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夏休みと、最近の読書

恐れていたとおり、夏休みがはじまった図書館はすごい人だった。
1年前も2年前も体験してるはずなのに忘れてしまう (今年で3年目。まだまだ新人だと自分のなかでは思ってる)

図書館は静かなイメージが多いけど、1日を通してだいぶ忙しい。休めるときに休んで、体力を切らさないようにしたい。

夏休み期間ほど、母親業が忙しくなる日々はないんじゃないかと思う。
勤務先の休憩時間だけが、唯一ひとりでいられる時間になってしまうのだ (おそろしい…)

この40日間は、家族が生きているだけで100点!という感じでいい。
どれだけ片付けても散らかるし、暑いから体力だって使うし、いつもの家事をするだけで汗だくになる日々なのだ。
そんななかで、仕事も家事も全部できっこない。

自分のなかの及第点を大幅に下げて暮らしたい。
最近は目を休めるために、情報を入れないようにしている。
スマホは朝の瞑想だけで、それから夕方までは、なるべく見ないようにとか。
(少なくとも午前中は見ないで過ごしたい)
そうすると読書時間も自然ととれる気がするから。


最近読んでいるのは、この本。


一穂ミチさん、直木賞候補になったときから気になっていた。ようやく読めるというときに、受賞が決まって嬉しくなる。

コロナ禍のひりひりするような閉塞感や苦しみが炙りだされる短編集だった。
数年前のことをいくつも思いだした。最後に救いが残された話もあって、よけい身につまされる。

5類になって久しいけれど、感染症がなくなったわけじゃない。(11波のニュースもある)
現実と同じように、登場人物の日々も痛みを孕みながら続いていくんだろう。


2冊めは、こちら。


こちらも気になっていた本。
性にまつわる女性作家の体験を集めたエッセイ。

性のはなしは、いろんなフィルターにかけられがちだと思う。男性目線の性と、女性作家が語る性の温度の違いに気が遠くなる。

性の根底にあるのは自己の尊厳を守ること。
自分の身体は自分のものだと確信していることだ。

日本の性教育は、世界の基準で見ると遅れすぎている。(ほんとうに!)
避妊の仕方もそう。いまだにコンドームが主流の国は、先進国ではあまりない。
その遅れはジェンダーギャップの問題にも根深く絡んでいるだろう。

私の身体は私しかコントロールすることも、体感することも生きることも出来ない。夫も他者も誰も私の身体に代わってくれないし代われない。私が介在していない言葉が当たり前のように出るこのふざけきった物語は許されない。

『私の身体を生きる』より


ときに鋭利な刃物のように語られる性の重さに、ひとつの文学作品を読んでるような気持ちになった。


今日は子供たちが遊べるものを色々買ってきた。
(本当に最近の百均はいろんなものが売っていて助かる……)


家で過ごしたり、時には外出したり。
日々バランスをとりながら、今しかつくれない思い出を積みあげられたらいいと思う。




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