軽井沢の別荘地で、長く避暑していた頃。
流れ星は見えなかったけれど、浅間山に近い中軽井沢の夜は、四等星までが綺麗に肉眼で眺められる。
軽井沢に叔母が住んでいた2001年からほぼ二十年、夏は入り浸って同人誌原稿を描きつつ旧軽井沢通り郵便局から何度も、冬コミ申し込みを発送していた。何故か軽井沢から投函すると、サークルスペースが当選するのだ。
従姉妹や友達が何人も泊まりに来て、近くのステーキハウスと星野温泉を楽しむ。うちは常連なので店長がよくサービスコーヒーを出してくれたり、楽しかったなあ。
もう10年は軽くご無沙汰だけど、お盆には数時間待ちのあのお店は、コロナ禍を過ぎても元気にやっているだろうか。
血縁では無かったけれど、叔母には本当に感謝ばかり。あの素晴らしい場所があったから、青春時代に避暑地別荘生活を堪能して、軽井沢や上田が第二のホームになって、草津温泉にもバスで往復。
特別列車「ろくもん」に乗れたし、楽しかった両親と柴犬と、家族みんなの思い出が、あの緑に溢れたベランダの風景と共に私の中へ残っている。
叔母は、戦中時代に進駐軍の若い尉官の愛人だった。いわゆる、「パンパン」と呼ばれていた女性の一人だ。真っ赤なスポーツカーの助手席に乗って、派手なファッションに身を包み地元を疾走していた姿は、幼かった母に強烈な思い出として残っているらしい。
叔母の母がうちの祖母の化粧品販売の上客で、そこから縁が繋がっている。叔母と私の母も姉妹同然で、血の繋がる親戚よりも付き合いがずっと深い。世の中は不思議だ。
叔母は千葉市川の土地持ち一人娘で、当時としてはお嬢様学校の川村女子学園に通学。その後、自分の家を下宿としていた叔父を入婿のような形にして結婚。
彼女の実兄は特攻隊で戦死し、叔母には安定した遺族保証金が入っていた。そのお金と日々、食事を切り詰めた財産で軽井沢に別荘を建てたのである。
1996年頃の軽井沢はまだまだ不便で、今のように新幹線も周回シャトルバスもなく、上野駅から特急浅間に乗って二時間半の旅を味わうことができた。途中の渋川駅にて、車両が碓氷峠を越える為の機関車と連結する15分程度。
その間に、私達は釜飯とお茶を買って残りの一時間中で食べ終える。
長野オリンピック開始直前に、新幹線あさまが開通。大宮から50分で軽井沢駅に到着できるように。渋川駅での停車はなくなり、短い時間で釜飯を食べられなくなって、軽井沢の綺麗に拡大された駅構内にて釜飯を購入。そのまま中軽井沢の叔母宅へ行くように。
星野グループが軽井沢観光に乗り出して、「トンボの湯」ホテルブレストンコート、遅れて高級リゾート「星の湯」が完成。軽井沢駅から無料でそれぞれの敷地に行かれるようになり、とても便利になった。
三井アウトレットパークも巨大に展開し、最初は多くのお客で賑わったけれど、最近はすっかり閑古鳥が鳴いている。東京で買える商品ばかりだし、特に安くなっているわけでも無い。
私はアウトレットパークで買いたいものは何も無いので、旧軽井沢銀座でばかり飲食やお土産を買っていた。明治初期から営業している大きな靴屋で、ほぼ毎年のクロックスの新作を購入。ミカドコーヒーの店内にて、コーヒーソフトクリームを食べて、腸詰家にてランチを取るのがいつものパターン。
お盆シーズンは温泉も飲食店も馬鹿混みするし、値段もかなり上乗せされる。叔母と私はその期間中は自炊して家風呂に入り、ほとんど外には出ずに過ごす。
別荘地の入居者には星野温泉のサービス券が配布されるので、ありがたく利用して、空いた頃にのんびり堪能。夜に星を眺めながらの入浴は最高に気分が良かった。
夜には時々、ホテルのラウンジでカクテルを飲んで、アフタヌーンティーセットを帰宅前に一度楽しむ。結婚式が軽井沢教会にて催されるので、六月の土日は特に賑わっていた。夏休み期間中の「キャンドルナイト」は、是非一度でも行ってみて欲しい。
叔母が痴呆症になり、彼女の生きる希望だった別荘は売却されてしまった。叔母は夫や一人娘との関係が冷え切っていて、ほとんど別荘では一人で過ごしていたから、私がそこへちょうどよく転がり込んで夏の間に一緒に暮らせて、お互いにとってラッキーだったと思う。
血縁の親族とは交流が無くなっても、血の繋がらない叔母には本当によくしてもらった。両親や犬、古い友達との思い出が溢れていたあの別荘……。
叔母がいなくなって別荘が売却されても、私は軽井沢駅近くの東急グループホテルに連泊し、一人で星野温泉と旧軽井沢ストリートを母の介護が始まる2017年まで訪れ続けた。コロナ禍以降は、すっかりご無沙汰になってしまったけれど。
信州の山近くになると、真夏でもコタツを出す寒い夜があって油断できない。私は真田幸村が大好きなので、信州上田を度々再訪。八月半ばすぎには、乗り継ぎする小諸駅ホーム上に、ひんやりした秋風が吹いていた。
あの寂しくて心許ない夕暮れが、ずっと忘れられない。生活が落ち着いたら、またあの軽井沢での爽やかな夏を堪能したい。
叔母の死後は、私以外にあの夢のような夏の日々を覚えている人間もいなくなるだろう。私が最後の一人として、ここに記録しておく。叔母さん、長い間本当にありがとう。
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