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とある暗黒企業従事者の話8。光と闇、休日と平日。

前回
https://note.com/starfalcon/n/nd2b4c922e5ec

ブラック企業の朝のエレベータに乗る人間たちの顔が悉く青ざめている。
まるで、魂を抜かれた奴隷のようだ。

いざ職場に着くと、電灯がついていてもやたらと暗い。
職場にいるのは本当に「人間」なのか?
神話の時代から、太古の昔から封印されてきた悪魔、グール、ゾンビ、
そう表現しても全く遜色ないヤツらじゃないだろうか。

現実世界にいながら、悪い意味でファンタジーの世界に放り込まれた、
そんな感覚すら覚えました。

リアルで悪夢を見ているとこんな感じなのか、と。

「やりたくないことをやらない人生」のために


起業塾時代の時もそうだが、私の行動原理というものは至ってシンプルで
「いかにしてやりたくないことをやめる人生を目指すか」というもの。

よく「何を考えているかわからない」と評される私だけど
いつもそのことしか考えていませんし、
当時はそのエッセンスが非常に色濃い時代でした。

毎日朝早くから働かされて終電を意識する生活が続いて
「やりたくないことをやめたい」という心理にならざるを得なかった。

「やりたくないことをやらないためにはどうすればいいか」

夢から覚め、行動に起こす必要がある。
起業塾で掲げた「成功」の概念を信じて努力を続けていました。

たとえ、それが無駄に自分の首を絞め続ける、
苦しい努力でしかなかったとしても。

土日祝日だけしか、それが実現できないなんて、まっぴらゴメンだったから。

休みの日はテンションが上がって、平日は心が死んでいく、
躁鬱を繰り返していました。

トンズラをしたかったのだが、それが許されない。

休日という光と、平日という闇

「光あるところには必ず闇もある」とは言われます。
世の中には一つしかないものは存在せず、必ず対となるものがある。

つまり、光ある以上は闇を完全に消し去ることはできない、ということです。

SNSでは起業戦士としての「光」の部分しか見せておらず、
ブラック企業で死にかけている「闇」の部分は徹底的に見せない、
平日の姿は見せられたものでないので、臭いものに蓋をしていましたね。

平日働いている時間の方が長いから、
「闇」の自分でいる時間の方が長いことになるから

そのことが余計に辛かったし、そのことが許せなかった。

光ある以上は闇もある、だから闇の面に完全に蓋を仕切ることはできない、
それに気づいていなかったのも辛みを加速させる。

しかし本当に平日の経験が身にならないのだろうか。
「与えられた仕事」においても生活につながる知恵が身につくこともある。

そういうこともあるものだから、まんざらそういった経験は無駄でもない、

「光」になり得る部分もある。

そこに気づくのに何年時間を要しただろうか。

終わりに


腐れ縁の友人に「お前には闇がある、高校時代からそれは感じてきた」
と言われてきたが、今でもブスブスそういった面があるのは間違いない。

「光と闇」においての闇部分、光があるなら闇もある、

臭いものに蓋をしきれなかった部分があるのは間違いない。

しかし、そのことを否定しないことが大事だと思っている。
光の部分をいかに上手く見せるかでなく、
闇の部分をいかに受け入れられるが大事なんだと思う。

闇があるということは光もまたあるということだから。

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