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書籍『タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源』

ピーター・ゴドフリー=スミス (著), 夏目 大 (翻訳)
出版社 ‎ みすず書房‏
発売日 2018/11/17
単行本 312ページ



目次

1 違う道筋で進化した「心」との出会い
二度の出会い、そして別れ
本書の概要

2 動物の歴史
始まり
ともに生きる
ニューロンと神経系
エディアカラの園
感覚器
分岐

3 いたずらと創意工夫
カイメンの庭で
頭足類の進化
タコの知性の謎
オクトポリスを訪ねる
神経革命
身体と制御
収斂と放散

4 ホワイトノイズから意識へ
タコになったらどんな気分か
経験の進化
「新参者」説vs「変容」説
タコの場合

5 色をつくる
ジャイアント・カトルフィッシュ
色をつくる
色を見る
色を見せる
ヒヒとイカ
シンフォニー

6 ヒトの心と他の動物の心
ヒュームからヴィゴツキーへ
言葉が人となる
言語と意識的経験
閉じたループへ

7 圧縮された経験
衰退
生死を分かつ問題
老化の進化理論
長い一生、短い一生
幽霊

8 オクトポリス
タコが集住する場所
オクトポリスの起源
平行する進化


謝辞
訳者あとがき
原注
索引

みすず書房 公式サイトより


内容紹介

 心は何から、いかにして生じるのだろう。進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」。一つはヒトや鳥類を含む脊索動物、もう一つがタコやイカを含む頭足類だ。哲学者であり練達のダイバーでもある著者によれば、「頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう」。人間とはまったく異なる心/内面/知性と呼ぶべきものを、彼らはもっている。本書は頭足類の心と私たちの心の本性を合わせ鏡で覗き込む本である。
 
 海で生まれた単細胞生物から、現生の頭足類への進化を一歩ずつたどれば、そこには神経系の発達や、感覚と行動のループの起源、「主観的経験」の起源があり、それは主体的に感じる能力や意識の出現につながっている。「タコになったらどんな気分か」という問題の中には、心とは何か、それは物理的な身体とどう関係するのかを解き明かす手がかりが詰まっている。
 
 知能の高さゆえの茶目っ気たっぷりの行動や、急速な老化と死の謎など、知れば知るほど頭足類の生態はファンタスティック。おまけに著者が観察している「オクトポリス」(タコが集住する場所)では、タコたちが社会性の片鱗を示しはじめているという。味わい深く、驚きに満ちた一冊。

公式サイトより


レビュー

 透明で綺麗なホヤの写真をネットにてあさるのが好きです。
 見た目だけではなく遺伝的にも人間に近いためか、ホヤにはとても親近感があります。
 しかしスーパーやデパートにて「ちくわ」が売られているのを見ると、「人間」や「ホヤ」が売られているようにしか見えず、せつなくなります。
 というのも私にとってはそれら(「人間」と「ホヤ」と「ちくわ」)は、非常に近しい形態をしている……、分かり易く言うと「上下に穴(人間で言うところの口と肛門)を持つ筒状の形態を基本として成り立つもの」であり、ゆえにほぼ同じものとして見えてしまう(知覚してしまう)わけです。

 ホヤ ⇩


ちくわ ⇩


 で、本書の主役であるタコなのですけれども、タコという生命体は、実はホヤよりも遺伝的には人間からかなり遠い存在で、端的に言うと「違う進化の過程を辿った生命体」であるのですけれども、しかしながら個人的にはかなりの親近感があり、それはたぶん「ウネウネと動くもの(足というか、腕というか……)」を、双方共に複数本保有し「胴体からやしている」からであるように思います。
 
 タコは水中(水の流れのある海の中)にて8本、人間は水の無い陸上(空気の流れ有り)にて4本を使用し、移動や食事等に用いている点にて、なにやら深い共通点があるように感じるのですけれども、それはもしかするとタコの方ではなくホヤの方に進化した私たちの祖先が、岩にくっつきながら、目の前を颯爽と泳いでゆくタコやイカを見ながら「あぁ、私達もちょっとアレ欲しいよね、あの移動できるようになるヤツ」みたいな感じで念じたことにより、若干のそういう部分を体に生やして、その後岩にへばりつきつつその岩を移動するようになり、さらには海と陸との境目あたりでモゾモゾ遊ぶようになり(大気圏のあたりで宇宙ステーション作ってふわふわ遊ぶ的な)、で、そのうち少しずつ体の上下の口を閉じ、その中に海水を入れた状態を保ち陸上にて短時間過ごせるようになり、(中略)、やがて海水を血液として体に循環させることを可能とするようになって陸上生活が可能となった(ゆえに比較的初期の哺乳類の形態を持つネズミは足が短い)という……。
 
 何が言いたいのかといいますと、人間とタコは遺伝的には離れており、生活拠点も海と陸とで違いますけれども、脳味噌とウネウネの使用法では深い共通点が有るように思われ、そういった点である意味「近しい」存在なのではないか、ということです。
 最初の大きな分かれ目として「水中を泳ぐ方向性」を選択したか、「余り泳がずに地面にへばり付く又はう方向性」を選択したかで、遺伝的には大きく枝分かれましたけれども、別の方向性、すなわち脳味噌とウネウネを進化させた点においては共通している可能性がある、と思うわけです。
 
 ただ本書を読むと、タコの方が明らかに人間よりも優れた生命体であるということが身に染みてわかりますし、途中から「人間とは最早もはやタコの劣化バージョーン(パチモン)でしかないのではないか」とさえ、思ってしまいました。
 だってウネウネの動きはぎこちないし(4本しかないのに)、肌の色は意識して変化させることは出来ないため肌に有害なコスメを塗りたくってみたり(しかも淡色で変化させることも出来ないくせに自分と違う色であるということを理由に他人を差別する人も多いし)、ウネウネが千切れたりもげたりしても再生することはできないし、脳味噌に至っては1つしかないし、無駄な殺し合いはするし……、必要以上にガバガバと食べ過ぎて本来死活問題であるはずの「移動」機能を困難にしてみたり……と、もう本当にいち生命体として「しょうもない」というか、「お粗末」というか、「何がしたいのか全くわからない」というか……
 そんなこんなで「タコを知ることにより人間を知る」時間となりました。

※パチモン


 本書の著者は、そのような残念な生命体である人間の中では上位の知性を誇る「哲学者」であり、生物学者ではないためか視点が多角的且つジャンル横断的で、それゆえにまるでタコが8本の足を八方はっぽう(あらゆる方向へと縦横無尽に)操るように、自由自在に知識と情報を操り、その知性(生態)の豊かさを披露してくれます。
 題材良し、著者の頭も良し、ゆえに書籍の出来も良し。な、素晴らしい一冊で、とても×2楽しめました。
 ※味わい過ぎて気付けばレビューを記す時間がほぼ無かったため、いつか読み直してまたゆっくりと記すかもしれません
  
 最後に
 本書冒頭にて引用されている、ウィリアム・ジェームズの言葉を引用し、レビューを〆たいと思います。

 科学のどの領域であれ、重要なのは連続性である。連続性という物を念頭に置くと多くのことが見えてくる。意識の始まりには、さまざまな可能性があるはずだ。どのような始まりであれ、それを見逃さないよう、真撃にあらゆる可能性を思い描いてみなくてはならない。意識が、何もないところから、いきなりこの宇宙に完成されたかたちで現れることはあり得ない。

ウィリアム・ジェームズ 『心理学原理(The Principles of PsychoGy)』 1890年 


 

公式サイト



おすすめタコ映画『オクトパスの神秘 海の賢者は語る』




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