時間は「左回り」に戻せない。「右回り」にしか進まない世界に己の生き様を刻め
おじいちゃんおばあちゃんの話ということなんだけど、
残念だが、私にもう
「おじいちゃん」「おばあちゃん」
そう呼べる人はこの世には存在しない。
たまに眺める、子供の頃の写真の中あるいは
記憶の中に思い出として存在している。
あるいはたまに夢の中に出てくる。
寝てる間は、すでに故人である、
その事実を忘れてしまっている。
そして夢から覚めたら、何食わぬ顔で日常を過ごすのである。
時計の針を「左回り」にすることはできないし許されない
過去がどんなにいい思い出だったとて、
どんなにどんなにやり直したいくらい後悔があっても、
もしくはどれだけ都合よく美化した思い出があったとても、
たとえ誰であっても、時計の秒針は「左回り」には戻せない。
私の祖父は、父方母方どちらの祖父も、お酒が好きな人だった。
それが祟って、5歳になった頃には
どちらの祖父も他界してしまっていた。
おじいちゃんには可愛がってもらったのかもしれないが
もはや覚えていないんだ、5歳より下の時のことは。
昔の楽しかった頃の自分の記憶のカケラは
もう子供の頃の写真やビデオを見ることでしか
振り返ることができない。
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出が
たとえどんなに楽しかったとしても
私たちはあのときには戻れない。
死生観を揺るがした3年前の2月
「人はいつかは一生を終える」
このことに関して、恥ずかしながら私は鈍感だった。
3年前に祖母を亡くすまでは。
とても明るく元気な人だったし、
ずっと元気でいるもんだと思ってた。
それでも時が経てば身体が弱り、やがて生命の終わりを迎える、
そんな自然の摂理を、私はまるで他人事のようにとらえていた。
「これが欲しい」とねだったわけでもないのに
お節介がすぎて物を買ってくれたり
そのお節介さ加減をうっとおしく思っていたこともあった、
だけど、そんな祖母が好きだった。
そのことにいなくなって初めて気づいたし、
なんでもっと早く気づかなかったんだって
自分を責めるばかりだった。
もっとできたこと、やれたことがあったはずだ、
祖母を亡くして半年くらいは後悔していた。
祖母と映ってる写真やビデオを見返しては
仕事中でもやりきれない気持ちで泣いていた。
時間を戻すことはできないと知りながらも。
しがらみに囚われず、自分ができることをまっとうして世界を生きる
どんなに後悔したことがあっても
時間を「左回り」にすることなんてできやしない。
時間は一刻一刻進むしかないものたる以上
私たちはただただ地球の自転と同じように
「右回り」に進むしかない。
いっときは立ち止まって後悔してむせび泣くのも良い。
どこかで立ち止まることだって必要だ。
時が経って落ち着いたら、しがらみに囚われないこと。
もしお世話になった故人に供養ができるとすれば
それはもう先に進むことだけ。
自分ができること、使命をまっとうして
「右回り」の世界を生きることだけだー。
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