているかいつも不安,自分に価値は無いと感じてしまう,よく試し行為をしてしまう…このような思考のパターンを持つ人々を「愛着障害」というらしい。

愛着障害になる原因として,幼少期の親からの愛情不足がある。
片親家庭の機能不全家族で育った私はまさにこれで,子供の頃に得られなかった分,恋愛で無償の愛情を得ようとする。

べったりと相手に依存し,何があっても自分のことが好きか確認するためにわざと怒るようなことをして試す。

最初は相手も頑張って応えようとしてくれるけど,そのうち喧嘩が多くなる。

自分のことを受け入れてくれない相手と一緒にいるのが辛くて,また他の,受け入れてくれる誰かを探してしまう。そのこと自体も相手を傷つけてしまって,結局うまくいかない。

これが私の人間関係のパターンであった。

愛着障害をどうしたらいいか悩んでネットで調べてみると,下のような言葉が並ぶ。

「自分で自分を肯定できるようになりましょう」

「自分で自分のことを愛してあげましょう」

「自分の気持ちにもっと注意を向けましょう」

それができれば確かにこの不安感は解決されるだろう。しかし,私はどうしてもやるせなさを感じてしまう。

みんなは幼少期に得るべき肯定や愛,親からの興味関心をすでに十分もらっているから安定していて,私はそれらをもらえなかったから不安定になった。

なんでみんなが他者からもらえたものを,私は他者に求めてはいけないのだろう。子供の頃にもらえなかった人は,もう諦めて,自分で供給できるようになってくださいなんて,もらえた側の人がどうしてもらえなかった側の人に言えるのか?

あまりに理不尽だ。

私は私の存在をただ肯定してほしいだけなのに。
変わらない愛情がほしいだけなのに。

もう期限切れだから,受け取れないみたい。

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