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見えることと、本のこと
お盆も終わって、夏休みも後半。
最近は意識的にスマホを見ないように過ごしてた。
なぜかというと、
1週間くらい前に目を痛めてしまったから。
仕事中あまりにも目が痛くて、その日は早退させてもらった。泣きながら眼科に急行。
(間にあって良かった)
まぶたの裏に異物が混入してて、
まばたきのたびに黒目を傷つけてたそうだ。
(眼球が針で刺されてるみたいで、ほんとうに痛かった……)
2種類の目薬を処方してもらって、
最近はだいぶ良くなった。
そしてあらためて、
見えることの有り難さを痛感した。
物が見えるって、当たり前のことじゃないんだなぁと。そんなときに、読んだのがこの本。
この著者の『線は、僕を描く』がとても良かったから、こちらも手に取った。
視能訓練士として働く主人公が、
さまざまな経験を通して成長していく物語。
ありとあらゆる症状を抱えた患者さんが病院にやってくる。そのエピソードを眺めていると、物が見えることが、大きな奇跡の上で成り立ってることがよく分かる。
ある朝起きて、なんとなく目が見えにくくて、それからすぐに見えなくなる。残念ながら、それは珍しいことではない。ごく普通に生活している人にも、起こり得ることだ。
目というのは、小さな器官だけれど、あまりにも複雑でその広範な機能を人はまだ解明できていない。
誰かと向き合い、誰かの瞳を覗き込むとき、「奇跡」の精密さを感じている。ああここにも奇跡がある、と、心のどこかで思っている。
目とは今この瞬間を捉え、未来を探すための器官だ。光を捉えるということは、可能性を捉えるということだ。
『線は、僕を描く』でも思ったのだけど、
この著者は「生きること」について書くのがとても上手いなぁと思った。
生きることを書くって、言葉にすると簡単だけど、そのエピソードが身に迫ってくる体験は、なかなかできるものじゃない。
多くの人は日常生活のほとんどを、物を見ることに頼ってる。見えなければ、その時点で出来ないことが多すぎる。
目を痛めて見えなくなって、出来なくなることを考えたとき、それはとても恐ろしいなと思った。
本書に記されているとおり、
『見えるということは、この世で、最もありふれた奇跡なのだ』
眼科に看護士さんみたいな人がいるのは知ってたけど、視能訓練士という呼び方は知らなかった。私も知らず知らずのうちに、お世話になっていたんだろう。
物語の主人公は、患者さんの瞳の奥をのぞきこんで、そこに隠されている痛みの種類を知ろうとする。瞳をのぞくことは、その人の心を知ることなのだと思った。
視覚障害を抱えたひとに彼は優しく語る。
「美しい瞳はね。暗い世界の中で懸命に光を探そうとしたとき、現れるんだ。生きようって思う気持ちは、瞳にいつも現れてる」
「君がいま、真っ暗だと感じているのは、光への瞬目だよ。その一瞬でしかないんだ」
光への瞬目、という言葉がとても美しい。
無意識に捉えた光のなかで、
今日もかけがえのない一瞬を生きているんだな、と思った。
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