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自分の足で歩くことの大切さ。このことができて初めて「自立」する。

ちょっとリーディングしてみたある日のこと。

「今私が抱えている課題に対して

 アプローチを持っている人があれば会いに行きたい。

 新卒の時は誰もいなかった。

 ブラック企業時代はカウンセラーの先生だった。」

リーディングしても、誰も出てこなかった。
知っている人の中どころか、これから会う人にもいないと出た。

過去のやり方を否定されたような感じでした。

現状では今私が抱えている課題に対してのアプローチを持っている人がいない。

この日のルーンでも「安易に誰かを頼るのでなく、距離を取れ」と言われた。

「人は一人だけじゃ生きられない」っていうから、
頼るツテを探していたというのに。

自分の足で歩くことの難しさ。


これまで会社の新卒時代とか、ブラック企業で追い込まれた時とか

節目で困るたびに、誰かを頼ってきました。


困った時は、自分の課題を解決してくれる誰かを

頼ることばかりを考えていたのです。

それだけ自分の足だけで歩くことは難しい、と感じていたからです。

「今の自分は、あの時ほど無力じゃない」

そういうわけではない、と思ったとしても。

社会人新卒当時、あの時親とか兄弟に相談したところで、
コミュ障がなんとかなると思ったのか?

いや、全くどうにかなるイメージが湧かなかった、
だから誰にも相談せず一人で行ってきた。

コミュニケーションスクール行っても、心療内科行っても解決しない。

会社はビジネスだと割り切るしかないと思ってやってきた。

どの時代も困るパターンと対処方法が一緒だったこと


私が経験した出来事で、困ったときのパターンが大体同じでした。

新卒の時に起きた出来事と、ブラック企業時代後半の出来事が

ほぼ同一視と言っていいくらい被っています。


新人時代にスクールの仲間コミュニティが解散する、

後年の起業スクールコミュニティも廃れる。


会社で突きつけられた悩みに対して起業塾など外部を頼りまくる、

何か困るとすぐ外部の人に聞きに行く、

自分に共感してくれる人が欲しい、

心療内科に行く。


違うのは、ブラック企業時代はカウンセラーの先生が

ついていてくれたことくらいか。

だから自分の傷を癒すというアプローチに至れて、

幼少期から抱える心の傷の解決に至れました。


結局、困ったって言って、会社以外の外の人が

キーパーソンになったケースってそんなない。

コミュニケーションスクール時代の同級生しかり、

起業塾や朝カフェメンバーしかり。


「心を癒す」というアプローチならまた話は違うんだけど。
基本的には慰め合うにはちょうどいいかもしれない、賑やかし要因でしかない。

新人の時もそうだけど、コミュニケーションスクールとか心療内科頼ったけど

それで解決したわけでなく、それどころかハシゴを下されてしまって

結局は自力の解決しかあり得なかったのです。

終わりに

自分の足で人生を歩く、というのはとっても難しいこと。
都合よく、自分の課題を誰かが解決してくれるわけでない。

自立するタイミングはやってくるし、

人生が終わるタイミングもいずれはやってくる。

いつかは自分の足で歩かねばなりません。

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