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雨の日、読んだ本のこと
この人のエッセイは面白いだろうな。
刊行される前から、そう思う書き手がいる。
武田砂鉄さんもその筆頭だ。
勤務先の図書館で、
『週刊新刊全点案内』を目にしたときからそう思っていた。
※『週刊新刊全点案内』は図書館流通センターが発行している情報誌で、本を選書するときに使う。
以前読んだ、
『べつに怒ってない』もとても好きだった。
今回は子供の有無について、
あるいは家族の形について、
第三者目線で書かれたエッセイ。
とにかく、痛快なのだ。
武田さんのエッセイはこれに尽きる。
言葉が研ぎ澄まされている。
時に静かな怒りさえ感じられるけど、
書き方が秀逸ですんなり読めてしまう。
本来どう生きるかは個人の自由であるはずなのに、それを許さない雰囲気が社会全体に漂っているのだ。
それは第三者目線だからこそ、
はっきり見えてくるのかもしれない。
雰囲気って、束ねると圧力になる。その圧力は、直接的に、そして間接的に繰り返される。
「普通」って、一体何なんだ。
そんなことを何度も思った。
知らないうちに「普通」が決められている。
その圧力は知らないうちに、
たくさん振りかざされている。
でも、そもそも、その山は、皆が登らなければいけない山なのだろうか。そんなはずはない。自分が登るべき山を、誰かから指定されたくはない。
本当にこの言葉につきる。
何気なく聞き流している台詞、
報道で使われる言葉、世間的な社交辞令……
数えあげるとキリがないけど、
いたるところで「普通」が尊重される。
そこに風穴をあけて、風通しを良くしたい。
そんな願いが見えてくる。
そういう視点から語られる言葉はあまり見当たらないから、どれも新鮮で痛快だ。
でも「新鮮に思える」こと自体、
本当は不自由の証左なのだ。
「子供がいない人生も意外と幸せらしいよ」
本書で紹介されるそんな会話のなかでさえ、
普通の圧力はひそんでいる。
私たちは、誰一人として、生まれてこようという強烈な意思を持って生まれてきたわけではない。生まれた後で、「さて、生まれてきたけど、どんな感じで暮らしていこうか」と考える。もう生まれて40年くらい考えているけれど、まだ答えは出ないし、出さなくてもいいのではないかとも考えている。
誰もがその人らしく生きる権利がある。
そんな当たり前のことが軽視されているなら、やっぱり是正されるべきだ。
最後に。
武田さんが奥さんの存在を、
「めっちゃ仲の良い他人ですね」と答えたというエピソードがとても良かった。
それくらいの距離感が、
「めっちゃ仲良く」いられる秘訣なんだろうなと思う。
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