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大人とは感覚の先にある楽しい沼なのかもしれない − 箱の外

私はそれなりにもうイイ歳なのだ。

同い年の友達などは結婚もとっくの大昔に済ませていて、それでいて子供も沢山いたりする。一般的に言えば、経験したいと思うことはそれなりに経験を済ませててもいい歳だ。

それが私と言えば、未だにタマシイと身体のバランスを取ろうとしているフシがある。まあまあ、10年前から比べてみればだいぶマシだが、てんで高校生の頃と感覚が実はあまり変わらない。もっと言えば小学生の時から根本は変わってない気がする。

大人ってなんだろう。ふと考えた。
何をもって大人と言えるのか。

1人の力で稼げること? 人の親になること? 心と身体の成長や経験?

わたしの場合、
ひとつだけはっきりと自分自身「大人になったなあ」と思えた経験がある。

大嫌いが大好きになった瞬間である。

箱の外へ出た瞬間
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何年か前、1度フランスに行く機会がありました。

沢山の美術館へ連れて行ってもらい、本物と呼べる芸術を見て触れ、作品が放つ思いを体感することができました。

そのときの感覚が今でも何かを信じたり決める時、なにかしら基準になってる気がします。





私は当時、大好きだったダヴィンチやティツィアーノ・ヴェチェッリオ(TITIAN)の様な絵こそが本物の絵画だと思ってました。人間を忠実に描けてこそ。
型にはまったゴリゴリの絵の技術あってこその芸術だと信じて疑わなかった。
自分が真似しようと思っても真似できない技術があってこそ。

キュービズムやモダニズムなんて言ってしまえばク○だと思っていた。

TITIANの絵はルネッサンス時代の中では特に好きでした。その時代の絵の割には色が淡く柔らかいものも多く、動物もよく描いていました。

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うきうきしながらその時代の絵を見てまわる。



……… 。何も感じない。なんだこれ。
なんでだ。こんなに見たかったアーティストの絵を前にして心がうんともすんとも言わない。

とてもショックだった。

自分は絵から感化されるような感覚を受け取れなくなってしまった、とうとう腐ってしまったと思った。

そんな落ち込んでいるなか、一緒に居る姉はどんどん先に進んで行く。
「こっちの方がいい絵が沢山あるよ」と言いながら歩いて行く。

疑いながらついて行ったその先。

そこには息を飲むような、しなやかで柔らかなモネの絵があった。




私の心はドキドキと鼓動を鳴らし始めた。
はじめて遭遇したこの感情に自分自身が驚いていた。ふわふわとして、柔らかな挨拶の後、ブワッッと春風を浴びたような衝撃を受けた。その風が全身を駆け抜けて行った。大好きになってしまった。


……何これ、もっとこの空気を味わいたい。
モネだけでもすごいインパクトとファーストインプレッション。

でもモネを超えるインプレッションを私に与えたヤツが居た。




モネの余韻を残しつつ、ふわふわとした足取りでたどり着いたのはちょっと薄暗い部屋の前だった。お酒を飲んだかのようなコロコロ軽い脳みその私は、普段持たない好奇心を持ちその部屋を覗いた。
そして、潜ったその先に飾られてあった一枚の小さな絵に即座に目を奪われた。


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そこにはゴッホの小さな絵。

一瞬のうちに感情の波に飲まれ、その絵の中に自分がいた。
涙が溢れて止まらなくなって自分でもおかしいと思った。変だった。
でも涙がとまらなくてどうしようもなかった。

大嫌いだったはずのゴッホの絵。

決して上手い絵ではないのだろう。
その、夜の港を描いた絵は、さびしさや苦しさ、そしてその美しさを全て表現しているようだった。その時私はその絵に心を救われた気がした。
ここに『わかっている人』がいる、となんだか安心もした。

私はボー然としながら、しばらくベンチに座ったまま動けなかった。

絵を見て泣く。
その行為に驚きと喜びを感じたのだった。

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箱の外へ

絵と言うのは、技術ではなく心であり魂なんだな、と感覚で理解をはじめて出来た瞬間でした。目じゃない眼で見るということ。枠にはまらない。

心で絵の持つパワーに触れた瞬間、ひとつ大人になれた気がした。わからなかったことが本当の意味でわかった気がした。


大嫌いだったゴッホが大好きになった。

私はゴッホやモネの絵の素晴らしさをその日まで知らなかった。

技術じゃないその先の何か。純粋なタマシイを込めるのが芸術。
多分、パトロンがいなかったゴッホは何にも縛られず、自分の本能に従って絵を描いていたんだろうな。自然を愛し、絵を描くことを好きでいたんじゃないかな。



私の魂と身体がグッと近くなった瞬間だったのです。


「ああ、大人になるって楽しいんだな」

大人になるって感覚を研ぎ澄まして、それにより感覚的になることかもしれない。大人になると知りすぎちゃうから、あえて。

そんなふうに思う今日この頃です。


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